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西方院ではいただけません
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さいほういん|浄土宗南向山

西方院
大阪府 上ノ太子駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
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パーキング
駐車場
あり

あり

巡礼

その他の巡礼の情報

新西国三十三箇所第8番
聖徳太子霊跡第33番
河内西国霊場第3番

西方院について

三尼公御廟所


聖徳太子薨去後、聖徳太子の三人の侍女、月益姫、日益姫、玉照姫(それぞれ蘇我馬子、小野妹子、物部守屋の娘と伝わる)が出家し、善信・禅蔵・恵善と名乗り、叡福寺の門前に創建し、菩提を弔ったと伝わる。

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ますみん
ますみん
2022年03月19日(土)
822投稿

(新西国三十三観音8番)
(河内西国観音3番)

叡福寺の道向かい、坂道を登ったところにあります。

622年に聖徳太子御薨去のあと、その侍女(乳母)であった、月益(蘇我馬子の娘)・日益(小野妹子の娘)・玉照(物部守屋の娘)の三人の姫がその御廟の当地において剃髪・出家されて尼僧となり、その名も善信・禅蔵・恵善と称されて、太子御廟の前に一宇を建立して、聖徳太子の御遺髪を納め、太子御作の阿弥陀如来尊像を安置して、ひたすら弥陀の西方浄土を欣求されたのが西方院の始まりで、最古の尼寺といわれています。
1574年の信長の兵火により堂宇は焼失してしまいましたが、ご本尊・阿弥陀如来像を担いで逃げた庵主を信長の兵士が執拗に追いかけて切りつけた刀傷が残っているとのことです。
また、境内の納骨堂には聖徳太子の遺髪(毛骨)が納まっていると伝えられています。

山門をくぐると、コンパクトではあるものの、とても素晴らしい御堂が正面にありました。
気のせいか?どことなく女性の優しい雰囲気がします。
本堂裏にカフェがあって、お庭を眺めての一服は至福でした。

西方院の御朱印

御朱印(聖徳太子三尼御廟所)

西方院の御朱印

御朱印(新西国三十三観音8番)

西方院の御朱印

御朱印(河内西国観音3番)

西方院の御朱印

御朱印(聖徳太子霊跡33番)

西方院の御朱印

御朱印(日本最初尼院)

西方院の御朱印

御朱印(限定)

西方院の建物その他

叡福寺よりの坂道

西方院の山門

赤門

西方院の山門

山門

西方院の歴史

縁起

西方院の建物その他

鐘楼堂

西方院(大阪府)

本堂

西方院の本殿

本堂内

西方院(大阪府)

本堂内陣

西方院の建物その他

本堂内陣を支える獅子

西方院の本殿

本堂内陣彫刻

西方院の地蔵

地蔵尊像

西方院の建物その他

観音堂

西方院の建物その他

観音堂内

西方院の建物その他

庫裡

西方院の建物その他

聖徳太子御遺髪納骨堂

西方院の食事

本堂裏庭のカフェで一服

西方院の庭園

本堂裏庭

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歴史

聖徳太子御侍女三尼公御廟所西方院は、常行念仏最古の道場でお念仏の根源の地であります。
即ち、推古天皇の30年(西暦622年)に聖徳太子御薨去のあと、月益(蘇我馬子の娘)・日益(小野妹子の娘)・玉照(物部守屋の娘)三姫は剃髪され、その名も善信・禅蔵・恵善と称されて、太子御廟の前に一宇を建立して、太子の御遺髪を納め、太子御作の阿弥陀如来尊像を安置して、ひたすら弥陀の西方浄土を欣求されたとつたえられております。

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西方院の基本情報

住所大阪府南河内郡太子町太子1663
行き方

近鉄長野線喜志駅より金剛バス、太子前バス停下車
近鉄南大阪線上ノ太子駅より金剛バス、太子前バス停下車

アクセスを詳しく見る

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名称西方院
読み方さいほういん
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0721-98-0133
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.saihoin.com

巡礼の詳細情報

新西国三十三箇所

第8番

御本尊:十一面観音

御詠歌:

むらさきに 雲のにほひて 観世音 在(おわ)しまします 西方の空

河内西国霊場

第3番

御本尊:阿弥陀如来

御詠歌:

紫に 雲の匂ひて 観世音 おはしまします 西方の寺

聖徳太子霊跡

第33番

御本尊:阿弥陀如来\n十一面観音

詳細情報

ご本尊阿弥陀如来・十一面観世音菩薩
山号南向山
院号喜多院
宗旨・宗派浄土宗
創建時代622年
開山・開基聖徳太子の三侍女
ご由緒

聖徳太子御侍女三尼公御廟所西方院は、常行念仏最古の道場でお念仏の根源の地であります。
即ち、推古天皇の30年(西暦622年)に聖徳太子御薨去のあと、月益(蘇我馬子の娘)・日益(小野妹子の娘)・玉照(物部守屋の娘)三姫は剃髪され、その名も善信・禅蔵・恵善と称されて、太子御廟の前に一宇を建立して、太子の御遺髪を納め、太子御作の阿弥陀如来尊像を安置して、ひたすら弥陀の西方浄土を欣求されたとつたえられております。

体験有名人のお墓

Wikipediaからの引用

概要
西方院(さいほういん)は、大阪府南河内郡太子町太子にある浄土宗の寺院。山号は南向山。寺号は法楽寺。本尊は阿弥陀如来。観音堂は新西国三十三箇所第8番札所で本尊は十一面観音である。
歴史
歴史[編集] 『河内名所図会』等に見える伝承によれば、推古天皇30年(622年)に聖徳太子が死去した後に出家した三人の侍女、善信尼(俗名月益、蘇我馬子の娘)・禅蔵尼(俗名日益、小野妹子の娘)・恵善尼(俗名玉照、物部守屋の娘)により、聖徳太子廟がある叡福寺の門前に[1]その塔頭として法楽寺の寺号で創建されたといい、聖徳太子作の阿弥陀如来像を本尊として遺髪を納めたと伝わる。 以上の縁起から、日本最古の尼寺であるともいう。ただし、『日本書紀』によれば、善信尼は司馬達等の娘、恵善尼は錦織壺の娘で、出家したのは敏達天皇13年(584年)であり、日本最古の尼寺は飛鳥の豊浦寺である。 寺伝では天正2年...Wikipediaで続きを読む
アクセス
アクセス[編集] 近鉄長野線 喜志駅または近鉄南大阪線 上ノ太子駅から、金剛バス太子線・喜志循環線「太子前」バス停下車、徒歩3分。
引用元情報西方院 (大阪府太子町)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%A5%BF%E6%96%B9%E9%99%A2%20%28%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E5%A4%AA%E5%AD%90%E7%94%BA%29&oldid=99508240
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