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三峯神社ではいただけません
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三峯神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年11月16日(火)
参拝:2021年11月吉日
埼玉県秩父市 三峯神社。
秩父三社が一社、西武秩父駅から朝一番のバスに乗り80分、渋滞にかかり途中下車し、山道を登り、ようやく辿り着いた先は正に神域でした。空気がピンとして私には強すぎるくらい。御神木から氣を頂き身体を巡らせると心地よい。紅葉のハイシーズンは人が多すぎるので時期外れにまた来よう。帰り三峰商店街にてお蕎麦を頂き、また大混雑で座れないバスで戻りましたとさ。三峰ロープウェイ復活しないかしら。
【由緒】
三峯神社の由緒は古く、当山大縁起によると日本武尊(やまとたけるのみこと)が伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)をお祀りしたのが始まりと伝わります。
景行天皇の命により東国平定に遣わされた尊は、甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向われる途中三峯山に登り、山川が清く美しい様子をご覧になり、国をお生みになられた二神をおしのびになって仮宮を建てお祀りし、この国が永遠に平和であることを祈られました。この時、尊を道案内したのが狼(山犬)であったとされ、神様の使いとして一緒にお祀りされています。
その後、景行天皇は日本武尊が平定した東国を巡幸された折に三峯山に登られ、三山高く美しく連らなることから「三峯の宮」の称号をたまわりました。
降って文武天皇の時、修験の祖役小角(おづぬ)が伊豆から三峯山に往来して修行したと伝えられています。この頃から当山に修験道が始まったものと思われます。
淳和天皇の時には、勅命により弘法大師が十一面観音の像を刻み、社殿の脇に本堂を建て本地堂としました。
こうして徐々に佛教色を増し、神前奉仕も僧侶によることが明治維新まで続きました。
鎌倉期から畠山重忠などの東国武士を中心に篤い信仰をうけていましたが、正平7年(1352)足利氏を討つ兵を挙げた新田義興・義宗等が、戦い敗れ当山に身を潜めたことから、社領を奪われ、山主も絶えて、衰えた時代が140年も続きました。
文亀二年(1503)、修験者月観道満がこの荒廃を嘆き、27年という長い年月をかけて全国を行脚し、復興資金を募り社殿・堂宇の再建を果たしました。
天文2年(1533)、山主龍榮が京都の聖護院へ参じ、「大権現」の称号をたまわって、坊門第一の霊山となりました。以来、天台修験の関東総本山となり観音院高雲寺と称しました。
更に、観音院第七世の山主が京都花山院宮家の養子となり、以後の山主は、十万石の格式をもって遇れました。
現在社紋として用いている「菖蒲菱(あやめびし)」は花山院宮家の紋であります。
やがて、享保5年(1720)日光法印という僧によって、「お犬様」と呼ばれる御眷属(ごけんぞく)信仰が遠い地方まで広まりました。
以来信者も全国に広まり、三峯山の名は全国に知られました。
その後明治の神佛分離により寺院を廃して、三峯神社と号し現在に至っています。
秩父市グルメ③三峯神社参道駐車場近くに三峰商店街がある。とはいえお店は数軒。いも田楽やみそおでん、お蕎麦に焼き椎茸に川魚など一通りの名物を頂ける。今回立ち寄ったのは三峰お犬茶屋山麓亭のお蕎麦です。
秩父三社が一社、西武秩父駅から朝一番のバスに乗り80分、渋滞にかかり途中下車し、山道を登り、ようやく辿り着いた先は正に神域でした。空気がピンとして私には強すぎるくらい。御神木から氣を頂き身体を巡らせると心地よい。紅葉のハイシーズンは人が多すぎるので時期外れにまた来よう。帰り三峰商店街にてお蕎麦を頂き、また大混雑で座れないバスで戻りましたとさ。三峰ロープウェイ復活しないかしら。
【由緒】
三峯神社の由緒は古く、当山大縁起によると日本武尊(やまとたけるのみこと)が伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)をお祀りしたのが始まりと伝わります。
景行天皇の命により東国平定に遣わされた尊は、甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向われる途中三峯山に登り、山川が清く美しい様子をご覧になり、国をお生みになられた二神をおしのびになって仮宮を建てお祀りし、この国が永遠に平和であることを祈られました。この時、尊を道案内したのが狼(山犬)であったとされ、神様の使いとして一緒にお祀りされています。
その後、景行天皇は日本武尊が平定した東国を巡幸された折に三峯山に登られ、三山高く美しく連らなることから「三峯の宮」の称号をたまわりました。
降って文武天皇の時、修験の祖役小角(おづぬ)が伊豆から三峯山に往来して修行したと伝えられています。この頃から当山に修験道が始まったものと思われます。
淳和天皇の時には、勅命により弘法大師が十一面観音の像を刻み、社殿の脇に本堂を建て本地堂としました。
こうして徐々に佛教色を増し、神前奉仕も僧侶によることが明治維新まで続きました。
鎌倉期から畠山重忠などの東国武士を中心に篤い信仰をうけていましたが、正平7年(1352)足利氏を討つ兵を挙げた新田義興・義宗等が、戦い敗れ当山に身を潜めたことから、社領を奪われ、山主も絶えて、衰えた時代が140年も続きました。
文亀二年(1503)、修験者月観道満がこの荒廃を嘆き、27年という長い年月をかけて全国を行脚し、復興資金を募り社殿・堂宇の再建を果たしました。
天文2年(1533)、山主龍榮が京都の聖護院へ参じ、「大権現」の称号をたまわって、坊門第一の霊山となりました。以来、天台修験の関東総本山となり観音院高雲寺と称しました。
更に、観音院第七世の山主が京都花山院宮家の養子となり、以後の山主は、十万石の格式をもって遇れました。
現在社紋として用いている「菖蒲菱(あやめびし)」は花山院宮家の紋であります。
やがて、享保5年(1720)日光法印という僧によって、「お犬様」と呼ばれる御眷属(ごけんぞく)信仰が遠い地方まで広まりました。
以来信者も全国に広まり、三峯山の名は全国に知られました。
その後明治の神佛分離により寺院を廃して、三峯神社と号し現在に至っています。
秩父市グルメ③三峯神社参道駐車場近くに三峰商店街がある。とはいえお店は数軒。いも田楽やみそおでん、お蕎麦に焼き椎茸に川魚など一通りの名物を頂ける。今回立ち寄ったのは三峰お犬茶屋山麓亭のお蕎麦です。
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