ぎんざんじ|浄土宗|寶樹山
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楽しみ方銀山寺のお参りの記録一覧

続いて銀山寺。山門は閉ざされていましたが右手に車用通用口がありそちらからお詣り。通用口すぐに宝樹堂があり、千手観音と毘沙門天、不動明王が鎮座。境内にも苦行釈迦牟尼仏など浄土宗寺院では珍しい仏像がちらほら。本堂前で合掌して庫裏へ。山門の阿彌陀霊場の石碑が気になりお聞きしたところ以前は霊場だったのですが辞退されたそうです。御朱印をお伺いしたらご住職体調不良とのこと。長々ご迷惑おお掛けしました😔またの機会ということで・・・。

阿彌陀巡礼石碑と人間国宝吉田玉男墓所碑

山門

寺号表札

通用口すぐの宝樹堂

扁額

千手様、毘沙門天、不動明王

手水舎

お釈迦様

本堂

苦行佛が

同由緒

扁額

庫裏

南に向いて歩くと道を挟んでお隣が銀山寺様です。
銀山寺様は浄土宗の御寺様です。
1591年に京都黒谷の金戒光明寺第24世縁譽上人により創建されました。当時の寺号は大福寺でしたが、後に太閤秀吉の命により銀山寺と改名されました。
これは、この地から見える西方の景観が素晴らしいことによります。当時は天王寺七坂を上った上町台地からは海に沈む夕陽が綺麗に見えたそうです。
創建にあたっては島根県浜田沖に上がった木造阿弥陀如来立像をもらい受け本尊とされました。その木造阿弥陀如来立像には右肩と背面に貝殻が付着していたそうです。
境内が空に向けて開放的で気持ち良くお参りさせて頂きました。















二回目のお参りです。
前回いただく事が出来なかった御朱印をいただきました。

庫裏にて御朱印をいただくまでに待っていると「ガンダム」がおりました。


齢延寺の向かいにある寺院。

源聖寺坂側の山門からは入れません。

右側からは入れます。


本堂はちょうど工事をしていました。

ここも「源聖寺坂」を上ったところにあり、真向かいは「齢延寺」です。
お千代・半兵衛の比翼塚(墓)がありまして、HPによると、
「享保7年(1722)4月6日、大坂油掛町の八百屋半兵衛と妻お千代が生玉の大仏勧進所で心中した。(略)この心中事件は、その直後に紀海音「心中二ツ腹帯」、近松門左衛門「心中宵庚申」(以上浄瑠璃)、また「新板宵庚申」(歌舞伎)に脚色されたが、特に「新板宵庚申」は大当たりをとり、そのため世上に広く知られた心中事件となった」とあります。
しかし、妊婦であった彼女が心中とは、罪な事ですよね。「当寺の墓石・過去帳にはその子のことが「離身童子」と記されている」とあるので、もはや一家心中ですよね。
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