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むくじんじゃ

椋神社

埼玉県 皆野駅

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0494-77-1293

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

あり

おすすめの投稿

惣一郎
2021年03月18日(木)
1055投稿

椋神社(むく~)(吉田)は、埼玉県秩父市吉田にある神社。旧社格は県社。平安中期927年の延喜式神名帳に「武蔵国秩父郡 椋神社」の論社5社の一つ。明治初期に5社で論争が起こり、知事の裁定により5社を合わせて式内社とした。
当社の例大祭に合わせて行われる「龍勢(りゅうせい)祭り」は、古来農民による手作りロケットの打上げ大会で、メディアにもよく取り上げられ人気がある。2011年にテレビ化されたアニメ『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない』では重要な要素として出てくる。

創建は不詳で、江戸中期の卜部兼敏『椋五所大明神由来』によると、日本武尊が当地赤柴にて道に迷うと、鉾の先から光が走り、大きな椋木が立ち、猿田彦大神が現れたため、鉾を神体として祀ったのが当社の始まりとしている。1569年の武田勢の侵入により社殿焼失、その後1575年に鉢形城主・北条氏邦が現在地に社殿を再建。江戸期の1627年に改修。

当社は、秩父鉄道・秩父駅の北西7kmの県道37号線沿いにある。境内は広く、社殿を含め多くの建物が古く、時間が止まったような印象。社務所には神職の方がいて御朱印・授与品を拝受できる。

参拝時は平日の午後で、自分以外に参拝者はいなかった。個人的印象としては、<椋神社>式内論社5社の中で最も有力ではないかと感じた。

椋神社の鳥居

県道近くにある、新しい<大鳥居>。くぐると境内右脇に出る。元の鳥居はくぐって左手。

椋神社の鳥居

元の鳥居。後ろ側は谷になっていて、それなりの高低差がある。

椋神社の狛犬

非常に気になった、痩せた<狛犬>。個人的見解では、現代の飼い犬が肥満化したせいで、現代の通常の狛犬も肥満化していると思われる。昭和の高度成長期以前の狛犬は、こちらの痩せたシルエットの方がノーマルだったのでは?いずれにせよ古そう。

椋神社の建物その他

鳥居をくぐると、遠くに瑞垣に囲われ一段上がった神域が見える。

椋神社の手水

神域手前右手にある<手水舎>。

椋神社の本殿

拝殿全景。屋根は瓦葺で昭和の改修を感じるが、躯体自体は古そう。

椋神社の本殿

拝殿と扁額。

椋神社の本殿

社殿全景。

椋神社の末社

拝殿に向かって左側の末社群。中央の大きな社が<菅原神社>、左が<稲荷神社>、右が<白鳥神社>。

椋神社の末社

拝殿に向かって右側の末社群。左右に大きな社があって、左が<神明神社>、右が<諏訪神社>、中央の小さいのが<琴平神社>。

椋神社の末社

社殿右側にある、屋根付きの<八幡社>。黒光りした重厚な雰囲気の社殿。

椋神社の末社

正面の色彩が鮮やかで細かい彫刻。左右・裏側にも彫刻が施されている。

椋神社の末社

社殿裏の、名もなき末社群。

椋神社の本殿

それなりのサイズがある、朱塗りの<本殿>。

椋神社の末社

神域入口付近にある、藤原秀郷を祀る祠。藤原秀郷は、10世紀前半の当地を含む武蔵国造(下野国造兼務)で、940年に平将門を討ちとった人物。延喜式神名帳が927年なので、その関係で祀られているのか?

椋神社の建物その他

神域を出て右側にある集会所。龍勢祭りの打上げの順番が書かれている。

椋神社の建物その他

神域を出て正面(正鳥居の脇)にある<神楽殿>。

椋神社の本殿

神域を出て左側(国道の大鳥居側)に社務所がある。御朱印はこちら。

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くし
2021年06月29日(火)
1073投稿

今回は最後に、秩父にある5つの椋神社のうちまだ行ってない残り2つを制覇しようと思いまして、まず龍勢祭りで有名なこちらに。
まだ寺社にさほど興味なかった頃、あの花巡礼で龍勢櫓の真下までは行ったことがあるのですが神社参拝は初めてw

無人社続きでしたが久々に授与所のある神社が拝めた(^^)
やっぱなんだかんだで御朱印まで行かなくても何か記念物が持ち帰れる寺社の方がワクワク感が雲泥の差ですねw
浅ましいとは思いますが一般人の信仰心なんて所詮こんなものwww

さて御朱印もいただいて、他にも何か授かってこうと思い、当初は大きな山犬御札に目を付けたのですが、山犬御札はすでに三峯でもらっちゃったしどうしよf(ーωー)と悩みつつフト上を見ると・・・ん?

め ん ま タ ン の 絵 馬 や ! (*゚∀゚)=3

これだ!痩せ犬の描かれた札なんかイラネ(゚∀゚*)ノ⌒◇ポイ
(バチが当たりますw)
というワケで、あの花絵馬龍勢バージョンをゲットして最高の気分で神社を後にしました♪www

椋神社の御朱印

龍勢入り御朱印

椋神社の絵馬

最高の授与品があるじゃねーか!(*゚∀゚)=3
そうそうこういうのでいいんだよこういうので(*´Д`)

椋神社(埼玉県)

一の鳥居
例によって駐車場は神社横のため上から撮影。

椋神社の建物その他

二の鳥居

椋神社の鳥居

駐車場側にあった大鳥居

椋神社の周辺

龍勢櫓
今回は近くには行かず神社から撮影

椋神社(埼玉県)

数年前に違う意味の聖地巡礼した時の写真が残ってましたw
ちなみにこの時は櫓の下でバッタを補食するムカデを見た・・・この頃はまださほど寺社に興味なかったけど、聖神社行った後だったのでちょっと神威を感じましたね

椋神社(埼玉県)

横に飾ってあった龍勢
結構でかい(゜゜;)

椋神社の歴史

龍勢祭り来てみたいけど、絶体混むし、たぶん今年は中止だろうなぁ(´・ω・`)

椋神社の建物その他

境内

椋神社の狛犬

山犬の他に普通の狛犬もあったんですが、面白いことにここのは左右でポーズが大きく違う

椋神社の狛犬椋神社の本殿

拝殿内

椋神社の末社

摂社
左が神明社 真ん中は琴平神社 右はかすれて読めず

椋神社の末社

別の摂社

椋神社の末社

こちらは稲荷神社 菅原神社 白鳥神社

椋神社の末社

右手後ろにやや大きめの八幡宮

椋神社(埼玉県)

見事な彫刻

椋神社の授与品その他

かなり大きな山犬御札
当初はこれをスーベニアとして持ち帰ろうと思ったのですが・・・

椋神社の末社

一つだけ離れた所にあった祠

椋神社の末社

良く見たら摂社ではなく両神神社の遥拝所でした
両神温泉方面は今回は行けなかったので、ありがたく参拝(´-ω-)人

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歴史

(1)

人皇十二代景行天皇御宇、日本武尊東夷征伐のとき、伊久良と云う処に御鉾を立て猿田彦大神を祀り給いしと云う。神殿は和銅三年芦田宿禰守孫造立すと云う。多治比直人籾五斗並びに荷前を奉るとあり是当社造立の起源なり。清和天皇貞観十三年武蔵国從五位下椋神社に從五位上を授けられる。醍醐天皇延喜年間神名帳に記載せられ国幣の小社に列す。社伝に曰く朱雀天皇天慶五年藤原秀郷当社に春日四所の神を合祀す。日本武尊五代の裔丹治家義五代の孫武信神領数十町を寄附す是を供田と云う。即ち六段田是なり其後、畠山重忠太刀一口を獻ず。今遺存して神宝となす。長慶天皇永徳二年累進して從二位を授ける。元亀年中武田信玄秩父氏と戦い社頭を焼く神殿古器神宝旧記悉く皆焼失す。天正三年鉢形城主秩父新太郎氏邦神殿を再建す同氏獻上する処の祭具木魚二本今猶存在す。慶長九年当社境内欅三十五本を伐採し江戸城建築の為使用す。寛永四年神殿大破修復棟札あり。宝永五子年二月拝殿修復、棟札は左の如し。

夫武蔵国秩父郡矢場田庄吉田ノ怙鎮守井椋五所神社者延喜式神名帳所載椋神社是也縁起に曰景行天皇四十年与 天慶年中子両度鎮座也 云云

上棟井椋五所大明神拝殿修造清祓御祈祷 国家安全・五穀成就 攸 芦田伊勢守 藤原守房、芦田若狭守 藤原守光、芦田長門守 藤原重斉 干時宝永五壬子天二月吉日

寛政元酉年四月本殿檜皮葺は、天正年中北條安房守氏邦再建にして弐百有余年に及び大破に及び本殿は銅を葺き弊殿拝殿とも大修復をなす。

寛政元己酉年

奏上棟椋神社幣殿拝殿造立功成就 常磐堅磐 社頭康栄 守護祈所 神主 芦田日向守 藤原保実、芦田市正 藤原守重、芦田若狭守 藤原武矩、四月二十一日、大工棟梁 赤柴村 黒石勘平

明治十五年六月十五年県社に昇格す。大正二年近隣の神社二十三社を合祀す。大正五年十一月十三日無格社八幡大神社合祀許可せらる。

大正十年拝殿幣殿の改築竣工し十月四日神饌幣帛料供進神社と指定せらる昭和九年天皇陛下より祭祀料を賜わる。昭和十七年九月社務所焼失す。

昭和二十五年十二月氏子奉納金十萬円を以つて平殿拝殿の屋根大修復。

昭和三十四年九月、工費百三十万円餘氏子崇敬者寄附金其の他にて新社務所建設さる。昭和四十年十月諸社合祀五十年祭を記念して氏子の奉納金により八幡本殿上屋幣殿屋根工事を完成す。

昭和四十三年十二月明治維新百年祭記念として本殿屋根修理、四十四年四月元拝殿屋根改造完成す。昭和四十八年九月氏子崇敬者の奉納により竜勢櫓用細木二百十一本柱八本奉納。細木置場を建設す。

昭和四十九年四月北條氏邦椋神社再建四百年祭を記念して奉納金其の他にて調製費二百二十万円を以つて神輿調製奉納す。五十年亦三百万円の資金にて拝殿その他諸建築物の修復を完成し調度品を購求せり。亦四十九年五月二十日埼玉県の補助により椋宮橋竣工す。

(2)

人皇十二代景行天皇の御宇皇子日本武尊東夷御征行の砌、猿田彦大神の霊護を恭み、皇子御神ら猿田彦大神を當地に奉齊せられたるを起元とし、清和天皇の御宇貞観十三年十一月従五位上を贈られ醍醐天皇の延長五年十二月延喜式神名帳に記載せられ朱雀天皇の御宇平将門誅伐の時、藤原秀郷春日四座の神を合祭して軍功を奏し、五座の神となる。元亀年間武田信玄の兵火に罹り社殿焼失し、天正三年北條氏邦再建す。明治六年郷社となり、仝十五年六月三十日県社に列せられ、大正十年十月神饌幣帛料供進神社に指定せらる。昭和十七年九月三十日社務所焼失し、昭和三十四年九月氏子崇敬者寄附金其の他にて新社務所建設さる。昭和四十九年四月北條氏邦椋神社再建四百年祭を記念して奉納金其の他にて神輿調製奉納す。昭和五十年拝殿其の他諸建築物の修復を完了。龍勢の神事は昭和五十二年三月二十九日埼玉県選択無形民俗文化財となる。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成七年

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4

椋神社の基本情報

住所埼玉県秩父市下吉田7377
行き方
アクセスを詳しく見る
名称椋神社
読み方むくじんじゃ
通称下吉田椋神社
参拝にかかる時間

10分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号0494-77-1293
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
絵馬あり
SNS

詳細情報

ご祭神猿田彦命,武甕槌命,経津主命,天児屋根命,比売命
本殿三間社流造
文化財

龍勢祭り(重要無形民俗文化財)

ご由緒

(1)

人皇十二代景行天皇御宇、日本武尊東夷征伐のとき、伊久良と云う処に御鉾を立て猿田彦大神を祀り給いしと云う。神殿は和銅三年芦田宿禰守孫造立すと云う。多治比直人籾五斗並びに荷前を奉るとあり是当社造立の起源なり。清和天皇貞観十三年武蔵国從五位下椋神社に從五位上を授けられる。醍醐天皇延喜年間神名帳に記載せられ国幣の小社に列す。社伝に曰く朱雀天皇天慶五年藤原秀郷当社に春日四所の神を合祀す。日本武尊五代の裔丹治家義五代の孫武信神領数十町を寄附す是を供田と云う。即ち六段田是なり其後、畠山重忠太刀一口を獻ず。今遺存して神宝となす。長慶天皇永徳二年累進して從二位を授ける。元亀年中武田信玄秩父氏と戦い社頭を焼く神殿古器神宝旧記悉く皆焼失す。天正三年鉢形城主秩父新太郎氏邦神殿を再建す同氏獻上する処の祭具木魚二本今猶存在す。慶長九年当社境内欅三十五本を伐採し江戸城建築の為使用す。寛永四年神殿大破修復棟札あり。宝永五子年二月拝殿修復、棟札は左の如し。

夫武蔵国秩父郡矢場田庄吉田ノ怙鎮守井椋五所神社者延喜式神名帳所載椋神社是也縁起に曰景行天皇四十年与 天慶年中子両度鎮座也 云云

上棟井椋五所大明神拝殿修造清祓御祈祷 国家安全・五穀成就 攸 芦田伊勢守 藤原守房、芦田若狭守 藤原守光、芦田長門守 藤原重斉 干時宝永五壬子天二月吉日

寛政元酉年四月本殿檜皮葺は、天正年中北條安房守氏邦再建にして弐百有余年に及び大破に及び本殿は銅を葺き弊殿拝殿とも大修復をなす。

寛政元己酉年

奏上棟椋神社幣殿拝殿造立功成就 常磐堅磐 社頭康栄 守護祈所 神主 芦田日向守 藤原保実、芦田市正 藤原守重、芦田若狭守 藤原武矩、四月二十一日、大工棟梁 赤柴村 黒石勘平

明治十五年六月十五年県社に昇格す。大正二年近隣の神社二十三社を合祀す。大正五年十一月十三日無格社八幡大神社合祀許可せらる。

大正十年拝殿幣殿の改築竣工し十月四日神饌幣帛料供進神社と指定せらる昭和九年天皇陛下より祭祀料を賜わる。昭和十七年九月社務所焼失す。

昭和二十五年十二月氏子奉納金十萬円を以つて平殿拝殿の屋根大修復。

昭和三十四年九月、工費百三十万円餘氏子崇敬者寄附金其の他にて新社務所建設さる。昭和四十年十月諸社合祀五十年祭を記念して氏子の奉納金により八幡本殿上屋幣殿屋根工事を完成す。

昭和四十三年十二月明治維新百年祭記念として本殿屋根修理、四十四年四月元拝殿屋根改造完成す。昭和四十八年九月氏子崇敬者の奉納により竜勢櫓用細木二百十一本柱八本奉納。細木置場を建設す。

昭和四十九年四月北條氏邦椋神社再建四百年祭を記念して奉納金其の他にて調製費二百二十万円を以つて神輿調製奉納す。五十年亦三百万円の資金にて拝殿その他諸建築物の修復を完成し調度品を購求せり。亦四十九年五月二十日埼玉県の補助により椋宮橋竣工す。

(2)

人皇十二代景行天皇の御宇皇子日本武尊東夷御征行の砌、猿田彦大神の霊護を恭み、皇子御神ら猿田彦大神を當地に奉齊せられたるを起元とし、清和天皇の御宇貞観十三年十一月従五位上を贈られ醍醐天皇の延長五年十二月延喜式神名帳に記載せられ朱雀天皇の御宇平将門誅伐の時、藤原秀郷春日四座の神を合祭して軍功を奏し、五座の神となる。元亀年間武田信玄の兵火に罹り社殿焼失し、天正三年北條氏邦再建す。明治六年郷社となり、仝十五年六月三十日県社に列せられ、大正十年十月神饌幣帛料供進神社に指定せらる。昭和十七年九月三十日社務所焼失し、昭和三十四年九月氏子崇敬者寄附金其の他にて新社務所建設さる。昭和四十九年四月北條氏邦椋神社再建四百年祭を記念して奉納金其の他にて神輿調製奉納す。昭和五十年拝殿其の他諸建築物の修復を完了。龍勢の神事は昭和五十二年三月二十九日埼玉県選択無形民俗文化財となる。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成七年

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