おおうおじんじゃ
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幻想的な風景の海中鳥居
太良町栄町の有明海には3基の海中鳥居があります。約300年前(1693年頃)島に置き去りにされた代官が大魚(ナミノウオ)に救われ、 感激した代官は魚の名を取って「大魚神社」を建て、岸から約2丁(約200メートル)の海中に鳥居も建てたといわれています。この鳥居は沖ノ島との間の鳥居であり、30年毎に建立する習わしが今も伝えられています
有明海に面した海中鳥居で有名な神社です。創建は不詳で、鳥居に関する由緒しか残っていないという変わった特色を持ちます。この鳥居も伝承にある悪代官を置き去りにした沖ノ島と対岸の多良岳と本社を一直線に結ぶように建てられています。
《社殿側の鳥居》
鳥居が持ち上げられがちですが、こちらが大魚神社です。
《舞殿》
《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
現在はこの海中鳥居の由来によって港の漁師たちの大漁満足、海上安全が祈願されていますが、
境内における神仏習合の名残や社殿の御堂に近い建築様式、そして多良岳の向かいにありながら太良町という近い地名を持つことから、本来は多良岳を遥拝する山岳信仰の神社だったのかもしれません。
《銀杏の木》
イチョウは昔から防火の願掛けとして社寺でよく植えられています。
《本殿》
流造です。
《銀杏と石碑?》
《お塚と祠》
左のお塚は「祇薗宮」と書かれています。
《六地蔵》
この灯籠がお地蔵さん?
《海側の鳥居》
30年毎に建て替えられるという鳥居たち。
この海上一番手前の鳥居が三輪鳥居のような、微妙に違うような特徴的な形をしています。
《月と海上道路》
この海中道路は干潮時にはこの港への荷揚げ用の作業道路となり、冬場は海苔の養殖が行われます。
《鳥居と対岸の眺望》
夜だとこの対岸の施設の明かりが見えるのかもしれません。
《沖ノ島への鳥居》
ハートマークがついています。
《観音像》
名称 | 大魚神社 |
---|---|
読み方 | おおうおじんじゃ |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 大魚大明神 |
---|---|
創建時代 | 不詳 |
創始者 | 不詳 |
本殿 | 一間社流造 |
ご由緒 | 約300年前(1693年頃)悪代官に手を焼いた地区民が示し合わせて沖ノ島に誘い酒盛りをした。酔った代官を島に置き去りにした。満ちてくる潮で島は沈みかけ、驚いた代官は竜神様に助けを求めた。すると、大魚(ナミウオ)が出て来て代官は魚の背中に乗って生還した。感激した代官は魚の名前を取って「大魚神社」を建て、岸から約2丁(約200m)の海中に鳥居も建てた。以後、海の安全と豊漁祈願が行われ、地区民の暮らしも豊かになった。この鳥居は沖ノ島との間の鳥居であり、30年毎に建立する習わしが今も伝えられている。 平成23年8月 栄町区
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体験 | 祭り伝説 |
Wikipediaからの引用
概要 | 大魚神社(おおうおじんじゃ)は、佐賀県藤津郡太良町多良にある神社。有明海に面した場所にあり、複数の鳥居が海中に建てられている。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創立年代は不明[1]。言い伝えによれば、沖ノ島に取り残された代官が大きな魚に助けられたことに感謝して建立されたという[2][1]。 諫早氏第6代諫早茂元の時代に、海運に関する祈願所として、社殿の再興(天和2年(1682年))や鳥居の建立(元禄6年(1693年))といった整備が行われた[1]。30年に一度、鳥居を建立する風習が伝わる[2][1]。 ^ a b c d 引用エラー: 無効な タグです。「isan」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません ^ a b 引用エラー: 無効な タグです。「asobo」という名前の注釈に対するテキ...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「大魚神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%A7%E9%AD%9A%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=101449178 |
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