すみよしたいしゃ
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楽しみ方住吉大社のお参りの記録(3回目)
投稿日:2026年06月14日(日) 00時38分37秒
参拝:2026年5月吉日
すみよっさん
御田植神事や夏越祓神事は、その起源を創祀の時代とし、太古から続く儀式を今に伝えています。
「商都大阪」らしさにあふれる初辰まいりは、住吉大社ならではの信仰です。
日々の生活も商売もずっと成長してほしい─発達祈願に由来します。
月に一度の神様のご挨拶に、全国各地から人々が訪れます。
御田植神事や夏越祓神事は、その起源を創祀の時代とし、太古から続く儀式を今に伝えています。
「商都大阪」らしさにあふれる初辰まいりは、住吉大社ならではの信仰です。
日々の生活も商売もずっと成長してほしい─発達祈願に由来します。
月に一度の神様のご挨拶に、全国各地から人々が訪れます。

■社号標

■国宝「源氏物語関屋澪標図屏風」の『澪標図』の原寸大陶板屏風。
境内を訪れると、俵屋宗達が描いた華麗な平安絵巻の世界を実物大の迫力で体感することができます。
境内を訪れると、俵屋宗達が描いた華麗な平安絵巻の世界を実物大の迫力で体感することができます。

■初辰まいり

■祈祷殿
御朱印などが拝受頂けます。
御朱印などが拝受頂けます。

■車 おはらい所


■五社
種貸社から楠珺社に向かう参道沿いに鎮座されています。(神苑の外周沿い)
種貸社から楠珺社に向かう参道沿いに鎮座されています。(神苑の外周沿い)

住吉の神職七家祖神をお祀りしています。七家とは、住吉大神をお祭りされた初代神主・田裳見宿禰(たもみのすくね)の七人の子より始まる神職の家です。 春と秋に例祭が執り行われます。

●御祭神
神奴の祖神
神奴の祖神

●御祭神
大宅の祖神
大宅の祖神

●御祭神
津の祖神、高木の祖神
津の祖神、高木の祖神

●御祭神
板屋の祖神、狛の祖神
板屋の祖神、狛の祖神

●御祭神
大領の祖神
大領の祖神



■招魂社(しょうこんしゃ)
●御祭神
諸霊神
(もろもろのみたまのかみ)
●御祭神
諸霊神
(もろもろのみたまのかみ)

神職をはじめ住吉大社に縁の深い人達を祖霊神として祀っています。春分の日と秋分の日の2回お祭りがあります。


■薄墨社(うすずみしゃ)
●御祭神
国基霊神
(くにもとのみたまのかみ)
津守国基は第39代津守神主で11世紀ごろに在世しました。
津守神主は歴代歌人を多数輩出していますが、特に津守国基は和歌の名手として誉れ高かった人物です。
●御祭神
国基霊神
(くにもとのみたまのかみ)
津守国基は第39代津守神主で11世紀ごろに在世しました。
津守神主は歴代歌人を多数輩出していますが、特に津守国基は和歌の名手として誉れ高かった人物です。

また、神主職とともに朝廷の官職を兼務して中央政界にいても大いに活躍されました。その在世中の活躍と英才は「津守中興の神主」としても後世から特に尊崇を受けております。

■斯主社(このぬししゃ)
●御祭神
国盛霊神
(こくもりのみたまのかみ)
津守国盛は第43代津守神主で12世紀ごろに在世しました。
国盛は住吉神主でありながらも三河国石巻神社祀職や長門国住吉社預所等を兼務するなど活躍し、有徳敏腕の人であったといわれます。
●御祭神
国盛霊神
(こくもりのみたまのかみ)
津守国盛は第43代津守神主で12世紀ごろに在世しました。
国盛は住吉神主でありながらも三河国石巻神社祀職や長門国住吉社預所等を兼務するなど活躍し、有徳敏腕の人であったといわれます。

国盛は後世まで国守明神として特に尊崇され、『住吉名勝図絵』には神主国盛に註して「当社の荒魂」と記されているほどです。

■今主社(いまぬししゃ)
●御祭神
国助霊神
(第48代・津守神主)
御祭神の国助は当社第48代神主です。2度の元寇でモンゴルが北九州に攻めてきたときには、国を挙げて祈願し、住吉大社でも朝敵降伏を祈ったといわれてます。また、生前より霊感が異常にすぐれていたそうです。
●御祭神
国助霊神
(第48代・津守神主)
御祭神の国助は当社第48代神主です。2度の元寇でモンゴルが北九州に攻めてきたときには、国を挙げて祈願し、住吉大社でも朝敵降伏を祈ったといわれてます。また、生前より霊感が異常にすぐれていたそうです。

■八所社(はっしょしゃ)
●御祭神
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
●御祭神
素盞嗚尊(すさのおのみこと)

京都八坂神社の祇園信仰のお社で、疫病・厄除け・暦・方位の神さまです。特に創業の守護神として信仰されています。


■新宮社(しんぐうしゃ)
●御祭神
伊邪那美命 (いざなみのみこと)
事解男命 (ことさかのおのみこと)
速玉男命 (はやたまのおのみこと)
●御祭神
伊邪那美命 (いざなみのみこと)
事解男命 (ことさかのおのみこと)
速玉男命 (はやたまのおのみこと)

住吉大社のすぐ東側に通る熊野街道沿いには、熊野詣の最盛期であった平安後期から鎌倉にかけて熊野神の遥拝として一里ごとに熊野三所権現が祀られ、その数の多さから「熊野九十九王子」と呼ばれていました。

その内の一つ「津守王子社」が現在の住吉大社末社「新宮社」であると伝えられています。



■安田清風歌碑
和歌独特の流れるような筆致で刻まれています。
和歌独特の流れるような筆致で刻まれています。

■高蔵
南北2棟からなります。かつては神宝を収めたもので、現在は祭具を収蔵しています。
南北2棟からなります。かつては神宝を収めたもので、現在は祭具を収蔵しています。

■五所御前(五大力石)
願い事が叶う石
第一本宮南側に位置し『五所御前』という場所です。
約1800年前に住吉大神鎮座の際、最初にお祀りされた場所と伝えられる神聖な場所です。
願い事が叶う石
第一本宮南側に位置し『五所御前』という場所です。
約1800年前に住吉大神鎮座の際、最初にお祀りされた場所と伝えられる神聖な場所です。

体力・智力・財力・福力・寿力を授かるといわれており、御守にして持つと心願成就というわけです。

願い事が叶いましたら、石を倍にしてお返しください。返納の石(感謝の小石)は、御守授与所でお求めいただきご自身が拾われた石と共に五所御前にお返しください。

この場所はたいへん神聖な場所でありますので、皆さま節度ある行動でルールを守り、石を拾いましょう。

『五』『大』『力』と書かれた石を拾い御守にすると願い事が叶うという信仰があります。

■海龍社
●御祭神
詳細は不明
古くから龍神さまがお祀りされています。
●御祭神
詳細は不明
古くから龍神さまがお祀りされています。



■光台院親王の歌碑
(後鳥羽天皇の皇子)
「すみよしの ゆふしでなびく 松風に うらなみしろく かくるうのはな」
(住吉の ゆうしで靡く 松風に 浦波白く かくる卯の花)
かつて住吉大社の太鼓橋周辺まで海が広がっていたという当時の情景と、波の白さと卯の花の白さが重なる美しさを表現した歌とされています。
(後鳥羽天皇の皇子)
「すみよしの ゆふしでなびく 松風に うらなみしろく かくるうのはな」
(住吉の ゆうしで靡く 松風に 浦波白く かくる卯の花)
かつて住吉大社の太鼓橋周辺まで海が広がっていたという当時の情景と、波の白さと卯の花の白さが重なる美しさを表現した歌とされています。

■卯の花苑」
品種: サラサウツギ、バイカウツギ、ハコネウツギなど
大阪市内でも数少ない卯の花の名所
5月初旬の「卯之葉神事」に合わせて一般公開され、13品種500株におよぶ白や淡紅、紫紅色の美しい花々が毎年多くの参拝者を魅了します。
品種: サラサウツギ、バイカウツギ、ハコネウツギなど
大阪市内でも数少ない卯の花の名所
5月初旬の「卯之葉神事」に合わせて一般公開され、13品種500株におよぶ白や淡紅、紫紅色の美しい花々が毎年多くの参拝者を魅了します。








■住吉神兎(すみよしうさぎ)
兎の体を撫でて無病息災を祈願してください。
兎の体を撫でて無病息災を祈願してください。

第四本宮前にあり「なでうさぎ」とも呼ばれています。

住吉大社の鎮座が辛卯年卯月卯日(卯=兎)に因み、兎は神様のお使いとされております。




■翫物商常夜石灯篭
(がんぶつしょう)
大坂の玩具・人形商の商人たちが業界の発展や商売繁盛を祈願して建立しました。
(がんぶつしょう)
大坂の玩具・人形商の商人たちが業界の発展や商売繁盛を祈願して建立しました。

本殿へと続く石畳の参道脇にあり、住吉大社 に数ある600基以上の石灯籠の中でも特に背が高く大きいものの一つとして知られています。


■大伴大江丸の句碑
(おおとものおおえまる)
けいさの おやぢが さくら
※Gemini解析
(おおとものおおえまる)
けいさの おやぢが さくら
※Gemini解析

■井原西鶴の句碑
(いはらさいかく)
何と世に桜も咲かず下戸ならば
○意味
もしもこの世の人がみんなお酒を飲めない人(下戸)ばかりであったなら、桜の花も咲きようがないだろう(桜が咲いて賑やかに花見をする甲斐もないだろう)。
(いはらさいかく)
何と世に桜も咲かず下戸ならば
○意味
もしもこの世の人がみんなお酒を飲めない人(下戸)ばかりであったなら、桜の花も咲きようがないだろう(桜が咲いて賑やかに花見をする甲斐もないだろう)。

■めがねの碑
大阪城築城400年を記念して眼鏡業界の発展を願って建てられました。
毎年10月の「目の愛護デー」には、この碑の前で古いメガネを供養する「眼鏡碑祈念祭」が行われています。
大阪城築城400年を記念して眼鏡業界の発展を願って建てられました。
毎年10月の「目の愛護デー」には、この碑の前で古いメガネを供養する「眼鏡碑祈念祭」が行われています。

■川端康成文学碑
ノーベル文学賞作家・川端康成の短編小説『反橋』の冒頭の一節が刻まれています。
ノーベル文学賞作家・川端康成の短編小説『反橋』の冒頭の一節が刻まれています。

碑文の「反橋は上がるよりおりる方がこわいものです。私は母に抱かれておりました。」という文字は、川端康成の自筆によるものです。

■神馬像

■龍社(たつしゃ)
●御祭神
水波野女神 (みづはのめのかみ)
●御祭神
水波野女神 (みづはのめのかみ)

住吉の地には大海神社の竜宮伝説にあるように、この龍社も元は御井殿社と称されており竜宮とも呼ばれていました。

伝えによれば「海幸彦山幸彦伝説」に登場する海宮の神井の聖跡をお祀りしたものだといわれております。

■桂米朝さん顕彰碑
戦後の上方落語の復興に尽力した人間国宝、桂米朝さんの顕彰碑です。
桂米朝さんの揮毫した「一期一会」の文字が刻まれています。
※記念碑は境内船玉神社前
戦後の上方落語の復興に尽力した人間国宝、桂米朝さんの顕彰碑です。
桂米朝さんの揮毫した「一期一会」の文字が刻まれています。
※記念碑は境内船玉神社前

■神館

■市戎社・大国社
●御祭神
・市戎社 事代主命
(ことしろぬしのみこと)
・大国社 大国主命
(おおくにぬしのみこと)
商売繁昌の神様
●御祭神
・市戎社 事代主命
(ことしろぬしのみこと)
・大国社 大国主命
(おおくにぬしのみこと)
商売繁昌の神様

住吉の「えべっさん」として多くの信仰を集め、毎年正月9日、10日の神事には大勢の参詣者で賑わいます。

向かって左に事代主命(えびす)、右に大国主命(だいこく)をお祀りしています。
エビス信仰は全国に広まっておりますが、住吉のエビス神は歴史が古く、鎌倉時代には既に江比須社として存在しており、その起源は古いとされています。
エビス信仰は全国に広まっておりますが、住吉のエビス神は歴史が古く、鎌倉時代には既に江比須社として存在しており、その起源は古いとされています。

■天皇陛下御在位
六十年奉祝記念碑
昭和天皇が詠まれた御製(短歌)が刻まれています。
いくさのあと いたましかりし 町々も わが訪ふことに 立ちなほりゆく
○意味
戦争の傷跡が痛々しかった町々も、私が訪れるたびに立ち直り、復興が進んでいる様子を詠んでいます。
六十年奉祝記念碑
昭和天皇が詠まれた御製(短歌)が刻まれています。
いくさのあと いたましかりし 町々も わが訪ふことに 立ちなほりゆく
○意味
戦争の傷跡が痛々しかった町々も、私が訪れるたびに立ち直り、復興が進んでいる様子を詠んでいます。

■神馬舎

■阿波野青畝の句碑
(あわの せいほ)
松苗や 鳥知る千木に まてのひむ
○意味
いま植えられたばかりの小さな松の苗木が、やがて神社の高い屋根にそびえる千木にまで届くほど、高く立派に伸びていくのだろう。
(あわの せいほ)
松苗や 鳥知る千木に まてのひむ
○意味
いま植えられたばかりの小さな松の苗木が、やがて神社の高い屋根にそびえる千木にまで届くほど、高く立派に伸びていくのだろう。

■宮本顕一揮毫歌碑
大阪市立大学(現・大阪公立大学)の元教授で、地域経済や公害研究の権威であった経済学者・宮本顕一(みやもと けんいち)氏の筆によって建てられた石碑です。
大阪市立大学(現・大阪公立大学)の元教授で、地域経済や公害研究の権威であった経済学者・宮本顕一(みやもと けんいち)氏の筆によって建てられた石碑です。

■遣唐使進発の地 の碑
昔から海上や航海の安全を祈願する船主、船乗り、海運関係者などから深い信仰を受けてきた。知る人ぞ知る「海での守り神」として 崇められてきた。
遣唐使は630年に第一回派遣、以後18回にわたり派遣されたが、894年の第19回の派遣は菅原道真の建議により中止された。
昔から海上や航海の安全を祈願する船主、船乗り、海運関係者などから深い信仰を受けてきた。知る人ぞ知る「海での守り神」として 崇められてきた。
遣唐使は630年に第一回派遣、以後18回にわたり派遣されたが、894年の第19回の派遣は菅原道真の建議により中止された。
すてき
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。





