きびつじんじゃ
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楽しみ方吉備津神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年06月23日(月) 20時24分02秒
参拝:2025年6月吉日
岡山市北区にある神社です。
吉備津彦神社と同様 とても有名な神社です。
16時を過ぎていて ご朱印は諦めてはいましたが 拝観はまだできると聞きましたので せっかく岡山まで来てお参りしないのは我慢できないとお参りしました。
駐車場に車を停めたのですが 目の前でお土産屋さんが店を閉めます。ほんまに大丈夫か?
北側の入口から石段を上がりました。
すぐに拝殿と本殿で 遅れてしまったことをお詫びしつつお願いも一つ。
参拝者はまあまあいらっしゃるのですが 社務所はもちろん無人になっていました。
本殿から本宮社まで 廻廊が境内を南北につないでいます。
300mぐらいかな その間に 御釜殿・御供殿や 摂末社がありました。
どちらも興味深く観させていただきましたが 他の参拝者が喋っている言葉がおそらく中国語でした。
すごいですね。京都や奈良の寺社なら納得ですが こちら岡山市で けっこう時間外の参拝です。
途中 ウェディングフォトを撮っておられる方がいらっしゃいました。
よくよく見ると 女性は日本の人でしたが 男性はアジア系の外国の方でした。
混雑する時間をはずしての撮影なのでしょうね。
参拝そのものは大満足でしたが ご朱印や拝受品を入手できなかったので またお参りします。
ネット情報です。
備中国一宮です。
岡山市西部 備前国と備中国の境の吉備中山の北西麓に北面して鎮座する。
吉備中山は古来神体山とされ 北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座する。
当社と吉備津彦神社とも 主祭神に 当地を治めたとされる大吉備津彦命を祀り 命の一族を配祀する。
すごいです 山の東西にそれぞれ一宮を鎮座する山なんですね。
本来は吉備国の総鎮守であったが 吉備国の三国への分割により備中国の一宮とされ 分霊が備前国・備後国の一宮(備前:吉備津彦神社 備後:吉備津神社)となったとされる。
このことから備中の吉備津神社は「吉備総鎮守」「三備一宮」を名乗る。
当地出身の政治家犬養毅は 犬養家遠祖の犬飼健命が大吉備津彦命の随神であるとして 吉備津神社を崇敬したという。
祭神は次の9柱。
主祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)です。
相殿神は百田弓矢比売命(大吉備津彦命の后)・御友別命(大吉備津彦命の子孫)・仲彦命(大吉備津彦命の子孫)・千々速比売命(大吉備津彦命の姉)・倭迹迹日百襲姫命(大吉備津彦命の姉)・日子刺肩別命(大吉備津彦命の兄)・倭迹迹日稚屋媛命(大吉備津彦命の妹)・彦寤間命(大吉備津彦命の弟)・若日子建吉備津日子命(大吉備津彦命の弟)です。
社伝によれば 祭神の大吉備津彦命は吉備中山の麓の茅葺宮に住み 281歳で亡くなって山頂に葬られたという。
吉備津神社の創建については 仁徳天皇が大吉備津彦命の功績を称えて創建したとの説がある一方 社伝では5代目の子孫の加夜臣奈留美命が茅葺宮に社殿を造営し 命を祀ったのが始まりであるとする。
平安時代初期に朝廷から封戸が当てられ 寄進地を加えながら社地は拡大し やがて権門に寄進されて荘園化した。
鎌倉時代初期になると仁和寺に寄進されてその所領となったが 南北朝時代には争乱により仁和寺の支配も脅かされた。
さらに応仁の乱以降は備中国守護の細川氏や在地勢力の松田氏らに社領が支配されることもあった。
戦国時代末期には毛利氏の勢力が及んで清水宗治らが実質的に支配した。
さらに豊臣秀吉による国内統一後は宇喜田秀家領となって社領の寄進を受けた。
なお 仁和寺との支配関係も近世初期まで継続し 特に祭祀面で影響を受けていた。
有名人の名前が出てきますね。
江戸時代には 三重塔など仏教施設もありましたが 神社内の社家方と社僧方の間で相論となり 寺社奉行の判決で社家方が本願を管理することを認められました。
享保期以降の境内図からは三重塔などの仏教建築物がなくなっており この時期に神仏分離が完成したとみられている。
吉備津彦神社と同様 とても有名な神社です。
16時を過ぎていて ご朱印は諦めてはいましたが 拝観はまだできると聞きましたので せっかく岡山まで来てお参りしないのは我慢できないとお参りしました。
駐車場に車を停めたのですが 目の前でお土産屋さんが店を閉めます。ほんまに大丈夫か?
北側の入口から石段を上がりました。
すぐに拝殿と本殿で 遅れてしまったことをお詫びしつつお願いも一つ。
参拝者はまあまあいらっしゃるのですが 社務所はもちろん無人になっていました。
本殿から本宮社まで 廻廊が境内を南北につないでいます。
300mぐらいかな その間に 御釜殿・御供殿や 摂末社がありました。
どちらも興味深く観させていただきましたが 他の参拝者が喋っている言葉がおそらく中国語でした。
すごいですね。京都や奈良の寺社なら納得ですが こちら岡山市で けっこう時間外の参拝です。
途中 ウェディングフォトを撮っておられる方がいらっしゃいました。
よくよく見ると 女性は日本の人でしたが 男性はアジア系の外国の方でした。
混雑する時間をはずしての撮影なのでしょうね。
参拝そのものは大満足でしたが ご朱印や拝受品を入手できなかったので またお参りします。
ネット情報です。
備中国一宮です。
岡山市西部 備前国と備中国の境の吉備中山の北西麓に北面して鎮座する。
吉備中山は古来神体山とされ 北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座する。
当社と吉備津彦神社とも 主祭神に 当地を治めたとされる大吉備津彦命を祀り 命の一族を配祀する。
すごいです 山の東西にそれぞれ一宮を鎮座する山なんですね。
本来は吉備国の総鎮守であったが 吉備国の三国への分割により備中国の一宮とされ 分霊が備前国・備後国の一宮(備前:吉備津彦神社 備後:吉備津神社)となったとされる。
このことから備中の吉備津神社は「吉備総鎮守」「三備一宮」を名乗る。
当地出身の政治家犬養毅は 犬養家遠祖の犬飼健命が大吉備津彦命の随神であるとして 吉備津神社を崇敬したという。
祭神は次の9柱。
主祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)です。
相殿神は百田弓矢比売命(大吉備津彦命の后)・御友別命(大吉備津彦命の子孫)・仲彦命(大吉備津彦命の子孫)・千々速比売命(大吉備津彦命の姉)・倭迹迹日百襲姫命(大吉備津彦命の姉)・日子刺肩別命(大吉備津彦命の兄)・倭迹迹日稚屋媛命(大吉備津彦命の妹)・彦寤間命(大吉備津彦命の弟)・若日子建吉備津日子命(大吉備津彦命の弟)です。
社伝によれば 祭神の大吉備津彦命は吉備中山の麓の茅葺宮に住み 281歳で亡くなって山頂に葬られたという。
吉備津神社の創建については 仁徳天皇が大吉備津彦命の功績を称えて創建したとの説がある一方 社伝では5代目の子孫の加夜臣奈留美命が茅葺宮に社殿を造営し 命を祀ったのが始まりであるとする。
平安時代初期に朝廷から封戸が当てられ 寄進地を加えながら社地は拡大し やがて権門に寄進されて荘園化した。
鎌倉時代初期になると仁和寺に寄進されてその所領となったが 南北朝時代には争乱により仁和寺の支配も脅かされた。
さらに応仁の乱以降は備中国守護の細川氏や在地勢力の松田氏らに社領が支配されることもあった。
戦国時代末期には毛利氏の勢力が及んで清水宗治らが実質的に支配した。
さらに豊臣秀吉による国内統一後は宇喜田秀家領となって社領の寄進を受けた。
なお 仁和寺との支配関係も近世初期まで継続し 特に祭祀面で影響を受けていた。
有名人の名前が出てきますね。
江戸時代には 三重塔など仏教施設もありましたが 神社内の社家方と社僧方の間で相論となり 寺社奉行の判決で社家方が本願を管理することを認められました。
享保期以降の境内図からは三重塔などの仏教建築物がなくなっており この時期に神仏分離が完成したとみられている。

鳥居はありませんでした 石段を上がっていきます

手水舎

境内案内図

矢置岩という岩があります

北側隋神門

拝殿の入口

拝殿

本殿

拝殿と本殿を横から

社務所は閉じていました(残念)

巨大絵馬

一童社の看板

祈願トンネル 絵馬かけですね

一童社本殿拝所

本殿を横から見た

岩山宮から本殿に来る途中の鳥居

岩山宮

岩山宮の鳥居

廻廊

手水舎

本宮社の入口

社号の石柱



本宮社

本宮社の狛犬


本宮社の本殿を横から

御備殿

春日宮 大神宮 八幡宮

御釜殿


なんじゃこりゃ

水車がありました

えびす宮

えびす宮の説明

南隋神門

廻廊についての説明

駐車場から見た本殿あたり

由緒書
すてき
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くるくるきよせん3062投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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