たまつくりいなりじんじゃ
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楽しみ方玉造稲荷神社のお参りの記録一覧

鎌八幡から北東へ20分程歩き🚶🚶♀️、次の社へ到着です🙏。
~由来~
社伝によれば垂仁天皇18年(紀元前12年)に天皇によって創建。蘇我氏と物部氏の戦いの際、蘇我氏方の聖徳太子がこの地、玉作岡に布陣して戦勝を祈願し、戦勝後当地に観音堂を建てたという伝承がある。
後年、この一帯は豊臣大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家から篤い崇敬を受けた。戦国時代の天正4年(1576年)の戦火で荒廃してしまっていたが、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼により社殿や高殿(舞台)が再建された。しかし、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で社殿は再び焼失した。

社標&一の鳥居⛩️

手水舎&ニの鳥居⛩️

拝殿&社ご由緒石板
・主祭神 - 宇迦之御魂大神
・相殿神 - 下照姫命、稚日女命、月読命、軻偶突智命

ー末社ー
厳島神社(市杵嶋姫命)

ー末社ー
新山稲荷社・万慶稲荷社

ー末社ー
秀頼公胞衣塚社

豊臣秀頼公奉納鳥居⛩️

ー末社ー
梅薬師道祖神

豊臣大坂城🏯刻印石(毛利家紋)

豊臣秀頼公像

玉造稲荷神社に参詣しました。豊臣秀頼、淀君ゆかりの神社です。

玉造稲荷神社
豊臣秀頼像

拝殿

鳥居

秀頼公胞衣塚大明神

千利休屋敷跡

千利休ゆかりの井戸

旧鳥居

御朱印

玉造稲荷神社の夏祭に行きました。
参拝自体はお昼過ぎにしました。
祭事期間中は
【夏祭特殊印の書置きのみのご対応となります】
と貼り紙がしてありました。
恐らく夏祭以外の祭事でもそうなのかもしれません。
狐の御朱印帳が欲しかったのですが、1ページ目は神社朱印の記帳が良いので今回は諦めました。
また行く機会はきっとあります!
その為、夏祭特殊印のみ頂きました。
【書置き】
その後は周辺のお寺巡りと御朱印集めをしていました。
時間があれば三光神社にもう1回行きたかった。
三光神社の夏祭は仕事だだ被りで行けない(泣)
18時前に戻りましたが、外はまだ明るい。
神社に着くと露店がたくさん。
人がギュウギュウ。
進めない……。
今回はチーズinスティックを食べました。
ラムネに心惹かれましたが、飲み物は買ってしまっていたので買わず。
またお神輿が見れました。
歩き疲れたので、今回は早々に帰りました。
2025年7月15日こちらで終了です。

夏祭限定御朱印【書置き】







18時頃(まだ明るい)

色んな場所に旗🚩

豊臣秀頼公ゆかりの玉造稲荷神社にお参りしました😊



拝殿✨美しい💓

本殿✨

境内✨



直書き御朱印いただきました😊

境内に慶長8年(1603)3月に秀頼公が神社再興時に奉納された鳥居。元は本殿正面に位置したが、阪神大震災により一部損傷を受け、上部、脚部に分け現在の場所で保存。

大坂の陣ゆかりの地朱印めぐりその2。大阪城から玉造へ、東側参道から参拝すると境内入ってすぐに豊臣秀頼公の立派な像。ボンボンちゃんなイメージの秀頼公ですが家康公との面会時は190㎝ぐらいの巨漢で遺風もあり、そのため家康公が討伐を決意したとも。しかしこの偉丈夫感は秀吉公とは似ても似つかず・・・やはりなのでしょうかね😅奥には秀頼公生誕時の胎盤・羊膜を埋め祀った胞衣大明神などもあり豊臣家の信仰の篤さが伺えます。南側に周って本殿へ。境内の広さの割にはコンパクトな社殿でシンプルな参道。まあそれがまた良いのですが😊社務所にて御朱印を拝受。大坂の陣御朱印は以前は専用の印があったそうですが今はなくなっており、通常の御朱印になりますけどとのこと。もちろんいただきました😊かわいい狐さんの「やぬち守」も拝受。勾玉土人形とあったので勾玉?と思ったら底面が勾玉になってました🤗

東参道より。社号標。

黒門越瓜の由緒

豊臣秀頼公ゆかりの地由緒

豊臣秀頼公像

秀頼公寄進鳥居

同由緒

千利休顕彰碑

難波・玉造資料館案内

同石標

予約制らしい・・・

資料館外観

梅薬師道祖神

コロナ終焉祈願で祭祀されたとのこと

参集殿

胞衣塚大明神

同鳥居・参道

同石碑

同扁額

同由緒。秀頼公出産の折の胎盤・羊膜を埋め祀っているそう。

社殿と秀頼公供養塚。

万慶(まんけん)稲荷と新山(しんやま)稲荷鳥居。

同扁額

狐さん


左が新山稲荷、右が万慶稲荷

石碑。神風?

厳島神社

池に白龍

社殿。左に白龍池厳嶋神社と石碑あり

厳島神社一の鳥居

小野小町和歌

伝承 聖徳太子。長楽寺観音堂跡地。


玉造稲荷由緒

阿

吽

拝殿

手水舎

鳥居

玉作岡由緒

大坂三十三所観音めぐり

近松門左衛門「曽根崎心中」一節

南参道と玉作岡石碑

社号標

由緒(境内のものと同じ?)

やぬち守

底が勾玉に😊

起源は垂仁天皇18年(紀元前12年)という古社であります。
こちらの御祭神にも宇迦之御魂大神がいらっしゃいました。
こちらは鵲森宮がある幹線道路から、少し上町台地よりになる住宅街の中に鎮座されておられます。
場所柄、豊臣家のご加護もあつく、また江戸時代は大阪城代、内藤紀伊守などの寄進をうけ何度も再建されておられ、今でも「大阪城の守護神」として敬われております。
「玉造」の名のとおり、この地には古代「勾玉」造りの職人が大陸(出雲?)から移り住んでおり、御朱印にも「玉造の岡」という書が書かれております。

御朱印です。「大阪城守護神」の印には豊臣・徳川の家紋が仲良くはいっていたのが印象的でした。

御朱印と一緒にいただいた勾玉。「散華」のような一品でした。

入り口の場所がわからず、横道から境内へ入りました。木々に囲まれた洞穴のようなところからお参りしました。写真には虹のような光が・・・

正面の鳥居です。

正面からご拝殿を見たところ。何だか「生玉さん」に雰囲気が似ているような気がしました。


ご拝殿です。

このお社から大阪→伊勢への参拝がスタートします。

豊臣秀頼の像。

不思議な鳥居。下の部分は阪神淡路大震災の時につぶれたそうです。案外最近のお話。

小野小町の歌碑

末社のお稲荷さん。右が「萬慶稲荷社」、左が「新山稲荷社」。

厳島神社です。

厳島神社は池の中に鎮座されておられます。


玉造稲荷社の由緒書です。
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