うなぎひめじんじゃ
宇奈岐日女神社大分県 由布院駅
授与所:08:30〜16:30
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楽しみ方
参拝記念⛩️✨️
宇奈岐日女神社
大分県由布市湯布院町に鎮座する宇奈岐日女神社へ参拝に上がらせて頂きました🙏
由布院総鎮守の神社ということで駅前を少し先にいった所に立派な大鳥居から参道が始まりました。
車で通過したため大鳥居の写真はなし(^_^;)
とても落ち着いた雰囲気が漂う境内に、特徴的な可愛らしい狛犬さんに迎えられてからの立派な総門✨️
拝殿・本殿も弁天造りでとても見どころが多かったです。
手水舎の正面に見慣れない建屋があり社務所でお聞きしたら、祓殿と教えて頂きました。
温泉に入りたくて由布院で宿泊させて頂いたのですが、早々と由布院をあとにせず💦
由布院で朝から温泉に浸かりのんびりと参拝に上がらせて頂き至福な2日目のスタートとなりました。
霧がすごくて由布岳を拝めなかったので、また訪れたいと思います🙏
御朱印 書入れ
鳥居
参道
祓殿
手水舎
由緒
参道
狛犬
特徴的な表情が可愛らしい♪
総門
境内の様子
台風で倒伏してしまった御神木
ちび狛さん
拝殿前
厳島神社
拝殿と本殿
以下 おまけ
宿泊先 大正 由布の花さま
YouTubeで見ていて行きたかったお宿の1つです。
姉妹店 露天風呂
ミルキーブルーの温泉で、温泉のお湯の音がパチパチと鳴っていて良いお湯でした♪
ゲストハウス
朝は貸切り家族風呂を利用させて頂きました♪
とくに追加料金の支払いはなしでした。
宿泊プランに付いていたのか覚えていません(^_^;)
朝から温泉に浸かり至福のひと時を過ごさせて頂きました♪
大型の露天風呂も同じようなミルキーブルーの色でした。
ミルキーブルーの濃さは日によって変わるみたいです。
例祭 9月23日
例祭・神事をもっと見る|創祀は不詳ですが、景行天皇が九州西征のみぎり、景行天皇みずから神を祭った親祭の宮とされ、景行天皇12年(82)10月に当地の速津姫が勅を奉じて創祀したとも伝えられています。御祭神は、国常立尊・国狭槌尊・彦火火出見尊・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊・神倭磐余彦尊・神渟名川耳尊の六柱の神々。康保年中(964-968)性空上人が由布岳に六観音の霊場を開いて佛山寺を開基し、宇奈岐日女神社と習合して六柱の神々を祀ったことから、六所宮、六所様さま、木綿大明神と称されました。
当初の御祭神は、『六国史』に見るように宇奈岐日女神で、北東に座する由布岳の化身であったとも、古く沼地であった湯布院盆地の沼沢の精霊であったとも考えられています。
伝承では、宇奈岐日女神は、かつて由布院盆地に広がっていた湖を見て、力自慢の従者の道臣命(蹴裂権現)に命じ、湖の西にあった山を蹴破らせます。たちまち湖水は流れ出し、大分川となって別府湾に流れ込み、現在の盆地を造ったとされ、南西4kmほどにある蹴裂権現社がその場所だとされています。湖には、もともと大きな龍が棲んでいたものの、水が干上がったせいで龍は神通力を失ってしまいます。龍は小さな場所でも良いから安心して住める池が欲しい、そうすれは美しい水を湧き出させ、村の人々を守ると宇奈岐日女神に願います。宇奈岐日女神は、願いを聞き入れて残したのが金鱗湖とされています。
そのことから宇奈岐日女神は、農業の神、水神様として親しまれ、湯布院の守護神として崇敬されています。また、「うなぐ」とは、勾玉などの飾りを意味し、勾玉を首からかけた身分の高い女性が巫女として仕えたことから、宇奈岐日女は神に仕える巫女だったとも考えられています。神託を伝えることで、政治を司り、神格化されたとの説もあります。
明治6年(1873)郷社に、大正12年(1923)県社に列格しました。境内は、大木の御神木の並ぶ鬱蒼とした社叢でしたが、平成3年(1991)9月27日の台風19号により倒され、144本の樹々を失いました。その中には、最長55m、幹回り9m、樹齢600年を超える大杉が何本かあり、現在その一部の切株が、御年社と並んで祀られています。
歴史をもっと見る|| 名称 | 宇奈岐日女神社 |
|---|---|
| 読み方 | うなぎひめじんじゃ |
| 通称 | 六所宮 木綿神社 |
| 参拝時間 | 授与所:08:30〜16:30 |
| 参拝にかかる時間 | 約20分 |
| 参拝料 | 無料 |
| トイレ | 有り |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0977-84-3200 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ご祭神 | 国常立尊 国狭槌尊 彦火火出見尊 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 神倭磐余彦尊 神渟名川耳尊 |
|---|---|
| ご神体 | 由布岳 |
| 創建時代 | 景行天皇12年 (82) |
| 創始者 | 速津姫 |
| 本殿 | 三間社流造 |
| ご由緒 | 創祀は不詳ですが、景行天皇が九州西征のみぎり、景行天皇みずから神を祭った親祭の宮とされ、景行天皇12年(82)10月に当地の速津姫が勅を奉じて創祀したとも伝えられています。御祭神は、国常立尊・国狭槌尊・彦火火出見尊・彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊・神倭磐余彦尊・神渟名川耳尊の六柱の神々。康保年中(964-968)性空上人が由布岳に六観音の霊場を開いて佛山寺を開基し、宇奈岐日女神社と習合して六柱の神々を祀ったことから、六所宮、六所様さま、木綿大明神と称されました。 当初の御祭神は、『六国史』に見るように宇奈岐日女神で、北東に座する由布岳の化身であったとも、古く沼地であった湯布院盆地の沼沢の精霊であったとも考えられています。 伝承では、宇奈岐日女神は、かつて由布院盆地に広がっていた湖を見て、力自慢の従者の道臣命(蹴裂権現)に命じ、湖の西にあった山を蹴破らせます。たちまち湖水は流れ出し、大分川となって別府湾に流れ込み、現在の盆地を造ったとされ、南西4kmほどにある蹴裂権現社がその場所だとされています。湖には、もともと大きな龍が棲んでいたものの、水が干上がったせいで龍は神通力を失ってしまいます。龍は小さな場所でも良いから安心して住める池が欲しい、そうすれは美しい水を湧き出させ、村の人々を守ると宇奈岐日女神に願います。宇奈岐日女神は、願いを聞き入れて残したのが金鱗湖とされています。 そのことから宇奈岐日女神は、農業の神、水神様として親しまれ、湯布院の守護神として崇敬されています。また、「うなぐ」とは、勾玉などの飾りを意味し、勾玉を首からかけた身分の高い女性が巫女として仕えたことから、宇奈岐日女は神に仕える巫女だったとも考えられています。神託を伝えることで、政治を司り、神格化されたとの説もあります。 明治6年(1873)郷社に、大正12年(1923)県社に列格しました。境内は、大木の御神木の並ぶ鬱蒼とした社叢でしたが、平成3年(1991)9月27日の台風19号により倒され、144本の樹々を失いました。その中には、最長55m、幹回り9m、樹齢600年を超える大杉が何本かあり、現在その一部の切株が、御年社と並んで祀られています。 |
| 体験 | 祈祷おみくじ絵馬御朱印お守り祭り伝説 |
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