わけゆがじんじゃ
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楽しみ方由加神社(和気由加神社)のお参りの記録一覧
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和気由加神社にあがらせていただきました。
駐車場がとても広く、100台以上は優に超えて停めることができそうでした。
車を停めて参道の鳥居前に立ったときに、「あっ、なんかここは落ち着いていて、すごく時間がゆっくり流れているな」と感じました。
鳥居を抜け参道を進むと随神門が見えてきます。
そしてその先にはさらに門があるのですが、その右手前にある木にどうしても目がいってしまいました。
ツバキの花がとても綺麗に咲いていたのですが、なんか違和感が・・・
ツバキとは別の木の幹が空洞になっていて、その穴の中から椿が生えているのです。
思わず幹の穴をのぞき込んだのですが、どうなっているかよくわかりませんでした😅
拝殿に進むととても立派な拝殿が現れ、思わず立ち止まって全体を見渡してしまいました。
そして参拝前に神様に失礼と思いつつも、拝殿の全体写真を撮ろうとしたところ、奥様でしょうか、拝殿内で掃除機をかけていらっしゃったのですが、私に気付いたのか掃除の手を一度止めていただき、私の参拝が終わるまでそのまま待っていただく形になってしまいました。
本殿や和気靖国宮にお参り後、社務所に伺うとどなたもいらっしゃらなかったため、申し訳ないなと思いつつもインターホンを押すと、さきほどの奥様が拝殿内から出てきてくださり、御朱印の対応をしていただきました。
お掃除の手を止めさせてしまったのに、ご丁寧に対応いただきとても嬉しかったです。
<御祭神>
由加大神、八幡大神、素戔鳴大神、他二十余柱
<御由緒>~境内入り口の由緒書より~
当神社の創立は不詳、現存している最古の棟札には平安時代後期天永3年(1112年)和気氏が新田郷の総鎮守としての西久保方の上山上に八幡宮を建立したことが記されている。爾来、和気氏(郡司)藤原氏(地頭)明石、村上氏等有力者の崇敬が篤く、特に、播磨、備前、美作の守護であった赤松氏の崇敬が篤かった。
南北朝時代、赤松則祐が足利尊氏に従い、九州で戦った時、宇佐八幡宮に参篭し戦勝祈願を行ったところ軍利を得たので神助に報いるため建武4年(1338年)当神社を新しく造営し、現在の位置に遷宮した。明治5年郷社に列せられ、由加神社と改称した。明治42年各地区のお社を合祀し現在にいたる。




【令和四年七月二十一日参拝】和気由加神社
御由緒
当神社の創立は奈良時代と考えられています。保存している平安時代天永3年(西暦1112年)の棟札(まなふだ)には、遠き昔、和気氏が新田郷の総鎮守として西久保方の方の上に八幡宮を建立したことが記されています。
爾来、和気氏(郡司)藤原氏(地頭)明石、浦上、宇喜多氏等有力者の崇敬が篤く、特に、播磨、備前、美作の守護であった赤松氏の崇敬が篤かったとされています。
南北朝時代、赤松則祐が足利尊氏に従い、九州で戦った時、宇佐八幡宮に参籠し戦勝祈願を行ったところ軍利を得たので神助に報いるため建武四年(1338年)当神社を新しく造営し、現在の位置に遷宮しました。
🌟HPには載ってないですが、遷宮するにあたって、修験者の方たちと一緒に良い土地を探して、今の場所に決まったのだそうです。
明治5年郷社に列せられ、由加神社と改称しました。
明治42年各地区のお社を合祀し現在に至ります。
鎮座地
岡山県和気郡和気町大田原438
社殿の裏山からは、和気町中心地が見渡せます。
氏子(うじこ)
和気町の中心部を中心に約1100戸
御祭神
由加大神、八幡大神、素戔鳴大神、他二十余柱
御神徳
五穀成就、商売繁盛、安産、交通安全、その他
当神社は祈祷神社として昔より秘伝が伝わり、安産閉死除、方災除、夜泣止、家相方位、命名、その他特別祈祷の参拝者が各地より参拝されます。
御宝物
神功皇后御鎧及び御陣草履、赤松則祐奉納御鎧、赤松政則奉納御鎧
🌟鎧は、奉納用のきらびやかな鎧ではなく、実戦用に作った鎧を奉納してるので、かなり貴重な鎧との事。
鎧は岡山県立博物館の依頼により、現在は同博物館に収められています。
国立博物館にも日本を代表する鎧として、紹介されることがあります。
〜和気由加神社HPより〜
HPを見て頂くと、御宝物の鎧の画像も見れます。
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