しじょうなわてじんじゃ
四條畷神社のお参りの記録一覧
街中に鳥居があり参道のまわりは住宅地になっています。
真っ直ぐ麓まで車で行けて、急な階段を登った先が境内です。
高台なので木々が邪魔をしなければ一望できるのですが、、
境内はとても綺麗に整えられていて、心静かにお参りできました。
青空御朱印
階段手前右側に駐車場があります。
登るとこの高さに。
とても静かです。
立派な楠は山から移したものだそう。
昨日に引き続き、東大阪方面、
まずは四条畷神社。街中から少し山際へ。町を見おろす高台にあります。南北朝時代に父の楠木正成公について戦った楠正行公、正時公を弔うために1889年に建てられたとの事。
比較的新しい神社ですが、飯盛山の懐に抱かれ緑豊かな中に手入れが行き届いた境内は清浄で落ち着いた空気。ホトカミで見るまで知らなかったのですが、いい雰囲気の神社です。
駐車場は十分境内にありますが、最後の登りが急なのでご用心。
御朱印です。
東側にある鳥居。一の鳥居でしょうか。ここから長い参道。
神社手前の鳥居。石段を上がって境内へ。車だと上まで上がれます。
石段の途中から。注連柱が見えます。
階段を上がって左を見るとこんな感じ。緑深し。
拝殿。
天神社。
由緒書
本殿
飯盛山城に登る前に参拝しました。素敵なデザインの御朱印帳に御朱印を頂き大満足です。
飯盛山に登る前の第一関門の様な石段が続きます。
城跡にある御祭神の楠木正行公像です。
御朱印帳のデザインが素敵な四條畷神社から御朱印集めのはじまりです。
大阪府四條畷市、四條畷神社(しじょうなわてじんじゃ)をお詣りいたしました。 建武中興十五社に列する明治23年(1890年)創建の神社で、南朝の忠臣・楠木正行(くすのきまさつら)を主祭神として祀ります。 正行の父である楠木正成(くすのきまさしげ)は南朝の武将として最後まで忠誠を尽くし、北朝方の足利尊氏(あしかがたかうじ)を相手に湊川の戦いで壮絶な最期を遂げますが、嫡子である正行もまた、父の遺志を継いで南朝のために戦い、ここ四條畷の地で儚く散りました。 この四条畷の戦いは正平3年/貞和4年(1348年)に圧倒的に兵力で勝る高師直(こうのもろなお)・師泰(もろやす)ら北朝・室町幕府軍と、楠木正行と実弟の正時(まさとき)率いる南朝軍が激突し熾烈な戦いが繰り広げられますが、結果として南朝側は正行・正時らをはじめ多くの武将が戦死し大敗となり、その後南朝・吉野行宮は陥落することとなります。 吉野を立つ際に正行はこのことを予見してか、後醍醐帝の御廟に参拝し遺髪を献じて四条畷に向け出陣したとされています。 このときの正行の心情を推し量ることは難しいですが、湊川の戦いに向かった父・正成に倣って南朝のために命を賭して戦うことに迷いは無かったのではないかと思われます。 8月に奈良・吉野の如意輪寺にて「楠木正行辞世の扉 」を拝覧してから訪れてみたくなった四条畷神社。 境内には父・正成が湊川の戦いに赴いて戦死し、今生の別れとなった「桜井の別れ」の像がありました。
四条畷神社・神社名碑と参道
四条畷神社・石鳥居
四条畷神社・注連柱
四条畷神社・由緒書
四条畷神社・手水舎
四条畷神社・鳥居
鎮座100周年に際し、伊勢神宮から贈られたものだそうです。
四条畷神社・拝殿
四条畷神社・鳥居と拝殿
四条畷神社・摂社
御妣神社
四条畷神社・楠木正成、正行父子の「桜井の別れ」の像
忠孝両全と書かれています。
四条畷神社・正行、久子母子の像
貞仁両全と書かれています。
四条畷神社・摂社
楠天神社
四条畷神社・摂社
有源招魂社
御朱印
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