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石上布都魂神社ではいただけません
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いそのかみふつみたまじんじゃ

石上布都魂神社のお参りの記録(1回目)
岡山県神目駅

投稿日:2024年06月04日(火)
#石上布都魂神社 #お神社様

祭神はスサノオの命。

#素盞鳴命

物部氏の氏神神社といえば、石上神宮(奈良県天理市)。ご祭神はフツノミタマの大神、フルノミタマの大神、フツシミタマの大神の3座だ。
このうちフツノミタマの大神は、神武東征で苦戦する皇軍へのテコ入れにと、”たかまのはら”から投入された剣。そしてフツシミタマの大神は、スサノオの尊がヤマタノオロチを倒すのに使った剣だ。

剣としての呼び名は日本書紀の別伝ごとに異なり、3種類ある。”おろちのあらまさ”、”からさびの剣”、”あめのははきりの剣”だ。このうち”からさびの剣”と記す別伝は、この剣は「吉備の神主のところにある」とする。

パンフによれば、この「吉備の神主のところ」こそがここ石上布都魂神社。また、石上神宮の保有する文献にも、「元は備前国の赤坂宮にあった」と書かれているそうだ。
パンフはさらに、大沢惟貞という人物の著書に、「剣が備前から大和へ移されたのは崇神天皇の御代」とあるという。

崇神天皇の時代といえば、吉備津彦神社や吉備津神社(共に岡山市北区)のご祭神、オオキビツヒコの命ら四道将軍が各地を平定したのがこのころ。
日本書紀だと、出雲大社の神宝を崇神天皇が大和へ運び入れさせたが、これを管理していたフルネが難色を示すと、キビツヒコらを派遣してフルネを殺させたとある。
似たようなことが備前でも起こったのだろうか。
石上布都魂神社の御朱印

すてき

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