びょうどうじ|曹洞宗
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楽しみ方平等寺(三輪山平等寺)のお参りの記録一覧

平等寺 奈良北部八十八霊場
平等寺 奈良北部八十八霊場
平等寺 奈良北部八十八霊場
平等寺 奈良北部八十八霊場
平等寺 奈良北部八十八霊場
平等寺 奈良北部八十八霊場

聖徳太子が賊徒平定を三輪明神に祈願し、平定したことから、592年寺を建立し大三輪寺と称したのが始まりと伝わる。
明治の神仏分離まで大御輪寺、浄願寺と共に大神神社の神宮寺であった。
1600年関ヶ原の戦いで敗れた西軍の島津義弘が戦場から落ちのび、70日間当寺に逗留後帰国したという記録が残る。
近くに収蔵庫に納められた金屋の石仏がある。
左が弥勒如来、右は釈迦如来。平安から鎌倉時代の製作と考えられ、重文指定されている。
本堂
本堂
山門
鐘楼
赤門
不動堂
波切不動
二重塔釈迦堂
稲荷社
金屋の石仏
金谷の石仏(左・弥勒如来、右・釈迦如来)
金屋の石仏(弥勒如来)
金屋の石仏(釈迦如来)

大神神社の参拝後にテクテクと歩いて行ってみました。
山門前をお掃除されていたおじさんが、「入ってみて!いい所だよ」と笑顔で招いて下さいました。
花手水もあり、🐱ちゃんと出会え、良い御縁ありました。
秋らしい花手水
山門
朱の本殿が青空に映えます
三輪不動明王
おしりポンポンで甘えてくれた🐱ちゃん

三輪にある曹洞宗の寺院,平等寺(びょうどうじ)は、三輪別所ともいい本尊は十一面観音です。かつては大神神社の神宮寺でもありました。伝承によれば、聖徳太子の開基、中興の祖、慶円上人(1140~1223年)を迎えるに及び、東西500m、南北330mの境内に、本堂、護摩堂、御影堂、一切経堂、開山堂、赤門、鐘楼堂のほか、12坊舎の大伽藍を有し三輪社奥の院として、由緒ある名刹でありました。しかし1868年(明治元年)、神仏分離令が出ると、1870年(明治3年)には、大神神社の神宮寺であった平等寺は、ことさらにそのあらしを強く受け、有名な金屋の石仏をはじめ61体にのぼる仏像が他所に運び出され、堂塔は、ことごとく整理を迫られ三輪神社の神官が管理するにいたり、堂舎は破壊され、平等寺は廃寺となってしまいました。
1959年(昭和34年)の『大三輪町史』では、「現在は、その伽藍は存在せず、わずかに塔中の石垣のみが遺跡として存在するとともに、主たる仏像は翠松寺に移されているような現況である」とあるように、堂舎は存在せず、一切の建物も残っていない状態となっていましたが、1977年(昭和52)、曹洞宗の寺院、「三輪山平等寺」として立派に再興され伽藍も復元されています。

奈良山の辺の道・御朱印トレッキングその①
平等寺は桜井市三輪にある曹洞宗の寺院で、歴史的には大神神社の神宮寺になっていました。
最寄りはJR桜井線三輪駅で、そこから徒歩15分くらいでアクセスできます。
今回参拝する予定はなかったのですが、桜井駅から山の辺の道を歩いて大神神社を目指している途中、雰囲気の良い階段に誘われて参拝しました。
境内は広々としていて、建造物も本堂・不動堂・二重塔など見どころ満載でした。山の辺の道ウォーカーは立ち寄らないと損です。
光あふれる階段に誘われ立ち寄ってみます。
赤門
本堂。鮮やかな朱塗りの社殿が美しいです。
二十塔釈迦堂。平成16年に再建したようで新しいです。
不動堂
境内は広々としていてのんびりしています。山の辺の道をトレッキングする人のうちかなりの人が素通りしてましたが、ぜひ立ち寄ることをおすすめします。
境内
非常に立派な山門を後にし、大神神社へと向かいます。

参拝記録
大神神社から右に1km弱歩いたとこにあります 車で回るより歩いた方が便利
聖徳太子が開祖開山 とっても雄大なお寺 落ち着きます 昔はそうとう広い敷地やったみたいですね いや〜さすが奈良って感じです笑
書き置き
聖徳太子像
本堂
十一面観世音菩薩が祀られてます
不動堂
二重塔 釈迦堂
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