御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

あまつかむやしろ(くわづてんじんじゃ)

天神社(桑津天神社)のお参りの記録一覧
大阪府 美章園駅

れん太郎
れん太郎
2025年09月29日(月) 05時56分40秒
1402投稿

八王子神社様から公園を歩いて桑津天神社様へ
向かいました。

主祭神は
少彦名神(スクナヒナノカミ)
をお祀りされています。

明治末期の神社合祀によって近隣のお社様でお祀り
されていた。
菅原道真(スガワラノミチザネ)
須佐之男命(スサノオノミコト)
奇稲田比売命(クシナダヒメノミコト)
野見宿禰(ノミノスクネ)
天児屋根命(アメノコヤネノミコト)
布刀玉命(フトタマノミコト)
天宇受売命(アメノウズメノミコト)
猿田毘古神(サルタヒコノカミ)
経津主命(フツヌシノミコト)
健甕槌命(タケミカヅチノミコト)
の10柱もお祀りされています。

応神天皇が美しい髪長姫の噂を聞きつけて
桑津の地に住まわせました。
応神天皇の息子の仁徳天皇が髪長姫の姿を見て
一目惚れします。
察した応神天皇は髪長姫を仁徳天皇に譲り
仁徳天皇と髪長姫は夫婦になります。
ある時 髪長姫が病にかかられ仁徳天皇がこの地で
少彦名神に病気平癒を祈願しお祀りされたのが
始まりとされています。

社務所には誰もおられませんでした。
が参拝者はたくさんというわけではなかったのですが
ひっきりなしにお詣りに来られていました。

天神社(桑津天神社)(大阪府)
天神社(桑津天神社)(大阪府)
天神社(桑津天神社)(大阪府)
天神社(桑津天神社)(大阪府)

ガハハハッって感じ

天神社(桑津天神社)(大阪府)

ニンッって感じ

天神社(桑津天神社)(大阪府)

おちりがぷりち~

天神社(桑津天神社)(大阪府)
天神社(桑津天神社)(大阪府)
天神社(桑津天神社)(大阪府)
天神社(桑津天神社)(大阪府)
天神社(桑津天神社)(大阪府)
もっと読む
ひーちゃん
ひーちゃん
2025年08月06日(水) 18時42分56秒
191投稿

8月5日(火)
桑津天神社に参拝しました。
京善寺から見える位置に鎮座しています。

陽射しが思ったより入って来ない静かな雰囲気でした。

社務所の窓に貼ってある御朱印注意書きの一部
「少しの時間も待てない方は依頼しないで下さい。」
この文章を見た後に登場した方。

……ビクッてなりました。

記帳の待ち時間の間に御朱印帳などの貼り紙を見てました。
(御朱印帳入れる袋可愛い……)

見てる間に記帳終わり。
受け取りの際に「ありがとうございました!」とお礼を伝えると男性がニコリと笑って下さいました。

記帳して頂いた御朱印も可愛いスタンプが押されていました。
……ギャップがすごい。

祭事毎に限定御朱印もあるそうです。
御朱印帳もありました。
それらも可愛いのか気になります。

ーーーーーーーーーー

御朱印帳が天神社の並びになったのは偶然です。
私も渡そうと思って開いた時に気付いて
「あっ!!」
と声が出ました。
場所は全然違うのに天神社は多いなぁと思いました。

天神社(桑津天神社)の御朱印

通常御朱印【直書き】

天神社(桑津天神社)(大阪府)
天神社(桑津天神社)(大阪府)

【偶然できた並び】
(左)中桑津の天神社(右)中之島の天神社

天神社(桑津天神社)(大阪府)

祭事日程【限定御朱印有り】

天神社(桑津天神社)(大阪府)

(左)御朱印帳袋 (右)御朱印帳

天神社(桑津天神社)(大阪府)
もっと読む
bluecloud0711
bluecloud0711
2020年10月04日(日) 19時32分20秒
1152投稿

参拝記録です。

天神社(桑津天神社)の山門・神門
天神社(桑津天神社)の本殿・本堂

境内の様子です。

天神社(桑津天神社)の鳥居
天神社(桑津天神社)の本殿・本堂

限定御朱印です。

天神社(桑津天神社)の御朱印

限定御朱印です。

天神社(桑津天神社)の御朱印

限定御朱印です。

天神社(桑津天神社)の御朱印

限定御朱印です。

もっと読む
nahi
nahi
2017年09月07日(木) 05時48分41秒
222投稿

 桑津天神社の「大阪陣戦歿将士慰霊塔」を再訪。ここは夏の陣の茶臼山古戦場からもそう遠くなく、平野や八尾などと同じく多くの将兵の血が流された場所だそうである。さてこの近くに、福島正則に関する史跡があると聞き、住宅地の中をひたすら探す。
 はたして、駒川にかかる小さな橋を渡ったそばの、家と家の間にようやくそれを見つけることができた。名前を「五輪橋橋詰めの塚」という。この塚は、大坂の陣で戦死した豊臣方の武将「柴田権十郎正俊」と、徳川方の武将「蜂須賀九郎右衛門」の2人を供養するために建てられている。

 由来はこうだ。福島正則は豊臣秀吉の子飼いで、賤ヶ岳七本槍にも数えられる猛将だったため、徳川家康は豊臣方への寝返りを警戒し、彼を江戸城留守居役に任命することで行動を封じ込めてしまう。そんな正則の家臣に柴田権十郎正俊という男がいて、不憫な主君の身代わりに豊臣へ従軍する。たまたま八合わせたのか、この地で蜂須賀九郎右衛門と戦い討ち取るが、自らも重傷を負い、自刃してしまう。ちなみに当の正則は、大坂の陣自体に参加していないため、おそらく嫡男の福島忠勝か、他の親族の誰かに付き従って従軍したことが、身代わりとして語られるようになったのではないかと思われるが、このあたりよくわからない。のちに付近の住民が二人の供養をし、2つの五輪塔を建立しているが、なぜか九郎右衛門の墓だけが盗まれたそうで、今は柴田のものだけが残る。

 正則は広島藩の大名となるが、城を無断で改築したかどで幕府から改易される運命をたどる。自分の家臣がかつて豊臣方として戦った事実も関係しているのかは定かではない。

天神社(桑津天神社)のその他建物
天神社(桑津天神社)の本殿・本堂
天神社(桑津天神社)のお墓
天神社(桑津天神社)の歴史
天神社(桑津天神社)のその他建物
もっと読む
行きたい
行った
お問い合わせ

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ