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済興寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年03月02日(水)
参拝:2022年2月吉日
【令和四年二月八日参拝】
韶法山 済興寺
本尊 阿弥陀如来
開基 伝・平安時代 中興 元和元年増阿
倉敷市の北西部、かつては高梁川の川湊として栄えた酒津。
韶法山済興寺は、古くから酒津の人々の信仰を集めてきた。
その本尊は恵心僧都作といわれる秘仏・阿弥陀如来像。
本堂、客殿、庫裡、鐘楼堂の装いも新たになり、往時と変わらず酒津の人々の心の拠り所となっている。
済興寺の由来は古く、平安時代に火災に遭った伝承がある。
記録に残っているのは、中興の増阿法印が本尊を安置した元和元年(1615)から。
石正寺阿弥陀院、正眼寺真如院と称していたこともある。
大正4年(1915)、高梁川の改修に伴なって現在地に移転し、昭和9年から済興寺と称するようになった。
隆心住職は増阿法印から数えて18代目で、平成5年の晋山である。
本尊の阿弥陀如来像は、恵心作千体仏の一つとされ、住職晋山の時にしか開帳されない秘仏。
平成5年には28年ぶりに開帳された。
済興寺には様々な寺宝が伝わっている。
古くは宗祖の作といわれる「阿弥陀如来三尊仏」掛軸。
また寛政8(1796)年、地元の有力者が両親の菩提のために寄進した「涅槃像絵図」。
同じ寛政8年に酒津の講中によって建立された「北向き石地蔵尊」は、背負う格好をすると、腰痛が治るとの言い伝えがある。
他に、1200柱の英霊が合祀された花崗岩の忠霊塔がある。
また昭和48年に本山から迎えた「古励加楽(これから)観音」は、水かけ観音として親しまれている。
近年は改修工事を進め、昭和54年には鐘楼堂を、63年には本堂、客殿、庫裡を大改修した。
〜済興寺HPより〜
韶法山 済興寺
本尊 阿弥陀如来
開基 伝・平安時代 中興 元和元年増阿
倉敷市の北西部、かつては高梁川の川湊として栄えた酒津。
韶法山済興寺は、古くから酒津の人々の信仰を集めてきた。
その本尊は恵心僧都作といわれる秘仏・阿弥陀如来像。
本堂、客殿、庫裡、鐘楼堂の装いも新たになり、往時と変わらず酒津の人々の心の拠り所となっている。
済興寺の由来は古く、平安時代に火災に遭った伝承がある。
記録に残っているのは、中興の増阿法印が本尊を安置した元和元年(1615)から。
石正寺阿弥陀院、正眼寺真如院と称していたこともある。
大正4年(1915)、高梁川の改修に伴なって現在地に移転し、昭和9年から済興寺と称するようになった。
隆心住職は増阿法印から数えて18代目で、平成5年の晋山である。
本尊の阿弥陀如来像は、恵心作千体仏の一つとされ、住職晋山の時にしか開帳されない秘仏。
平成5年には28年ぶりに開帳された。
済興寺には様々な寺宝が伝わっている。
古くは宗祖の作といわれる「阿弥陀如来三尊仏」掛軸。
また寛政8(1796)年、地元の有力者が両親の菩提のために寄進した「涅槃像絵図」。
同じ寛政8年に酒津の講中によって建立された「北向き石地蔵尊」は、背負う格好をすると、腰痛が治るとの言い伝えがある。
他に、1200柱の英霊が合祀された花崗岩の忠霊塔がある。
また昭和48年に本山から迎えた「古励加楽(これから)観音」は、水かけ観音として親しまれている。
近年は改修工事を進め、昭和54年には鐘楼堂を、63年には本堂、客殿、庫裡を大改修した。
〜済興寺HPより〜
山門の外側に水かけ聖観音様がいらっしゃいます。
聖観音様アップ
となりには、水子の供養塔
そのとなりには稲荷社✨⛩️✨
稲荷社
右側の狐さん🦊
左側の狐さん🦊
山門
山門の左側には蝋梅が咲いてました✨
山門を入って斜め横から📸
入ってすぐ左側に鐘楼
本堂
本堂右脇のお堂
四国八十八ヶ所のお砂踏み道場もありました。
〜おまけ〜
二月二十三日に済興寺の前を通り掛かったのですが…
紅梅が満開でキレイでした✨
また時間がある時に、ゆっくりお参りしたいと思います。
すてき
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珊瑚223投稿
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