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さいたまけんごこくじんじゃ

埼玉縣護國神社の御由緒・歴史
埼玉県 大宮駅

ご祭神《主》護国の英霊
創建時代昭和九年(1934)
ご由緒

国事に殉ぜられた埼玉県の英霊は、古くはそれぞれの縁故の地に祀られて、随時随所に神籬(ひもろぎ)を樹て、その祭りが行われていたが、日露の戦役以後、英霊の数の増し加わるに及んで、春秋二季に別け、県下慰霊安鎮の祭が行われるようになり、昭和六年満州事変が起り、その柱数も二千六百有余を数えるにいたって、漸く慰霊顕彰の重きが議せられ、昭和八年埼玉県招魂社建設の計画が進むにいたった。同年九月二日建設出願が決まり、同二十二日内務大臣の許可を得たので、県民の総意にもとづき、大宮公園の西端奥山の聖地が選定され、昭和九年四月九日、ときの近衛師団長朝香宮殿下をはじめ、陸海将兵、県官民数万の参列のもとに、盛大なる鎮座祭が行なわれ、ここに埼玉県招魂社が鎮座設立されたのであります。
 昭和十四年三月神社制度の改正により、埼玉県護国神社と改称、同年四月指定護国神社となり、神饌幣帛の供進がなされることとなり、県官民挙げて、盛大なる祭りが年々に執り行われました。
 昭和二十一年二月神社制度の変革により、宗教法人令による、宗教法人埼玉護国神社と改め、更に昭和二十三年十月社名を埼霊神社と改称するにいたったが、昭和二十七年県下崇敬者の総意により、再び埼玉県護国神社と改称し、昭和三十年一月奉賛会が設立せられ、五万一千百八十柱の英霊を祀り祭祀を完うして今日にいたっている。

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