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末廣神社について

豊後森藩主久留島家縁の神社。
月替りの書き置き御朱印有り。

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高砂あさっぴー
高砂あさっぴー
2025年05月11日(日) 12時01分15秒
1221投稿

玖珠町森にある神社。
森藩初代藩主で村上水軍の久留島康親が氏神である大山積神の御分霊を祀った神社で現在の様な城仕立ての境内は八代藩主通嘉によって造られました。
豊後森駅からタクシーで移動。山の中にある苔むした地面と反り立つ石垣は本当に城跡のようでとても迫力があります。自然を感じられる気持ちいい境内でした。社殿などの建物も歴史を感じられるものばかり。拝殿前の手水鉢は日本で1番大きい手水鉢らしいです。おみくじと書き置きの月替り御朱印が頂けます。また神社周辺には久留島家縁の建物や角牟礼城跡などあり江戸時代の街並みが残る森の伝統的建造物エリアもあり観光できる場所が沢山ありますよ。

末廣神社の鳥居

鳥居と森

末廣神社の本殿・本堂

本殿

末廣神社の本殿・本堂

拝殿

末廣神社の歴史

鞘堂づくりの御神殿

末廣神社の歴史

奉納された砲弾

末廣神社の狛犬

狛犬

末廣神社の狛犬

狛犬

末廣神社の庭園

参道

末廣神社の像

末廣神社の像

末廣神社の手水舎

手水鉢

末廣神社の手水舎

日本一大きな手水鉢

末廣神社の手水舎

手水舎

末廣神社の庭園

境内

末廣神社の自然

境内

末廣神社の自然

境内

末廣神社の末社・摂社

末社

末廣神社のその他建物

石垣

末廣神社の自然

境内

末廣神社の歴史

災害復旧の記

末廣神社の庭園

角牟礼城跡への道

末廣神社の芸術

百人一首

末廣神社の庭園

境内

末廣神社の歴史

不時亘先生之碑

末廣神社の手水舎

玉濃井

末廣神社の歴史

玉濃井

末廣神社の歴史

園田廣城先生之碑

末廣神社の本殿・本堂

拝殿内

末廣神社のおみくじ

おみくじと御朱印

末廣神社の本殿・本堂

扁額

末廣神社の歴史

鎮西八郎射ぬきの石

末廣神社の歴史

由緒書

末廣神社の歴史

境内図

末廣神社の自然

境内

末廣神社の末社・摂社

末廣神社の地蔵

お地蔵様

末廣神社の像

神馬像

末廣神社の像

神馬像と一緒にいる臥牛像

末廣神社のその他建物

公衆トイレ

末廣神社の感染症対策

消毒液

末廣神社のその他建物

石垣

末廣神社の像

恵比寿様などの像

末廣神社の自然

御神木

末廣神社の景色

境内

末廣神社のおみくじ

おみくじ

末廣神社のその他建物

末廣神社から角牟礼城跡までの道

末廣神社の周辺

豊後森駅の日本のアンデルセン久留島武彦のパネル
久留島家の人物です

末廣神社の周辺

豊後森駅近くの旧豊後森機関庫
「すずめの戸締まり」の聖地

末廣神社の景色

境内

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歴史

藩政時代、豊後森藩の陣屋町として栄えた、大分県玖珠郡玖珠町森の三島公園にある神社が末廣神社。末廣神社は慶長6年(1601年)、森藩主・来島長親(くるしまながちか)のルーツである来島水軍(村上水軍の一族)が信仰した、伊予・大三島の大山祗神社(おおやまづみじんじゃ)を勧請した、三島宮が前身。
この三島宮は、妙見宮を合祀し、明治6年に末廣神社と改称。
本殿は総檜造りの入母屋造で、江戸後期の文政12年(1829年)の築造。
本殿の建屋を覆う切妻造の「鞘堂」は、文政5年(1822年)の築造とされ、ともに大分県の文化財に指定されています。

末廣神社には現在、村上水軍の氏神である大山積神(おおやまつみのかみ=三島大明神)と天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が祀られています。
天之御中主神が祀られるのはは、北極星または北斗七星を神格化した妙見菩薩を祀った神仏習合の妙見宮が明治初年の神仏分離・廃仏毀釈で、天之御中主神を祭神とするようになったため。

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末廣神社の基本情報

住所

大分県玖珠郡玖珠町大字森864番地

行き方
アクセスを詳しく見る
名称

末廣神社

読み方

すえひろじんじゃ

通称

三島さま

参拝時間

参拝自由

トイレ拝殿右側の角牟礼城跡への道の前
御朱印あり
限定御朱印なし
御朱印帳に直書きなし
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳なし
おみくじ

あり

詳細情報

ご祭神《合》天御中主神,《主》大山積神
創建時代

1601年(慶長6年)

創始者

久留島康親

文化財

御神殿及び覆屋附棟札二枚(大分県指定有形文化財)
旧久留島氏庭園(国指定名勝)
栖鳳楼(大分県指定有形文化財)

ご由緒

藩政時代、豊後森藩の陣屋町として栄えた、大分県玖珠郡玖珠町森の三島公園にある神社が末廣神社。末廣神社は慶長6年(1601年)、森藩主・来島長親(くるしまながちか)のルーツである来島水軍(村上水軍の一族)が信仰した、伊予・大三島の大山祗神社(おおやまづみじんじゃ)を勧請した、三島宮が前身。
この三島宮は、妙見宮を合祀し、明治6年に末廣神社と改称。
本殿は総檜造りの入母屋造で、江戸後期の文政12年(1829年)の築造。
本殿の建屋を覆う切妻造の「鞘堂」は、文政5年(1822年)の築造とされ、ともに大分県の文化財に指定されています。

末廣神社には現在、村上水軍の氏神である大山積神(おおやまつみのかみ=三島大明神)と天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が祀られています。
天之御中主神が祀られるのはは、北極星または北斗七星を神格化した妙見菩薩を祀った神仏習合の妙見宮が明治初年の神仏分離・廃仏毀釈で、天之御中主神を祭神とするようになったため。

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