すえよしぐう
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駐車場 | あり |
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末吉宮は、那覇市の「末吉の森」に鎮座しており、1456年頃に天界寺の和尚が熊野三所権現を勧請し祀ったと伝えられています。
創建について「琉球国由来記」の中の「大慶山権現縁起」によると、尚泰久王代の1456年頃、首里の天界寺住持鶴翁和尚が、倭国にて修業中熊野権現を尊び信じていた。
しかし帰国したあとも、国王は熊野へのお参りを許すことはなかった。
そんな中ある日夢の中で、「師よ志を遂げたいと欲するなら、是より北山に向かって大きな声で呼びなさい。応ずる所に霊験があるだろう。そこが即ち居所である。私は熊野権現である」というお告げを受けるのである。
そして同時に国王にもそのお告げがあった。
これは単なる偶然ではなく、意味のあることであろうと周囲の大臣などの助言もあり、この地に末吉宮を創建したのがそのはじまりと言われている。
明治時代に入ると琉球処分が行われ、廃藩置県によって琉球王国が廃され沖縄県となった。
近代社格制度により無格社となったが、経済的な理由や社殿設備に不備があったことから事実上村社列格ができなかったと考えられている。
また明治まで日本本土とは異なる歴史を歩んできた琉球王国にとって、寺請制度という概念がなった。
つまり民衆と信仰的に深い関係にあったのは、古来から大切にしてきた御嶽に対する崇拝であった。
また無格社となった末吉宮は、経済的な保障が受けられず、非常に荒廃が進んでいる状態となっていった。
事実、1939年(昭和14年)の沖縄県振興事業による復興計画におけて取り上げられた際には、明治末期まで残っていた拝殿は失せており、散々な状態であったという。
さらに沖縄戦の攻撃によって、建物の大半が破壊されてしまった。
しかし昭和31年に沖縄県指定有形文化財、昭和47年に国指定史跡に登録されて保護されるようになり、現在見られる社殿は昭和47年に復元されたものである。
御朱印は波上宮でいただけます。
公園の駐車場からここまで歩くと20分くらいかかります。
ここから参拝するとかなり楽です。
マップコード33 220 147*81
レンタカーに上記入力すればこの入口案内してくれます😊
【琉球八社巡り(6/8)】
末吉宮(すえよしぐう)は、沖縄県那覇市首里末吉町にある神社。旧社格は無社格。主祭神は伊弉冉尊、速玉男尊、事解男尊、別鎮斎として土祖神、澳津彦命、澳津姫命、産土神を祀る。通称は「末吉社壇」。琉球八社の1社。
1713年の『琉球国由来記』によると、創建は1450年から1457の間と伝わる。伝承では、のちの神宮寺の住職・鶴翁和尚に熊野権現の霊告があり、これを王殿に奏したところ、時の尚泰久王も霊夢を見たことから、当地に大社を建てたのが始まりとしている。琉球八社の1社となった後は、王府から神職の役俸と営繕費が支給された。近世においては、熊野三山、権現信仰として、当宮を熊野新宮、識名宮を熊野本宮、普天満宮を熊野那智に見立てて信仰された。1945年の米軍との沖縄戦の砲撃で建物の礎石、柱2本と虹梁を残して爆散した。1972年に残った礎石と資材をもとに現在の社殿を復元している。
当宮は、ゆいレール(沖縄都市モノレール)・市立病院前駅の北東500mの末吉公園内の小山の上にある。駅の西数百mのところにある公園駐車場から末吉公園中央を突っ切る形で参拝する場合だと、高台から一度低地に下り、そのあと樹木が茂る小山に登ることになる。この400mほどの道のりがなかなかハードで、当宮が鬱蒼とした森の小山の頂上付近にあり、山道があまり整備されていない部分もあるため、特に当日は雨で足元がかなり滑りやすかったこともあり、辿り着くまでの疲労度はかなりのもの。見どころは、古い石垣の上に立てられた社殿と高台からの街の景色。
今回は、琉球八社の1社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後遅めの時間で、激しい土砂降りであったこともあり、自分以外には参拝者はいなかった。
※当宮の社務所は無人であるが、御朱印は本務社である波上宮で拝受できる。ただし、波上宮の授与所にはその旨の表示はなく、巫女さんに当宮の御朱印を拝受したい旨を伝えると、すでに参拝済みであるかどうか厳しく聞かれ、未参拝の場合にはその後参拝予定でも拝受できない...(^_^;)
※今回、自分の寺社仏閣巡り史上最悪の事態に遭遇。末吉宮到着前、末吉公園の林間路がぬかるんでいて、慎重に歩いていたものの、ちょっとした傾斜でスニーカーが滑りお尻から転倒。柔道の受け身のように着地したので身体は何ともなかったが、白系のズボンとボディバッグ、Google Mapを見ていたiPhoneが泥まみれに。末吉宮到着後、土砂降りの中、ドロドロのiPhoneで必死に写真を撮っていてかなり辛かった。期せずして、忘れられない思い出になってしまった。。。涙
Google Mapを見ながら、初めに到着した場所はここ。あとで調べると「宜野湾御殿の墓」という琉球王国の皇子の墓らしい。間違えた。。。
Google Mapでも、さすがに公園内の小道は表示されないので、方角が分かっても目的地に到着するのはなかなか難しい...(^_^;)
※すでに山に登る前に麓の泥道で靴が滑り、間違えたのは、全身泥まみれで意識がもうろうとしているせいもあるかも。。。
やっとのことで見つけたのがこちらの石碑。<史跡 末吉宮跡>とある。
近くに立て看板があり、石畳の<危険なコース>と手すり付き<迂回路>があるらしい。もう転倒したくないので<迂回路>を選択。
石はつるつる、土はぬるぬるの小道を進む。
危険なY字路のには、親切な看板があり助かる。
急に小道が舗装路になるが、油断は禁物。
小道の脇に現れた<和合火ぬ神>。Google Mapにも表示がある。
さらに進むと、小道がジャングルに突っ込んでいる。大丈夫か?
ジャングルに入ると、階段が始まる。
階段はなかなか終わらない。せっかくここまで来たけど、辛いので諦めて帰りたくなってくる...(^_^;)
進む先に明るい場所が見えてくる。やっとたどり着いたのかな。。。?
亜熱帯樹木の間から赤い建物が見えて来てひと安心。
石階段の先にあるのが<拝殿>。まだまだ土砂降りが続く。辛いがもうひと踏ん張り...(^_^;)
拝殿に向かって左手を見ると、遠くに那覇の市街地が見える。
拝殿に向かって左手にひとつ建物があるので見に行ってみる。
拝殿を左手から。拝殿の後ろにわずかに<本殿>が見える。
拝殿を真下から。
拝殿を右手から。
拝殿に向かって左手下方にあるのは<社務所>。
社務所の前にある<絵馬掛け兼御籤掛け>。社務所が開いていて、絵馬や御籤を買える日もあるのかな。
社務所から見た<社殿>。まるで城郭みたい。
拝殿の真下はトンネルになっている。
トンネルを抜けて反対側に出ると、さらに山の上に登る道が。もうこれ以上、危険な道を進んでアクシデントに遭いたくないのでパス。
トンネルと戻って社務所前を通り、元いた場所に戻る。
ふたたび拝殿を左手から。
ふたたび拝殿を真下から。
さいごに拝殿を見納め。(^▽^)/
歴史
王朝官社時代の琉球八社の一社で、俗に「社壇」「首里社壇」などと呼ばれ、史料には尚泰久王の時代(1456年頃)に天界寺鶴翁和尚 (かくおうおしょう)が熊野三所権現を勧請し祀ったと伝えられています。
名称 | 末吉宮 |
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読み方 | すえよしぐう |
通称 | 社壇 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 098-868-3697 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
琉球八社 第5番 | 御本尊:伊弉冉尊、速玉男尊、事解男尊 |
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詳細情報
ご祭神 | 《主》伊弉冉尊,速玉男神,事解男神 |
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創建時代 | 景泰年間(1450~1457) |
創始者 | 鶴翁和尚 |
本殿 | 三間社流造 |
ご由緒 | 王朝官社時代の琉球八社の一社で、俗に「社壇」「首里社壇」などと呼ばれ、史料には尚泰久王の時代(1456年頃)に天界寺鶴翁和尚 (かくおうおしょう)が熊野三所権現を勧請し祀ったと伝えられています。 |
体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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