しじょうなわてじんじゃ
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楽しみ方四條畷神社のお参りの記録一覧
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ミサキ
2022年10月03日(月)22投稿

らんでぃー
2023年02月12日(日)388投稿
大阪府四條畷市、四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ)をお詣りいたしました。 建武中興十五社に列する明治23年(1890年)創建の神社で、南朝の忠臣・楠木正行(くすのきまさつら)を主祭神として祀ります。 正行の父である楠木正成(くすのきまさしげ)は南朝の武将として最後まで忠誠を尽くし、北朝方の足利尊氏(あしかがたかうじ)を相手に湊川の戦いで壮絶な最期を遂げますが、嫡子である正行もまた、父の遺志を継いで南朝のために戦い、ここ四條畷の地で儚く散りました。 この四条畷の戦いは正平3年/貞和4年(1348年)に圧倒的に兵力で勝る高師直(こうのもろなお)・師泰(もろやす)ら北朝・室町幕府軍と、楠木正行と実弟の正時(まさとき)率いる南朝軍が激突し熾烈な戦いが繰り広げられますが、結果として南朝側は正行・正時らをはじめ多くの武将が戦死し大敗となり、その後南朝・吉野行宮は陥落することとなります。 吉野を立つ際に正行はこのことを予見してか、後醍醐帝の御廟に参拝し遺髪を献じて四条畷に向け出陣したとされています。 このときの正行の心情を推し量ることは難しいですが、湊川の戦いに向かった父・正成に倣って南朝のために命を賭して戦うことに迷いは無かったのではないかと思われます。 8月に奈良・吉野の如意輪寺にて「楠木正行辞世の扉 」を拝覧してから訪れてみたくなった四条畷神社。 境内には父・正成が湊川の戦いに赴いて戦死し、今生の別れとなった「桜井の別れ」の像がありました。
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