さいほういん|浄土宗|南向山
西方院のお参りの記録一覧
叡福寺のお向かいにある西方院に^ ^
ご住職に御朱印いただいた後、お庭もどうぞと言っていただき拝見させていただきました^ ^
また龍の天井画も教えていただき、覗き込んで拝見^ ^
聖徳太子三尼公御廟所。
本堂には聖徳太子作の阿弥陀如来尊像が安置され、納骨堂には聖徳太子の御遺髪が納められている。
本堂
納骨堂
堂内の天井には龍が描かれている
聖徳太子遺跡 三十三番霊場
新西国三十三箇所 八番
マンホールの蓋
西方院 参拝日 令和5年2月26日
新西国霊場第八番の御朱印と河内西国霊場第三番の御朱印を頂きました
本堂
観音堂
鐘楼
新西国霊場宝印帳のページ
新西国霊場第八番の御朱印
河内西国宝印帳のページ
河内西国霊場第三番の御朱印
叡福寺からこちらへ。石段をゆっくり登っていくと着きます。聖徳太子の侍女3名が、堂宇を立て、大師をお祀りしたのが始まりだそうです。
御朱印頂戴しました。
叡福寺から来ると石段の下に出ます。
山門の写真撮り忘れました。こちらは本堂。ここで参拝です。御朱印もここでいただけます。
(新西国三十三観音8番)
(河内西国観音3番)
叡福寺の道向かい、坂道を登ったところにあります。
622年に聖徳太子御薨去のあと、その侍女(乳母)であった、月益(蘇我馬子の娘)・日益(小野妹子の娘)・玉照(物部守屋の娘)の三人の姫がその御廟の当地において剃髪・出家されて尼僧となり、その名も善信・禅蔵・恵善と称されて、太子御廟の前に一宇を建立して、聖徳太子の御遺髪を納め、太子御作の阿弥陀如来尊像を安置して、ひたすら弥陀の西方浄土を欣求されたのが西方院の始まりで、最古の尼寺といわれています。
1574年の信長の兵火により堂宇は焼失してしまいましたが、ご本尊・阿弥陀如来像を担いで逃げた庵主を信長の兵士が執拗に追いかけて切りつけた刀傷が残っているとのことです。
また、境内の納骨堂には聖徳太子の遺髪(毛骨)が納まっていると伝えられています。
山門をくぐると、コンパクトではあるものの、とても素晴らしい御堂が正面にありました。
気のせいか?どことなく女性の優しい雰囲気がします。
本堂裏にカフェがあって、お庭を眺めての一服は至福でした。
御朱印(聖徳太子三尼御廟所)
御朱印(新西国三十三観音8番)
御朱印(河内西国観音3番)
御朱印(聖徳太子霊跡33番)
御朱印(日本最初尼院)
御朱印(限定)
叡福寺よりの坂道
赤門
山門
縁起
鐘楼堂
本堂
本堂内
本堂内陣
本堂内陣を支える獅子
本堂内陣彫刻
地蔵尊像
観音堂
観音堂内
庫裡
聖徳太子御遺髪納骨堂
本堂裏庭のカフェで一服
本堂裏庭
大阪府太子町にある西方院です。こちらには聖徳太子の御髪が納められています。太子信仰が非常に熱いです。
新西国霊場第8番札所でもあります。
西方院入口です。
本堂です。
見にくいですが観音堂の天井には龍が描かれています
本尊の阿弥陀如来の御朱印です。
新西国霊場8番の大悲観の御朱印です。
聖徳太子ゆかりのお寺。限定御朱印を授与していただきました。
2021年限定、南無佛太子御影御朱印
ご本尊「阿弥陀如来」、「聖徳太子御遺跡霊場第三十三番」御朱印
聖徳太子の御遺髪(毛骨)が納められている納骨堂。
聖徳太子を巡るシリーズ その4
新西国三十三霊場第8番、河内西国霊場第3番札所の浄土宗寺院。
ご本尊は阿弥陀如来、十一面観音菩薩。
正式名を南向山法楽寺。
聖徳太子の御待女である「三尼公」(月益姫・日益姫・玉照姫)の御廟所です。
聖徳太子の御理髪を納め、太子作の阿弥陀如来を安置しています。
叡福寺の向かいの坂を登り赤門が見えてきたら右手が境内です。
観音堂です。十一面観音が安置されています。
鐘楼
納骨堂。太子の理髪が収められているそうです。
本堂です。
中に入って阿弥陀如来を拝む事ができます。
いただいた御朱印です。
こちらはこの時期だけの特別な御朱印です。
大阪府のおすすめ3選🎌
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