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かにいじんじゃ

蟹井神社

公式大阪府 天見駅

参拝可能時間
朝7時~夕方18時

投稿する
080-5710-6870

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

最新のお知らせ

ご神徳は、
神武天皇(初代天皇 延命長寿、開運将来、病気治癒)、
応神天皇(国家鎮護、殖産興業、勝運招来)、
神功皇后(安産、子育て守護、学業祈願、病魔、厄除け、家内安全、開運招福)、
菅原道真…(学問・至誠・厄除け)とされる。

神功皇后のご神徳と蟹井神社の蟹の繁殖力にちなんで、子宝祈願、不妊治療守護、高齢出産守護、安産、子育て守護の祈願や、蟹の鋏(はさみ)にちなんで、縁切り、悪縁切り祈願に参拝される。 河内長野市、南海高野線天見駅から遊歩道で、徒歩10分です。

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御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

無料駐車場あり。

ご利益

蟹井神社について

秋に「提灯祭」という高提灯を仕立て祇園囃子を唄いながら参拝する祭礼があります。

湯立神事…10月の秋祭りでは土曜日の夜に湯立神事が行われ、大きな釜でお湯を沸かして、お供えの後、神主が榊や笹の葉を熱湯に浸して、氏子の皆さまに振り掛けます。

神輿渡御…湯立神事の翌日日曜日に、秋の例大祭が行われ、氏子崇敬者が神輿を担いで、御旅所まで歩きます。以前は、境内の一角にあった老松に神輿を力いっぱいぶつけていました。

神主より

当神社のことに限らず、神社に興味がある方、人生相談、悩みを聴いています。
個人情報やプライバシー保護、守秘義務に関しても、配慮しますのでご安心ください。
もちろん、お宮参り、七五三、地鎮祭、交通安全祈願など諸祈願も受け付けています。
歴史(詳しくなくても大丈夫です)や神社巡りが好きな人、交流を持ちたい人歓迎します。
メールアドレスまでご連絡ください。
宮司 大阪教育大大学院修了 明治大学卒業 社会福祉士 精神保健福祉士

歴史

1054年(天喜2年)創建と伝えられる。当初は甲斐神社と呼ばれていたが、1676年(延宝4年)に焼失後、再建されて蟹井神社に改称されたとされる。1692年(元禄5年)に書かれた「寺社吟味帳」には、蟹井八幡宮と書かれていた。1908年(明治41年)に岩瀬地区にあった菅原神社が合祀された。

橿原神宮へと続く神武東征ルート上にあり、日本の初代天皇神武天皇が、御東征の節紀の川を上り、紀見峠にて賊慮の状況を視察なされた時、今の神社の北側に天見川の大石、小石を集め磐境として神籬を建て、皇祖天津神を祀り給いて戦勝を祈願され、その後、天喜2年(1054年)に至り社殿を造立して8月19日神倭磐余彦命外三柱を祀ったとされる。

元弘、建武の頃は南朝、楠木正成(楠木氏:大楠公)の武将の戦勝の祈願所となった。神社の氏地である「出合ノ辻」は、南北朝時代の古戦場で、正慶2年(1333年)の正月に、楠木正成が率いた南朝軍と北朝軍とが、この辻で出くわして、「安満見合戦」と呼ばれる壮絶な合戦が行われた。現在でも所在地の天見は地名となっている。当時は宗厳なる社殿を存していたが、延宝四年炎上し、今の社殿は其の後の再建である。

明治5年に村社に列せられ、明治40年11月5日、岩瀬の村社菅原神社・若宮神社・住吉神社・若宮皇女神社・高良神社・八阪神社を合祀し、同41年12月神饌幣帛料共進社に指定される。

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蟹井神社の基本情報

住所大阪府河内長野市天見428
行き方

南海高野線天見駅下車。南に遊歩道に沿って12分(1キロ)の場所にあります。

アクセスを詳しく見る
名称蟹井神社
読み方かにいじんじゃ
通称かにいさん
参拝時間

参拝可能時間
朝7時~夕方18時

参拝にかかる時間

約20分

参拝料

本殿無料

トイレなし
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号080-5710-6870
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスsaionji77@gmail.com
ホームページhttps://kaniijinja.jimdo.com

詳細情報

ご祭神《主》神倭磐余彦命(神武天皇),《配》品陀和気命(応神天皇),息長足比売命(神功皇后),玉依比売命(神武天皇の母)
創建時代1054年(平安時代)
創始者神武天皇(神武東征ルート)、楠木正成(南朝)の戦勝祈願場所
ご由緒

1054年(天喜2年)創建と伝えられる。当初は甲斐神社と呼ばれていたが、1676年(延宝4年)に焼失後、再建されて蟹井神社に改称されたとされる。1692年(元禄5年)に書かれた「寺社吟味帳」には、蟹井八幡宮と書かれていた。1908年(明治41年)に岩瀬地区にあった菅原神社が合祀された。

橿原神宮へと続く神武東征ルート上にあり、日本の初代天皇神武天皇が、御東征の節紀の川を上り、紀見峠にて賊慮の状況を視察なされた時、今の神社の北側に天見川の大石、小石を集め磐境として神籬を建て、皇祖天津神を祀り給いて戦勝を祈願され、その後、天喜2年(1054年)に至り社殿を造立して8月19日神倭磐余彦命外三柱を祀ったとされる。

元弘、建武の頃は南朝、楠木正成(楠木氏:大楠公)の武将の戦勝の祈願所となった。神社の氏地である「出合ノ辻」は、南北朝時代の古戦場で、正慶2年(1333年)の正月に、楠木正成が率いた南朝軍と北朝軍とが、この辻で出くわして、「安満見合戦」と呼ばれる壮絶な合戦が行われた。現在でも所在地の天見は地名となっている。当時は宗厳なる社殿を存していたが、延宝四年炎上し、今の社殿は其の後の再建である。

明治5年に村社に列せられ、明治40年11月5日、岩瀬の村社菅原神社・若宮神社・住吉神社・若宮皇女神社・高良神社・八阪神社を合祀し、同41年12月神饌幣帛料共進社に指定される。

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