えんじゅあん(かまはちまん)|真言宗豊山派|雪光山
円珠庵(鎌八幡)のお参りの記録一覧
この日、玉造散策の最後は円珠庵(鎌八幡)を訪れました。 かつてこの地には、古くから人々の信仰を集めていた大きな榎の木があり、「鎌八幡大菩薩」と唱えながら鎌を付き刺すという風習があったとされ、大阪冬の陣の折に、この地に陣所を構えた真田信繁がその慣習にならってその木に鎌を打ち込み祈祷したところ、真田丸の戦いで徳川方に勝利したといいます。 その後に、信繁はそのお礼としてご神木の祠を建て替えたという、これが鎌八幡の由来とされています。 現在では悪縁を断ち切る祈祷所としてその筋の願いがある参拝者が多く足を運びます。 境内は一切写真撮影は禁止とされています。 小さな境内は鬱蒼としていて神木である榎の木は幹が見えなくなるほどびっしりと鎌が打ち付けられており、独特の雰囲気がありました。
圓珠庵(鎌八幡)・看板
圓珠庵(鎌八幡)・山門
御朱印
有名なので後回しにしてました(笑)
この前にある中学校は母校なので、常に前を通って通学していたんですよ。
以前はもっとうっそうとしたお寺さんでした。
そりゃぁ、オドロオドロシイ噂もいくつも耳にしてましたが、「真田丸」の放映と共に一気に脚光を浴びまして、随分綺麗になりました。
この前の道路は「三韓坂」と呼ばれ、半島からの使者がここを通って、今でいう迎賓館である「三韓館」に入ったと言われています。
「なにわ三韓館をつくらしむ。神功皇后三韓より帰られてのち、かの地の国王みつぎものを奉るの使節来たるとき、三韓より船にてなにわ津に来たり、まず三韓館に入りしのち、京にのぼる」とありますが、京とは京都ではなく奈良だったと思われます。
で、そこに榎が一本生えていたんですよ。大阪では榎信仰が結構ありますからね、この榎に鎌を打ち付け願えば叶うという信仰がありまして、かの真田幸村もそれに準じたと言われています。
江戸になり契沖がそこに庵を結んで「円珠庵」と称したという事で今に至ります。
名前から、榎ではなく槐(えんじゅ)だったのかなとぼんやりと思っています。
なにしろ空襲で焼けましたからね。
実は未だに中に入った事がありません。
地元ならではの色々がありまして入れないでいます(苦笑)
でもこれだけの往来があったら空気も流れているだろうからいつかお参りはしたいと思っています。
大阪府のおすすめ🍁
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
2
0