さいほういん|浄土宗|南向山
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方西方院のお参りの記録一覧
絞り込み

#仏閣参拝 #御朱印 #神道 #神社検定
西方院(さいほういん)は、大阪府南河内郡太子町太子にある浄土宗の寺院。山号は南向山。寺号は法楽寺。本尊は阿弥陀如来。観音堂は新西国三十三箇所第8番札所で本尊は十一面観音である。
山号
南向山
院号
喜多院
宗派
浄土宗
本尊
阿弥陀如来
創建年
伝・推古天皇30年(622年)
開基
伝・三尼公(善信尼、禅蔵尼、恵善尼)
中興
蓮誉寿性尼
正式名
南向山 法楽寺 喜多院
別称
西方院
札所等
新西国三十三箇所第8番
河内西国霊場第3番
聖徳太子霊跡第33番
『河内名所図会』等に見える伝承によれば、推古天皇30年(622年)に聖徳太子が死去した後に出家した三人の侍女、善信尼(俗名月益、蘇我馬子の娘)・禅蔵尼(俗名日益、小野妹子の娘)・恵善尼(俗名玉照、物部守屋の娘)により、聖徳太子廟がある叡福寺の門前に、その塔頭として法楽寺の寺号で創建されたといい、聖徳太子作の阿弥陀如来像を本尊として祀り、遺髪を納めたと伝わる。
この三人の尼はそもそもは太子の乳母であったという。
その後、三尼公はひたすら阿弥陀如来の西方極楽浄土を欣求していたとされる。これによって当寺は常行念仏最古の道場で念仏の根源の地であるという。
以上の縁起から、日本最古の尼寺であるともいう。ただし、『日本書紀』によれば、善信尼は司馬達等の娘、恵善尼は錦織壺の娘で、出家したのは敏達天皇13年(584年)であり、日本最古の尼寺は飛鳥の豊浦寺であるとしている。
寺伝では、天正2年(1574年)に河内国に攻め込んできた明智光秀によって焼かれたという。
江戸時代初期の寛永16年(1639年)に衰退し荒廃していた当寺を浄土宗の蓮誉寿性尼が中興して本堂を再建し、名称を西方院と改めた。
かつては叡福寺の塔頭であったが、現在は独立している。
もっと読む



(新西国三十三観音8番)
(河内西国観音3番)
叡福寺の道向かい、坂道を登ったところにあります。
622年に聖徳太子御薨去のあと、その侍女(乳母)であった、月益(蘇我馬子の娘)・日益(小野妹子の娘)・玉照(物部守屋の娘)の三人の姫がその御廟の当地において剃髪・出家されて尼僧となり、その名も善信・禅蔵・恵善と称されて、太子御廟の前に一宇を建立して、聖徳太子の御遺髪を納め、太子御作の阿弥陀如来尊像を安置して、ひたすら弥陀の西方浄土を欣求されたのが西方院の始まりで、最古の尼寺といわれています。
1574年の信長の兵火により堂宇は焼失してしまいましたが、ご本尊・阿弥陀如来像を担いで逃げた庵主を信長の兵士が執拗に追いかけて切りつけた刀傷が残っているとのことです。
また、境内の納骨堂には聖徳太子の遺髪(毛骨)が納まっていると伝えられています。
山門をくぐると、コンパクトではあるものの、とても素晴らしい御堂が正面にありました。
気のせいか?どことなく女性の優しい雰囲気がします。
本堂裏にカフェがあって、お庭を眺めての一服は至福でした。
大阪府のおすすめ3選🎌
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ


































































