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稲荷神社ではいただけません
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名称稲荷神社
読み方いなりじんじゃ

詳細情報

ご祭神《合》大国主命,大山咋命,惶根尊,面足命,《主》保食神
ご由緒

境内 駒札より

 保食命を祭神とし、小谷場の鎮守として祀られてきた当社は、大宮台地南端に位置する「岡の台」と呼ばれる小高い丘の上に鎮座している。この岡の南側の低地には、かつては広々とした水田が広がっており、当社はそれを望む位置にあることから、恐らくは小谷場の村が、水田耕作を中心とした村落として安定し始めた江戸時代初期に、耕地の安泰を願って勧請されたものと思われる。 
 『風土記稿』小谷場村の項に「稲荷社 村の鎮守なり、養福院持」とあるのが当社のことで、内陣には「本宮正官 羽倉摂津守」と墨書された神璽筥が安置されている。この神璽筥には年紀がないため、いつのものかははっきりしないが、墨書から京都の伏見稲荷大社から分霊されたものであることがわかる。また、『風土記稿』の記事に見える養福院は、蕨宿三学院の末派に当たる真言宗の寺院で、当社の三〇〇メートルほど南方にあったが、神仏分離の後、明治四年に廃寺となり、今ではその跡さえなくなっている。
 一方当社は、神仏分離の後は明治六年四月に村社になり、同四十五年六月には政府の合祀政策に従って字西ノ妻の第六天社、字道下の子ノ神社、字台の山王社を合祀した。この三社は各々『郡村誌』にも記載のある神社であり、古くから当社の末社として祀られてきた春日・天神の両社と共に、当社の社殿の脇に社殿を設けて祀られている。

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