だいほんざんしっぽうりゅうじ|真言宗犬鳴派|犬鳴山
大本山七宝瀧寺の御由緒・歴史
ご本尊 | 倶利伽羅大龍不動明王 | |
---|---|---|
創建時代 | 661年 | |
開山・開基 | 役行者 | |
ご由緒 | 寺伝によれば犬鳴山は、斉明天皇の七年(西暦661年)、修験道の開祖である役小角(えんのおずぬ)が二十八歳の時に開基されました。
次に寺号七宝瀧寺については、平安時代初期の淳和天皇(西暦823~833年)の時大旱魃(だいかんばつ)に見舞われ、天皇は諸国の霊山・神社仏閣に請雨祈願をさせたところ、和泉国で降雨があった。犬鳴山での修法に霊験を見た天皇は、山中にある七滝を、金銀などの七宝になぞらえて、寺号を七宝瀧寺に命名し賜りました。
山号を犬鳴山と称するのは、宇多天皇の時代(西暦890年)3月に起こった説話が由来となっております。
| |
歴史 | 歴史[編集] 斉明天皇7年(661年)、役小角によって大峰山山上ヶ岳が開かれる6年前に開山したと伝わり、元山上と呼ばれている。古くは犬鳴山を含む和泉山系全体を「葛城」と呼び、その中でも犬鳴山は西の行場、東の行場を持つ葛城二十八宿修験道の根本道場である。 平安時代初期、大干ばつに見舞われた際に雨乞いを祈願して雨が降り、それを知った淳和天皇が「七宝瀧寺」と名付けたという。 宇多天皇の時代、寛平2年(890年)3月、紀伊国の猟師がこの山域で狩りをしていた際、突然連れていた犬が激しく鳴き出し、結果猟師が射ようとしていた鹿が逃げてしまった。怒った猟師は犬の首をはねたのだが、その首はそれでも飛び跳ね...Wikipediaで続きを読む | |
引用元情報 | 「七宝瀧寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%B8%83%E5%AE%9D%E7%80%A7%E5%AF%BA&oldid=102004876 |
大阪府のおすすめ🍁
歴史の写真一覧
大阪府のおすすめ🍁
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ