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歴史

藩政時代、豊後森藩の陣屋町として栄えた、大分県玖珠郡玖珠町森の三島公園にある神社が末廣神社。末廣神社は慶長6年(1601年)、森藩主・来島長親(くるしまながちか)のルーツである来島水軍(村上水軍の一族)が信仰した、伊予・大三島の大山祗神社(おおやまづみじんじゃ)を勧請した、三島宮が前身。
この三島宮は、妙見宮を合祀し、明治6年に末廣神社と改称。
本殿は総檜造りの入母屋造で、江戸後期の文政12年(1829年)の築造。
本殿の建屋を覆う切妻造の「鞘堂」は、文政5年(1822年)の築造とされ、ともに大分県の文化財に指定されています。

末廣神社には現在、村上水軍の氏神である大山積神(おおやまつみのかみ=三島大明神)と天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が祀られています。
天之御中主神が祀られるのはは、北極星または北斗七星を神格化した妙見菩薩を祀った神仏習合の妙見宮が明治初年の神仏分離・廃仏毀釈で、天之御中主神を祭神とするようになったため。

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末廣神社の基本情報

住所大分県玖珠郡玖珠町大字森864番地
行き方
アクセスを詳しく見る
名称末廣神社
通称三島さま
参拝時間

参拝自由

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし

詳細情報

ご祭神《合》天御中主神,《主》大山積神
創建時代1601年(慶長6年)
創始者久留島康親
文化財

御神殿(大分県指定有形文化財)

ご由緒

藩政時代、豊後森藩の陣屋町として栄えた、大分県玖珠郡玖珠町森の三島公園にある神社が末廣神社。末廣神社は慶長6年(1601年)、森藩主・来島長親(くるしまながちか)のルーツである来島水軍(村上水軍の一族)が信仰した、伊予・大三島の大山祗神社(おおやまづみじんじゃ)を勧請した、三島宮が前身。
この三島宮は、妙見宮を合祀し、明治6年に末廣神社と改称。
本殿は総檜造りの入母屋造で、江戸後期の文政12年(1829年)の築造。
本殿の建屋を覆う切妻造の「鞘堂」は、文政5年(1822年)の築造とされ、ともに大分県の文化財に指定されています。

末廣神社には現在、村上水軍の氏神である大山積神(おおやまつみのかみ=三島大明神)と天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が祀られています。
天之御中主神が祀られるのはは、北極星または北斗七星を神格化した妙見菩薩を祀った神仏習合の妙見宮が明治初年の神仏分離・廃仏毀釈で、天之御中主神を祭神とするようになったため。

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