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地蔵寺のお参りの記録一覧
埼玉県 三峰口駅

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かおり
かおり
2025年09月28日(日)1761投稿

秩父札所31番に向かう途中に水子寺と呼ばれる地元では有名なお寺がある。死産した息子の供養でここに世話になった叔父一家と度々来ていた場所でもある。

昭和50年代は日本テレビ系でオカルト特集みたいな番組が放映されていた。それは森村桂さんの前のご主人で日本テレビの谷口プロデューサーが、ネッシー、ヒマラヤの雪男、などなど、そういう物が好きだったからもあるかもしれない。

こちらの地蔵寺。昭和50年代には、「風もないのに風車が回る」「蝋燭が」「線香が」などなど、かなりテレビで放映されていたお寺なのだ。

最近わかったのが、かなり政治的なものもあったのだということだ。このお寺を創建したのは、元政治評論家で佐藤栄作総理大臣のブレーンとしても活躍された右翼思想家の橋本徹馬氏だ。

橋本 徹馬(はしもと てつま、1890年(明治23年)2月4日 - 1990年(平成2年)5月19日)は、日本の政治運動家、右翼的思想家。愛媛県出身。早稲田大学専門部政治科中退。1912年、橋本は加藤勘十とともに大隈重信、山田三七郎の後援を得て立憲青年党を結成。山田三七郎の勧めで雑誌「世界之日本」を発行。寺内正毅内閣の倒閣運動を展開する。大正13年、紫雲荘を設立し、主幹となる。当時、青年政客として二十代で名を成していたのは、立憲青年党を率いた肥田琢司らと橋本徹馬であった。橋本は政官界に顔が利き、親善使節や日本の高官を啓蒙するなどした。戦後、紫雲荘を再建し、機関紙「紫雲」を通じて政治評論を発表。紫雲山地蔵寺初代住職。水子供養運動創唱者。佐藤栄作の私的相談役でもあった。紫雲山地蔵寺を創建し、大衆の救済祈願をもって水子供養の機会をつくったのは橋本である。

地蔵寺を作った時には、当時の佐藤栄作総理大臣、栗原浩埼玉県知事、秩父出身の荒船清十郎衆議院議員などがお祝いに来られている。

目を惹くのはやはり山一面の地蔵だろう。地蔵寺の名前の通りだ。政治評論家として、右翼思想家として、首相の相談役として活躍しながらも、橋本氏は、中絶、流産、死産などで苦しむ女性の相談に乗っていたようだ。果たして、今の保守を名乗る人たちに同じ事が出来るだろうか?

水子地蔵の数が多く、皆、同じに観えてしまうが、1つ1つに想いが込められている。そんな想いで山を後にするのであった。

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碧。
碧。
2022年06月27日(月)112投稿
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