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八王子神社の御由緒・歴史
埼玉県 与野本町駅

ご祭神《主》田心姫命,《配》湍津姫命,市杵島姫命,正勝吾勝速日天之忍穂耳命,天之穂日命,天津彦根命,活津彦根命,熊野樟日命
ご由緒

八王子の地名は当社の鎮座に由来している。祭神は田心姫命(たごりひめ)・湍津姫命(たぎのつひめ)・市杵嶋姫命(いちきしまひめ)・正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)・天之穂日命(あめのほひ)・天津彦根命(あまつひこね)・活津彦根命(いくつひこね)・熊野橡樟日命(くまのとちくすび)の八柱である。また、創建については明らかでないが、『融通念仏縁起』(京都清涼寺所蔵)によれば、正嘉年間(一二五七 ー 五九)のころ、全国的に疫病が流行した時、与野郷のある名主が、念仏を修し、家内の老若男女もろともに疫病を免れたと伝えている。融通念仏宗の宗祖良忍上人は、比叡山の堂僧であったが、永久五年(一一一七)に阿弥陀如来から直授を受けて以来、一人の念仏と万人の念仏が相即融通する融通念仏を創唱し、庶民の間に広めた。その比叡山では八王子権現を守護神として祀っている。このようなことから、当社の創建は、中世に融通念仏を当地に広めた修験者によって念仏宗にゆかりのある比叡山から勧請されたことが推測される。

社蔵の棟札には「(梵字)奉修理八王子権現一社(中略)享保五庚子(一七二〇)霜月十日別当東覚院寛清代」とある。東覚院は、本山派修験中尾村玉林院配下で、寛永年間(一六二四ー四四)に当地へ土着し、その後別当となった。神仏分離で同院は廃寺し、明治六年に村社に列した。
※八王子神社境内の案内板より

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