きびつじんじゃ
吉備津神社岡山県 吉備津駅
社務所/09:00〜17:00
備中国一之宮。
創建不詳。
仁徳天皇の代(394年~427年)の創建とも伝わる。
神仏習合していたが、江戸時代中期に三重塔を破却して神仏分離している。
現在の本殿・拝殿は、1390年後光厳天皇の勅命により室町幕府3代将軍・足利義満が再興に着手し1425年に落成したものである。
本殿・拝殿は国宝指定。
1542年再建の北随神門、1357年再建の南随神門、1606年再建の御竈殿は重文指定されている。
本殿
本殿
本殿
拝殿
拝殿
北随神門
北随神門
矢置岩
廻廊
長さは400mに及ぶ。天正年間(1573年~1591年)の造営。
廻廊
長さは400mに及ぶ。天正年間(1573年~1591年)の造営。
廻廊長さは400mに及ぶ。天正年間(1573年~1591年)の造営。
廻廊
長さは400mに及ぶ。天正年間(1573年~1591年)の造営。
廻廊
長さは400mに及ぶ。天正年間(1573年~1591年)の造営。
南随神門
1357年建築。現存する吉備津神社最古の建物。
えびす宮拝殿
えびす宮拝殿・本殿
岩山宮
岩山宮
岩山宮
岩山宮
祖霊社
稚児慰社
宇賀神社
宇賀神社
御竈殿
祭神により退治された鬼の首が埋められているという伝承がある。
釜の鳴る音によって吉凶を占う「鳴釜神事」が行われる。
御竈殿
祭神により退治された鬼の首が埋められているという伝承がある。
釜の鳴る音によって吉凶を占う「鳴釜神事」が行われる。
御竈殿
祭神により退治された鬼の首が埋められているという伝承がある。
釜の鳴る音によって吉凶を占う「鳴釜神事」が行われる。
三社宮
三社宮(春日宮・大神宮・八幡宮)
御供殿
御供殿
本宮社
本宮社拝殿
本宮社本殿
今日から岡山県、広島県、愛媛県、高知県の旅です😃岡山県の吉備津神社に参拝しました。天気は良いけど少し寒いです。
御朱印です。
御朱印帳も購入しました。
神社の入り口です。
社殿です。
池に鯉。
御朱印を頂きました🙇
本殿です。
祈願トンネル。
銀杏の木。
記伝によれば、崇神朝四道将軍の随一として、この地方の賊徒を平定して平和と秩序を築き、今日の吉備文化の基礎を作られた大吉備津彦大神(五十狭芹彦命)を祀る山陽道屈指の大社。仁徳記創建で、「延喜式」では名神大社。また最高位を与えられ一品吉備津宮とも称される。古来、吉備国(備前・備中・備後・美作)開拓の大祖神として尊崇され、殖産興業・交通安全の守護神、延命長寿の霊剣あらたかな神として朝野の信仰があつい。
吾国唯一の様式にして日本建築の傑作「吉備津造(比翼入母屋造)」の勇壮な社殿、鳴釜の神事、桃太郎伝説にモデルなどで著名。
名称 | 吉備津神社 |
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読み方 | きびつじんじゃ |
参拝時間 | 社務所/09:00〜17:00 |
参拝にかかる時間 | 30分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 086-287-4111 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://kibitujinja.com/ |
おみくじ | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
日本全国の一宮まとめ |
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ご祭神 | 《主祭神》 大吉備津彦命 《配祀神》 日子刺方別命 倭飛羽矢若屋比売命 千千速比売命 大倭迹迹日百襲比売命 御友別命 若日子建吉備津彦命 中津彦命 日子寤間命 |
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ご神体 | 吉備の中山 |
創建時代 | 不詳 |
創始者 | 不詳 |
本殿 | 吉備津造 |
文化財 | 【国宝】本殿及び拝殿
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ご由緒 | 記伝によれば、崇神朝四道将軍の随一として、この地方の賊徒を平定して平和と秩序を築き、今日の吉備文化の基礎を作られた大吉備津彦大神(五十狭芹彦命)を祀る山陽道屈指の大社。仁徳記創建で、「延喜式」では名神大社。また最高位を与えられ一品吉備津宮とも称される。古来、吉備国(備前・備中・備後・美作)開拓の大祖神として尊崇され、殖産興業・交通安全の守護神、延命長寿の霊剣あらたかな神として朝野の信仰があつい。
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体験 | 祈祷おみくじお宮参り絵馬七五三御朱印お守り国宝重要文化財祭りアニメなどサブカル武将・サムライ札所・七福神巡り一の宮伝説 |
Youtube | |
概要 | 吉備津神社(きびつじんじゃ)は、岡山県岡山市北区吉備津にある神社。式内社(名神大社)、備中国一宮。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 「吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)」とも称したが、現在は「吉備津神社」が正式名である。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創建[編集] 社伝によれば、祭神の大吉備津彦命は吉備中山の麓の茅葺宮に住み、281歳で亡くなって山頂に葬られた。5代目の子孫の加夜臣奈留美命が茅葺宮に社殿を造営し、命を祀ったのが創建とする説もある。また、吉備国に行幸した仁徳天皇が、大吉備津彦命の業績を称えて5つの社殿と72の末社を創建したという説もある。 概史[編集] 朝廷からの篤い崇敬を受け、国史では承和14年(847年)に従四位下の神階を受けた記載が最初で、翌年には従四位上に進んだ。仁寿2年(852年)には神階が品位(ほんい)に変わって四品(しほん)が授けられ、10世紀には一品(いっぽん)まで昇叙された。 延長5年...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「吉備津神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%90%89%E5%82%99%E6%B4%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=101610645 |
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