だいりんじ|融通念仏宗
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布忍神社様から西除川を渡るとすぐに大林寺様です。
大林寺様は融通念仏宗のお寺様です。
大林寺様は元は現在の堺市美原区大饗(オワイ)に
立地されていましたが明治元年に廃寺になりました。
現在の大林寺様が立地されている地には念仏寺という
別の寺院があったのですが こちらも明治元年に
廃寺になります。
明治11年に念仏寺の跡地に大林寺様が再興されます。
その際に同じく廃寺になった「布忍寺」の御本尊や
寺宝が大林寺様へ移されています。
大林寺様の宗派は融通念仏宗なので御本尊は
阿弥陀如来になるのですが 移された十一面観音も
お祀りされています。
色々なものがギュッと詰まった境内でした。
残念ながらお寺の方はお見えにならなかったので
御本堂の前で手を合わせ 境内から退がらせて
いただきました。


大阪府内の寺院巡りの3寺目は、2寺目の大阪市住吉区から南東に行った松原市に在る布忍山 大林寺です。
融通念仏宗で、本尊は阿弥陀如来。
こちら所蔵の十一面観音立像は、市指定文化財です。
8月9日は千日詣で、8 時~17時に十一面観音 立像の厨子が開扉されるそうですが、事前予約すれば拝観させて頂けるとの事で、今回予約してから伺いました。
創建等は不詳、1878年に堺市から移転した。
この辺りに、1089年に堀河天皇の勅願により永興律師が創建した永興寺(布忍寺)があった。往時は七堂伽藍を有する大寺院であったが、明治初期の廃仏毀釈により1873年に廃寺となり永興寺の本尊(十一面観音)や大般若経六百巻がこの大林寺に遷されました。(不動明王坐像、弘法大師坐像も。)
寺院の駐車場はありませんので近くのコインパーキングに駐車。南北に流れる川沿いに寺院がありますが、山門は南側向きで細い路地から。
山門横の左側に地蔵堂。山門をくぐると正面に本堂、左側に聖天堂、右側に庫裏への入口。こぢんまりとした境内です。
庫裏へ行って拝観予約した者と伝えると本堂へ行ってくれと。早速、本堂を開けて頂き、上がらせて頂きました。写真撮影OKとのお言葉はとても有難かった。
正面須弥壇に本尊の阿弥陀三尊像、右側の壇に不動明王坐像と弘法大師坐像、左側の厨子に十一面観音立像です。阿弥陀三尊像以外は廃寺となった永興寺から遷されたもの。
中尊の阿弥陀如来立像は室町時代の作と思われますが丁寧に彫られた綺麗な像です。
目当ての十一面観音立像は、高さ171.5cm、桧の一木造、平安時代後期の10世紀末~11世紀初めの作。纏まりが良く、穏やかな表情でいいお顔をされています。作者はわからないにしても、そこそこ古い製作なので重文には難しいとしても府指定文化財でもおかしくはないと思いましたが、髪部、鼻先を彫り直し、背面に修補跡があるそうで、それが市指定文化財止まりの要因かなと思いました。また、遷される前の永興寺は1089年創建であり、十一面観音立像の製作の方がそれ以前のため、永興寺創建に際しての製作とは考え難く、永興寺の前身の堂宇に祀られていたか、別の地より移坐されたものと考えられています。
最後に御朱印を頂戴して失礼する事にしました。その際、ご住職より「また近くに来られたらお寄り下さい。」と有難いお言葉を頂きました。是非また観音様にお会いしたいですね。



(河内西国観音5番)
かつて七堂伽藍の広大な寺院であった永興寺の跡と伝えられる地域から、川を隔てたところにあります。
永興寺は、奈良時代の僧永興律師によって草創され、布忍寺と名付けられたとされています。のち1278年に中興され、草創の永興律師にちなんで永興寺と呼ばれるようになったと伝えられています。
その後1690年に再興され、幾度か衰退と復興をくり返しながら、ついに廃仏毀釈の動きの中で廃寺となるに至り、いくつかの所蔵品がこの大林寺に移されたそうです。
平安後期の作といわれる木造十一面観音立像、室町時代の木造不動明王座像、江戸時代の肉筆による大般若経六百巻、江戸時代中期の十一面観音の版木などなど…永興寺の隆盛の名残ともいうべき貴重な遺物、資料が残されています。
境内は、本当にコンパクトです。本堂内に安置されている観音様は、お顔が優しくて、ずっと見入ってしまいました。
限りなく国宝に近いものだといわれているだけあり、それがこんなに近くで拝観できるのはすごくありがたかったです。
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