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難波八阪神社ではいただけません
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難波八阪神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年07月13日(火)
参拝:2021年6月吉日
難波八阪神社は、大阪府大阪市浪速区にある神社。旧社格は郷社。祭神は、素戔嗚尊、奇稲田姫命、八柱御子命。
社殿によると、仁徳天皇の時代、当地に疫病が流行ったところ、牛頭天王が現れ、これを祀ったのが当社の始まり。これ以降「難波下宮」と呼ばれ、難波一帯の産土神となった。平安時代後期の延久年間(1069年~1073年)には牛頭天王を祀った神社として有名となっていて、神宮寺のほか十二坊の塔頭が並んでいたとのこと。
明治時代になり、神仏分離で寺院は廃絶、当社は郷社に列した。1945年の米軍による大阪大空襲で社殿は焼失、1974年に現在の本殿と巨大な獅子殿が完成した。
当社は、大阪メトロなんば駅の上にある難波交差点の南西1kmの市街地にある。幹線道路(国道26号線)から100mほど入った閑静なエリアに、都会の旧郷社としては広めの敷地を構えている。境内には大きめの社殿と、かなり奇抜な獅子殿があって、強烈なインパクトがある。子供も喜ぶかも。
今回は大阪府の人気神社ということで参拝することに。参拝時は平日の午後で、自分以外にも参拝者がぱらぱらいた。
社殿によると、仁徳天皇の時代、当地に疫病が流行ったところ、牛頭天王が現れ、これを祀ったのが当社の始まり。これ以降「難波下宮」と呼ばれ、難波一帯の産土神となった。平安時代後期の延久年間(1069年~1073年)には牛頭天王を祀った神社として有名となっていて、神宮寺のほか十二坊の塔頭が並んでいたとのこと。
明治時代になり、神仏分離で寺院は廃絶、当社は郷社に列した。1945年の米軍による大阪大空襲で社殿は焼失、1974年に現在の本殿と巨大な獅子殿が完成した。
当社は、大阪メトロなんば駅の上にある難波交差点の南西1kmの市街地にある。幹線道路(国道26号線)から100mほど入った閑静なエリアに、都会の旧郷社としては広めの敷地を構えている。境内には大きめの社殿と、かなり奇抜な獅子殿があって、強烈なインパクトがある。子供も喜ぶかも。
今回は大阪府の人気神社ということで参拝することに。参拝時は平日の午後で、自分以外にも参拝者がぱらぱらいた。
境内南端にある<鳥居>と<社号標>。
鳥居をくぐる。境内の南半分は夏祭りの準備をしているのか、参道に沿って立て看板の骨組みが立っていた。
鳥居をくぐってすぐの、参道左側にある<手水舎>。
参道を進むと、正面の本殿より先に、左側のこちらが視界に入ってびっくり~(;゚Д゚)
強烈なビジュアルのこちらは<獅子殿>。祭神は素戔嗚尊荒魂。1974年建立。舞台も兼ねているとのこと。
さすがインパクト重視の大阪の神社。観光客大喜び~♪
さすがインパクト重視の大阪の神社。観光客大喜び~♪
こちらが参照正面の拝殿。白をベースにライムグリーンの銅葺屋根が映える正統派の拝殿。拝殿、本殿ともに1974年再建。
拝殿前には、狛犬が2ペア。石製とブロンズ製。まずは左側の2体。
続いて右側の2体。4体それぞれ表情が様々で面白い。
<拝殿>正面。
拝殿右手の<神馬>。
拝殿右手の<稲荷神社>(左)と<三宝荒神社>(右)。
右隣にある<市杵島姫神社>(左)と<皇大神社>(右)。
さらに右隣にある<戦艦陸奥主砲抑気具記念碑>。戦艦陸奥の主砲の蓋。
社殿右手、境内東端にある<殉国の碑>。
境内右手、鳥居の後ろの鉄柵の中に立つ<宮趾>の石碑。
境内右手、<獅子殿>の向かい辺りにある<神輿庫>。
拝殿の左側にある<社務所・授与所>。御朱印はこちら。
社殿左手、境内西端にある<篠山神社>。江戸時代の当地の代官・篠山摂津守十兵衛伴景義を祭神として祀る。青物市場を開設し、住民の生活安定、福祉増進に寄与した。境内社でも、この神社だけ別途手水鉢がある。
最後に<拝殿>全景。建造物として均整が取れていて、色合いも含め美しい。
やはり印象に残るのは、強烈なルックスの<獅子殿>~♪
すてき
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惣一郎1269投稿
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