御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方
【サポーター特典】幸せと健康を毎月ご祈願
100年後に神社お寺を残せる未来へ

さいほういん|浄土宗南向山

西方院
大阪府 上ノ太子駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

あり

巡礼

その他の巡礼の情報

新西国三十三箇所第8番
聖徳太子霊跡第33番
河内西国霊場第3番

西方院について

三尼公御廟所


聖徳太子薨去後、聖徳太子の三人の侍女、月益姫、日益姫、玉照姫(それぞれ蘇我馬子、小野妹子、物部守屋の娘と伝わる)が出家し、善信・禅蔵・恵善と名乗り、叡福寺の門前に創建し、菩提を弔ったと伝わる。

おすすめの投稿

鈍行丸まぁくん
鈍行丸まぁくん
2025年12月01日(月) 12時19分18秒
30投稿

#仏閣参拝 #御朱印 #神道 #神社検定
西方院(さいほういん)は、大阪府南河内郡太子町太子にある浄土宗の寺院。山号は南向山。寺号は法楽寺。本尊は阿弥陀如来。観音堂は新西国三十三箇所第8番札所で本尊は十一面観音である。

山号
南向山

院号
喜多院

宗派
浄土宗

本尊
阿弥陀如来

創建年
伝・推古天皇30年(622年)

開基
伝・三尼公(善信尼、禅蔵尼、恵善尼)

中興
蓮誉寿性尼

正式名
南向山 法楽寺 喜多院

別称
西方院

札所等
新西国三十三箇所第8番
河内西国霊場第3番
聖徳太子霊跡第33番

『河内名所図会』等に見える伝承によれば、推古天皇30年(622年)に聖徳太子が死去した後に出家した三人の侍女、善信尼(俗名月益、蘇我馬子の娘)・禅蔵尼(俗名日益、小野妹子の娘)・恵善尼(俗名玉照、物部守屋の娘)により、聖徳太子廟がある叡福寺の門前に、その塔頭として法楽寺の寺号で創建されたといい、聖徳太子作の阿弥陀如来像を本尊として祀り、遺髪を納めたと伝わる。
この三人の尼はそもそもは太子の乳母であったという。

その後、三尼公はひたすら阿弥陀如来の西方極楽浄土を欣求していたとされる。これによって当寺は常行念仏最古の道場で念仏の根源の地であるという。

以上の縁起から、日本最古の尼寺であるともいう。ただし、『日本書紀』によれば、善信尼は司馬達等の娘、恵善尼は錦織壺の娘で、出家したのは敏達天皇13年(584年)であり、日本最古の尼寺は飛鳥の豊浦寺であるとしている。

寺伝では、天正2年(1574年)に河内国に攻め込んできた明智光秀によって焼かれたという。

江戸時代初期の寛永16年(1639年)に衰退し荒廃していた当寺を浄土宗の蓮誉寿性尼が中興して本堂を再建し、名称を西方院と改めた。

かつては叡福寺の塔頭であったが、現在は独立している。

西方院(大阪府)

住職による直書き御朱印🙏

西方院(大阪府)
西方院(大阪府)
西方院(大阪府)
西方院(大阪府)
西方院(大阪府)
西方院(大阪府)
西方院(大阪府)
西方院(大阪府)
西方院(大阪府)
西方院(大阪府)
西方院(大阪府)
西方院(大阪府)

銀杏が美しい

もっと読む
投稿をもっと見る|
28

歴史

聖徳太子御侍女三尼公御廟所西方院は、常行念仏最古の道場でお念仏の根源の地であります。
即ち、推古天皇の30年(西暦622年)に聖徳太子御薨去のあと、月益(蘇我馬子の娘)・日益(小野妹子の娘)・玉照(物部守屋の娘)三姫は剃髪され、その名も善信・禅蔵・恵善と称されて、太子御廟の前に一宇を建立して、太子の御遺髪を納め、太子御作の阿弥陀如来尊像を安置して、ひたすら弥陀の西方浄土を欣求されたとつたえられております。

歴史をもっと見る|
1

西方院の基本情報

住所

大阪府南河内郡太子町太子1663

行き方

近鉄長野線喜志駅より金剛バス、太子前バス停下車
近鉄南大阪線上ノ太子駅より金剛バス、太子前バス停下車

アクセスを詳しく見る
名称

西方院

読み方

さいほういん

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号0721-98-0133
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.saihoin.com

巡礼の詳細情報

新西国三十三箇所

第8番

仏さま:十一面観音

御詠歌:

むらさきに 雲のにほひて 観世音 在(おわ)しまします 西方の空

河内西国霊場

第3番

仏さま:阿弥陀如来

御詠歌:

紫に 雲の匂ひて 観世音 おはしまします 西方の寺

聖徳太子霊跡

第33番

仏さま:阿弥陀如来\n十一面観音

詳細情報

ご本尊阿弥陀如来・十一面観世音菩薩
山号

南向山

院号

喜多院

宗旨・宗派浄土宗
創建時代

622年

開山・開基

聖徳太子の三侍女

ご由緒

聖徳太子御侍女三尼公御廟所西方院は、常行念仏最古の道場でお念仏の根源の地であります。
即ち、推古天皇の30年(西暦622年)に聖徳太子御薨去のあと、月益(蘇我馬子の娘)・日益(小野妹子の娘)・玉照(物部守屋の娘)三姫は剃髪され、その名も善信・禅蔵・恵善と称されて、太子御廟の前に一宇を建立して、太子の御遺髪を納め、太子御作の阿弥陀如来尊像を安置して、ひたすら弥陀の西方浄土を欣求されたとつたえられております。

体験有名人のお墓
「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
行った
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ