きびつじんじゃ
吉備津神社岡山県 吉備津駅
開門午前5時 閉門午後6時
御朱印受付午前9時頃~午後2時30分
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楽しみ方御朱印(1種類)
吉備津神社の御朱印
真ん中に吉備津神社と書かれ、右上に三備一宮の印、真ん中に吉備津神社印が入っています。
吉備津神社は吉備国の総鎮守でしたが、吉備国の三国分割により備中国の一宮とされ、分霊が備前国と備後国の一宮となり、この事から備中の吉備津神社は「吉備総鎮守」「三備一宮」を名乗っています。
御朱印帳(2種類)

岡山に友人に会いに行ったついでに参拝。
電車の本数は少ないですが駅から近く、行きやすいです。
本殿の他、一童社にもお参り。
芸能事のお願いをしました。
御朱印をお願いして番号札を頂き、番号がスクリーンに表示されたら引き換えで受け取りました。とても快適な仕組みです。
御朱印はスタンダードなもの以外にもカラーのものが複数種類ありました。個人的にはスタンダードが一番ですね。
11月末はイチョウの葉が落ち終わった次期で、見頃はもう少し前だったのかなと思いましたが、イチョウの絨毯も綺麗でした。
おやつできびだんごソフトクリームを食べていくのもおすすめです。
吉備津神社 通常の御朱印

備中国一宮の吉備津神社にあがらせていただきました。
先日投稿した備前国一宮・吉備津彦神社からは車で5分もかからないほどの近くに鎮座しています。
正直、こんな近くに備中国と備前国の一宮があるのは驚きました。
こちらに到着したのは朝9時前でしたが、既に駐車場には20台位は停まっていたでしょうか。
もう少しあとになると多くの方で賑わうのでしょうが、その前に参拝できてよかったです。
広い境内をゆっくりと参拝したいところだったのですが、この日はさらに大移動を予定。
そのため全てをまわることができず慌ただしい参拝となったことをお詫びしつつ、またいつの日かゆっくりとお参りさせていただきたいと思いました。
慌ただしい参拝と言いつつ、こちらの本殿・拝殿は国宝に指定されているということで、しっかりと目に焼き付けてきました。
いただいたパンフレットによると、
『社殿の造営は、社伝によれば、仁徳天皇が五社の社殿と72の末社を建立した事に始まるとされます。
度々焼失しましたが、明徳元年(1390)後光厳天皇の勅命により、室町幕府三代将軍の足利義満が再興に着手し、応永32年(1425)12月29日に現在の社殿が落成しました。
その建築様式を「比翼入母屋造」と云い、全国でも当社だけの様式ですので「吉備津造」とも称されております。』
とのこと。
全長360mの回廊や御竈殿、さらにあじさい園や梅林、ぼたん園など季節によっても見どころ満載なので、絶対にまたお参りしたいですね。
あじさいの頃に来れたらいいなぁ。
境内の北側から進みます
手水舎
多くの提灯がお出迎え
北随神門
拝殿が見えてきました
拝殿
拝殿、本殿
思わず見惚れてしまいます
ちょっと高台から
本殿南側にある一童社、その前には祈願トンネル
学問・芸能の神様をお祭りしています
一童社拝殿
拝殿前で振り返ると、祈願トンネルには「明るい門出」の文字
駐車場横の土産屋さんには赤鬼が!

岡山市北区にある神社です。
吉備津彦神社と同様 とても有名な神社です。
16時を過ぎていて ご朱印は諦めてはいましたが 拝観はまだできると聞きましたので せっかく岡山まで来てお参りしないのは我慢できないとお参りしました。
駐車場に車を停めたのですが 目の前でお土産屋さんが店を閉めます。ほんまに大丈夫か?
北側の入口から石段を上がりました。
すぐに拝殿と本殿で 遅れてしまったことをお詫びしつつお願いも一つ。
参拝者はまあまあいらっしゃるのですが 社務所はもちろん無人になっていました。
本殿から本宮社まで 廻廊が境内を南北につないでいます。
300mぐらいかな その間に 御釜殿・御供殿や 摂末社がありました。
どちらも興味深く観させていただきましたが 他の参拝者が喋っている言葉がおそらく中国語でした。
すごいですね。京都や奈良の寺社なら納得ですが こちら岡山市で けっこう時間外の参拝です。
途中 ウェディングフォトを撮っておられる方がいらっしゃいました。
よくよく見ると 女性は日本の人でしたが 男性はアジア系の外国の方でした。
混雑する時間をはずしての撮影なのでしょうね。
参拝そのものは大満足でしたが ご朱印や拝受品を入手できなかったので またお参りします。
ネット情報です。
備中国一宮です。
岡山市西部 備前国と備中国の境の吉備中山の北西麓に北面して鎮座する。
吉備中山は古来神体山とされ 北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座する。
当社と吉備津彦神社とも 主祭神に 当地を治めたとされる大吉備津彦命を祀り 命の一族を配祀する。
すごいです 山の東西にそれぞれ一宮を鎮座する山なんですね。
本来は吉備国の総鎮守であったが 吉備国の三国への分割により備中国の一宮とされ 分霊が備前国・備後国の一宮(備前:吉備津彦神社 備後:吉備津神社)となったとされる。
このことから備中の吉備津神社は「吉備総鎮守」「三備一宮」を名乗る。
当地出身の政治家犬養毅は 犬養家遠祖の犬飼健命が大吉備津彦命の随神であるとして 吉備津神社を崇敬したという。
祭神は次の9柱。
主祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)です。
相殿神は百田弓矢比売命(大吉備津彦命の后)・御友別命(大吉備津彦命の子孫)・仲彦命(大吉備津彦命の子孫)・千々速比売命(大吉備津彦命の姉)・倭迹迹日百襲姫命(大吉備津彦命の姉)・日子刺肩別命(大吉備津彦命の兄)・倭迹迹日稚屋媛命(大吉備津彦命の妹)・彦寤間命(大吉備津彦命の弟)・若日子建吉備津日子命(大吉備津彦命の弟)です。
社伝によれば 祭神の大吉備津彦命は吉備中山の麓の茅葺宮に住み 281歳で亡くなって山頂に葬られたという。
吉備津神社の創建については 仁徳天皇が大吉備津彦命の功績を称えて創建したとの説がある一方 社伝では5代目の子孫の加夜臣奈留美命が茅葺宮に社殿を造営し 命を祀ったのが始まりであるとする。
平安時代初期に朝廷から封戸が当てられ 寄進地を加えながら社地は拡大し やがて権門に寄進されて荘園化した。
鎌倉時代初期になると仁和寺に寄進されてその所領となったが 南北朝時代には争乱により仁和寺の支配も脅かされた。
さらに応仁の乱以降は備中国守護の細川氏や在地勢力の松田氏らに社領が支配されることもあった。
戦国時代末期には毛利氏の勢力が及んで清水宗治らが実質的に支配した。
さらに豊臣秀吉による国内統一後は宇喜田秀家領となって社領の寄進を受けた。
なお 仁和寺との支配関係も近世初期まで継続し 特に祭祀面で影響を受けていた。
有名人の名前が出てきますね。
江戸時代には 三重塔など仏教施設もありましたが 神社内の社家方と社僧方の間で相論となり 寺社奉行の判決で社家方が本願を管理することを認められました。
享保期以降の境内図からは三重塔などの仏教建築物がなくなっており この時期に神仏分離が完成したとみられている。
鳥居はありませんでした 石段を上がっていきます
手水舎
境内案内図
矢置岩という岩があります
北側隋神門
拝殿の入口
拝殿
本殿
拝殿と本殿を横から
社務所は閉じていました(残念)
巨大絵馬
一童社の看板
祈願トンネル 絵馬かけですね
一童社本殿拝所
本殿を横から見た
岩山宮から本殿に来る途中の鳥居
岩山宮
岩山宮の鳥居
廻廊
手水舎
本宮社の入口
社号の石柱
本宮社
本宮社の狛犬
本宮社の本殿を横から
御備殿
春日宮 大神宮 八幡宮
御釜殿
なんじゃこりゃ
水車がありました
えびす宮
えびす宮の説明
南隋神門
廻廊についての説明
駐車場から見た本殿あたり
由緒書
5月第2日曜 例祭
例祭・神事をもっと見る|記伝によれば、崇神朝四道将軍の随一として、この地方の賊徒を平定して平和と秩序を築き、今日の吉備文化の基礎を作られた大吉備津彦大神(五十狭芹彦命)を祀る山陽道屈指の大社。仁徳記創建で、「延喜式」では名神大社。また最高位を与えられ一品吉備津宮とも称される。古来、吉備国(備前・備中・備後・美作)開拓の大祖神として尊崇され、殖産興業・交通安全の守護神、延命長寿の霊剣あらたかな神として朝野の信仰があつい。
吾国唯一の様式にして日本建築の傑作「吉備津造(比翼入母屋造)」の勇壮な社殿、鳴釜の神事、桃太郎伝説にモデルなどで著名。
| 名称 | 吉備津神社 |
|---|---|
| 読み方 | きびつじんじゃ |
| 参拝時間 | 開門午前5時 閉門午後6時
|
| 参拝にかかる時間 | 30分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | あり |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | あり |
| 御朱印帳に直書き | あり 本社の御朱印
|
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 086-287-4111 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://kibitujinja.com/ |
| おみくじ | あり |
| 絵馬 | あり |
| SNS |
| 日本全国の一宮まとめ |
|---|
| ご祭神 | 《主祭神》 大吉備津彦命 《配祀神》 日子刺方別命 倭飛羽矢若屋比売命 千千速比売命 大倭迹迹日百襲比売命 御友別命 若日子建吉備津彦命 中津彦命 日子寤間命 |
|---|---|
| ご神体 | 吉備の中山 |
| 創建時代 | 不詳 |
| 創始者 | 不詳 |
| 本殿 | 吉備津造 |
| 文化財 | 【国宝】本殿及び拝殿
|
| ご由緒 | 記伝によれば、崇神朝四道将軍の随一として、この地方の賊徒を平定して平和と秩序を築き、今日の吉備文化の基礎を作られた大吉備津彦大神(五十狭芹彦命)を祀る山陽道屈指の大社。仁徳記創建で、「延喜式」では名神大社。また最高位を与えられ一品吉備津宮とも称される。古来、吉備国(備前・備中・備後・美作)開拓の大祖神として尊崇され、殖産興業・交通安全の守護神、延命長寿の霊剣あらたかな神として朝野の信仰があつい。
|
| 体験 | 祈祷おみくじお宮参り絵馬七五三御朱印お守り国宝重要文化財祭りアニメなどサブカル武将・サムライ札所・七福神巡り一の宮伝説 |
| Youtube | |
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