らかんじ|曹洞宗| 耆闍崛山
羅漢寺のお参りの記録一覧
【耆闍崛山(ぎじゃくっせん)羅漢寺(らかんじ)】
本尊:釈迦如来
宗派:曹洞宗
開基:法道仙人
~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第100番~
羅漢寺は、大分県中津市本耶馬渓町、羅漢山の中腹に位置する。日本国内の羅漢寺の総本山。
羅漢寺の創建は古く、寺伝によれば、645(大化元)年、インドから渡来した法道仙人(ほうどうせんにん)がこの寺を開いたという。この地に霊気を感じた法道仙人は、地形が釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)の聖跡である耆闍崛山(ぎじゃくっせん)(霊鷲山(りょうじゅせん))を彷彿させることから、この山の洞中に長くとどまり、この山を去る時に、念持仏としていた金銅仏一体を残したという。これが羅漢寺の起源といわれている。平安時代には、この一帯が山岳修行の霊地として知られるようになり、修験者たちが集まるようになった。その後、1337(延元2)年には、臨済宗の円龕昭覚(えんがんしょうかく)が訪れ、十六羅漢の画像を描いて洞窟の中に掲げたことから羅漢寺と呼ばれるようになったという。さらに、中国僧の逆流建順(ぎゃくりゅうけんじゅん)がこの地にやってきて、昭覚と協力して羅漢寺に五百羅漢像や千体地蔵を安置した。そのことを知った室町将軍の足利義満も、羅漢寺に帰依するようになる。また、この地を治めていた細川家からの支援もあり、羅漢寺の伽藍は次第に整備されていった。しかし、戦国時代の兵火でほとんどの伽藍を焼失してしまう。しばらくして、一時は荒廃していたこの地に、曹洞宗の鉄村玄鷟(てつそんげんさく)が入山する。玄鷟は細川忠興(ただおき)の帰依や援助を受けて、羅漢寺の復興に努めた。そのため、玄鷟は羅漢寺の中興の祖と称されている。そして、1600(慶長5)年、羅漢寺は曹洞宗に改宗し、現在にいたっている。
~『百寺巡礼 第十巻 四国・九州』五木寛之(講談社、2005)~
羅漢寺登口に、入山に関しての注意事項があります。登口から5分程登ると仁王門の手前に受付があり入山料志納後、入山許可証を頂きます。リフトもありますが歩いて登りました。登山ではありませんが登山に適した靴が必要です。受付で確認されます。写真撮影は禁止です(羅漢寺を自分自身の五感で感じて心に残していただきたいという思いから)。境内は静かです。石仏がとても多く十分時間をとって参詣されるのがよいと思います。
【羅漢寺登口】
【羅漢寺MAP】
【無漏窟(むろくつ)】
羅漢寺石仏の世界(中津市教育委員会 発行)より。
~「無漏」は仏教用語で、「有漏」の反対語だ。「漏」は煩悩を意味する言葉で、「無漏」とは煩悩がない境地を示していることになる。そして、無漏窟の奥には五百羅漢像がずらりと並ぶ。~
【五百羅漢】
羅漢寺石仏の世界(中津市教育委員会 発行)より。
~仏でもなく俗人でもない羅漢は、仏と私たち人間とのあいだを結んでくれる架け橋のような存在なのかもしれない。~
【本堂】
羅漢寺石仏の世界(中津市教育委員会 発行)より。
【禅海堂】
羅漢寺登口から参道を登った直ぐにある。青の洞門を手掘りした禅海和尚のお堂。
【禅海和尚が手掘りで使った鑿(のみ)・大槌・小槌】
【禅海和尚の像】
江戸時代、羅漢寺をめざす人々は耶馬渓 競秀峰(きょうしゅうほう)の断崖を越えていた。
~あるとき、禅海という僧が偶然この地を通りかかった。彼は江戸で罪を犯したのち仏門にはいり、全国を放浪していたのである。たくさんの人たちが競秀峰を命がけで越えている、ということを禅海は耳にした。現場へ行ってみると、おそろしい絶壁が立ちふさがっている。それなら、ここをくりぬいて隧道(トンネル)をつくろう、と彼は決意したのだった。禅海はそれ以後の生涯を、この隧道を掘りぬくことに捧げることになる。1734(享保19)年にスタートした大事業は、約三十年という長い歳月をへてようやく完成した。これが「青の洞門」である。~
【禅海和尚の手掘り洞門】
~青の洞門も、いまはごく一部に痕跡を残すのみになっている。だが、江戸時代に青の洞門が完成したおかげで、羅漢寺への参詣客たちは安心して通行できるようになった。そして、羅漢寺へ、羅漢寺へと、ますます多くの人びとが詣でるようになる。~
曹洞宗のお寺との事ですが、見た目が修験道のお寺の雰囲気でした。
お寺の案内を読むと、曹洞宗が日本で成立する前に出来たお寺という事で納得しました。また、天台宗の時期もあったとの事ですが、その天台宗すら成立する前に創建されたという長い歴史を持つお寺である事を知り、自分の中での九州のお気に入りの地が一つ増えた感じです。
写真禁止のお寺なので伝える事が出来ないのですが、巨大な石窟をくりぬいて、五百羅漢やお堂、展望台を設置しています。そこから見える田園風景を写真に撮れたらと切望してしまいました。
お寺内の雰囲気は、写真禁止だから観光客を排除するという雰囲気ではなく、目で見て、心に焼き付けてほしいという方針だと思います。お守りや御朱印受付所にはそれ専用のお坊さんが居ますので、どちらかというと、観光で来る人に対してウェルカムな雰囲気です。
リフトは今では設置許可が下りるかな?と思う程怖い。「飛び降り禁止」とか「禁煙」の看板がところどころ置かれてましたが、リフトに乗ってるときにそういう事をする人が居たんでしょうか。
近くの福祉施設の方達が作った縁結び地蔵のしゃもじお守りです。とてもかわいらしく、心を込めて作られた事が伝わってきます。お寺さんの配慮でお守り売り場で販売されています。
仁王門は写真が撮れます。リフトに乗らなくても本土まで行けますけど、無理しない方が良いと思います。
案内が無いと気づかない。
曼荼羅石というそうです。
耶馬渓付近の観光名所は色んな所に「禅海」が付いてます。
溪石園。この付近は石による名所が沢山あります。
溪石園は誰も人が居ませんでした。
競秀峰。青の洞門に近い為か、この付近は人が多かったです。
小さい頃から、よく来ていたお寺です。
昔は写真も撮り放題でしたが、今はNGみたいです。
撮る事より、参る事を優先に。おっしゃる通りです。
御朱印です。
階段でも、リフトでも行けます。
リフトは有料。
禅海堂。青の洞門を彫られた禅海和尚のお墓があります。また掘った時のミノ、金槌や遺品が展示されていました。優しいおばちゃんが説明して下さいます。35年前の初参拝より、一つも変わらない。
リフトで上がりました。ここの階段は、祐徳稲荷の奥の院クラスです。
2018.4
五百羅漢尊
ごひゃくらかんそん
日本三大五百羅漢の一つ
曹洞宗の寺院
日本国内の羅漢寺の総本山
大分県中津市本耶馬渓町跡田1501
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アクセス
中津駅からバスで40分
駐車場無料🚙👏🏻
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羅漢寺リフトで上まであがります。
このリフトがかなり怖かったです😂
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中は写真はNGです。
初穂料 300円
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山門
山門は室町幕府の三代将軍足利義満により建立されたと言われています。
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千体地蔵
室町時代に普覚禅師(ふかくぜんじ)という高僧がこの千体地蔵と十王尊を刻み安置したとされています。納められている石仏の数は、千百体以上を数えます。
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五百羅漢
無漏窟と呼ばれる岩屋の中に五百羅漢が安置されています。中央に釈迦如来坐像(しゃかにょらいざぞう)が安置。
さまざまな表情で生きているようにも見えました👀
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耶馬溪の近くのネモフィラがとっても可愛かったです。
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