たまつくりいなりじんじゃぶんしゃ
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玉造稲荷神社分社のお参りの記録一覧
「浪花講」発祥の地
大阪r173長堀通沿い北側。道を挟んだところに清水谷高校。
駐車場なし。神社裏路地もポール立ってる。
石標と「浪花講発祥の地」の石碑と、掲示板に挟まれて石鳥居。
鳥居をくぐり正面が祠って感じの小さな拝殿。賽銭箱も縦長。
左手に授与所?なのか家がある。
祈祷とか御朱印は本社に来てねと掲示板に書かれている。なので無人。
ここから北東へ徒歩10分ぐらいのところに玉造稲荷神社本社がある。
「浪花講」とは、江戸時代に発足された、今でいう旅館組合のこと。
世はお伊勢参りブームで多くの旅人が行き来していたが、まだまだぼったくり宿なんかが横行し安全に旅をすることが難しかった。
そこで、旅の経験豊富な松屋甚四郎と源助が、玉造で優良な宿を指定した「浪花講」という組織を作り、その安全性から大盛況となり全国に広まったとさ。
谷六に行くまでの道すがら見つけたので参拝。
鳥居
拝殿
横にある社務所?無人
鳥居横にある「浪花講発祥の地」の石碑
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旧東雲神社と言います。それより前は新山稲荷神社と呼ばれていたそうです。
見たところ御旅所のような神社ですね~。小さな社に前が広い。
でも、分社なんですよね。
伊勢参りは大阪の場合「玉造稲荷」に道中の無事をお祈りしてから出発と言うのが江戸時代の手順でしたが、すこし高台にある神社に行くのが面倒だと、ここでお参りを済ませて出発したとか聞きました。
いやはや、昔も今も変わりません(笑)面倒だからとショートカットです(笑)
ここは「浪速講発祥の地碑」が建ってます。
それはなに?と言えば早い話が今の旅行会社です。現在の旅行会社の先駆けとなった組合とも言われているのだそうです。
詳しくはこちらのニュース記事にて。
http://www.sankei.com/west/news/141017/wst1410170058-n1.html
以前この辺りの町名が変わったので今では残っていませんが、「東雲町」と言う名前でした。
「しののめ」と読みます。
風情のある町名でしたので変更する時は随分反対があったと聞きます。
意味は「日本の古語で闇から光へと移行する夜明け前に茜色にそまる空を意味する」のだそうです。
和歌の中で『しののめの別れ』や『しののめの道』のように、相愛の男女の別れを詠む際に用いられた言葉ですね。
大阪府のおすすめ2選🎌
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