おおやまとじんじゃ
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大和神社ではいただけません
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大和神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年04月21日(水)
参拝:2021年4月吉日
大和神社(おおやまと~)は、奈良県天理市にある神社。式内社(名神大)、二十二社(中七社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。御祭神は日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)、八千戈大神(やちほこのおおかみ)、御年大神(みとしのおおかみ)の3柱で、当社は本殿が3つありそれぞれ中央、右殿、左殿に祀られている。
『日本書紀』にも記載がある古社で、創建は崇神天皇6年(紀元前92年)。飛鳥時代にはすでに朝廷から篤く信仰されており、692年に持統天皇は藤原京の造営にあたって、伊勢、住吉、紀伊の神とともに当社に奉幣し伺いを立てている。奈良時代には、朝廷の命により、唐の国へ渡って学ぶ遣唐使、その他使臣は、出発に際して、当社へ参詣し、交通安全を祈願した。
平安時代初期には伊勢神宮に次ぐ広大な社領を有するほど隆盛。897年には神階が最高位である正一位に叙せられ、927年の延喜式神名帳では、「大和国山辺郡 大和坐大国魂神社三座 並名神大 月次相嘗新嘗」と記載されている。960年から1081年にかけて成立した「二十二社」には当初から列していた。しかし1118年の火災で徐々に衰微し、1583年の火災で神領の書類を焼失、社領のすべてを失った。
1871年に官幣大社に列せられ、江戸時代の寺院風社殿を廃し、新たに社殿を造営。第二次世界大戦時、大和国が艦名の由来である戦艦大和には、当社御祭神の分霊が艦内神社に祀られた。1945年4月7日に戦艦大和は坊ノ岬沖海戦により沖縄沖で沈没したが、その時の戦死者が境内末社の祖霊社に合祀されている。
当社は、JR桜井線(万葉まほろば線)・長柄駅の南東300mの場所にあり、道のり徒歩10分ほどの平地にある。境内は東西に長く、参道含め300mほどあり、その周りを鬱蒼とした高い木々が覆っている。東端が一の鳥居で西端が社殿。駅からの近道だと二の鳥居よりも社殿に近い場所に着く。
参拝時は週末の昼ごろであったが、あいにくの悪天候、けっこうな土砂降りで、参拝者は自分以外に1、2人だった。
『日本書紀』にも記載がある古社で、創建は崇神天皇6年(紀元前92年)。飛鳥時代にはすでに朝廷から篤く信仰されており、692年に持統天皇は藤原京の造営にあたって、伊勢、住吉、紀伊の神とともに当社に奉幣し伺いを立てている。奈良時代には、朝廷の命により、唐の国へ渡って学ぶ遣唐使、その他使臣は、出発に際して、当社へ参詣し、交通安全を祈願した。
平安時代初期には伊勢神宮に次ぐ広大な社領を有するほど隆盛。897年には神階が最高位である正一位に叙せられ、927年の延喜式神名帳では、「大和国山辺郡 大和坐大国魂神社三座 並名神大 月次相嘗新嘗」と記載されている。960年から1081年にかけて成立した「二十二社」には当初から列していた。しかし1118年の火災で徐々に衰微し、1583年の火災で神領の書類を焼失、社領のすべてを失った。
1871年に官幣大社に列せられ、江戸時代の寺院風社殿を廃し、新たに社殿を造営。第二次世界大戦時、大和国が艦名の由来である戦艦大和には、当社御祭神の分霊が艦内神社に祀られた。1945年4月7日に戦艦大和は坊ノ岬沖海戦により沖縄沖で沈没したが、その時の戦死者が境内末社の祖霊社に合祀されている。
当社は、JR桜井線(万葉まほろば線)・長柄駅の南東300mの場所にあり、道のり徒歩10分ほどの平地にある。境内は東西に長く、参道含め300mほどあり、その周りを鬱蒼とした高い木々が覆っている。東端が一の鳥居で西端が社殿。駅からの近道だと二の鳥居よりも社殿に近い場所に着く。
参拝時は週末の昼ごろであったが、あいにくの悪天候、けっこうな土砂降りで、参拝者は自分以外に1、2人だった。
JR長柄駅から最短ルートで来ると、手水舎のあるこの場所に出る。
参道の左手にある<手水舎>。
まずは社殿に赴く。
拝殿全景。なお社殿は東に向いていて、境内の西端にある。
拝殿正面と<大和大明神>の扁額。拝殿は壁がない形式で、奥に見えるのが神門。社殿の周りには透塀が巡らされている。
透塀の内側に見える、3つ並んだ本殿。御祭神の日本大国魂大神が中央殿、八千戈大神が右殿、御年大神が左殿に祀られている。
社殿の左側にある、摂社<高龗神社(たかおおかみじんじゃ)>。御祭神は雨師大神で水神様。なるほど、だから今日は土砂降りなのか...汗
高龗神社の社殿。この場所の右側から大和神社の本殿が見える。
高龗神社の鳥居の左隣にある、<雨師>と<磐座>。
雨師・磐座の左隣にある末社<厳島神社>、<事代主神社>、<朝日神社>。
3末社の手前にある<戦艦大和展示室>(左)と神輿庫のような建物(右)。
戦艦大和展示室の中には、いくつもの奉納品の戦艦大和の模型が展示されている。
拝殿に向かって右手に見える<社務所>?
参道の右側にある授与所。御朱印はこちら。
授与所の裏手にある<祖霊社>。
祖霊社は、戦艦大和沈没による英霊を祀る。
祖霊社の近くにある戦艦大和の碑。
手水舎近くにある、万葉集で山上憶良が歌った<好去好来>の碑。733年第9次遣唐使の大使として派遣される丹治比広成の無事の帰国を祈って詠まれた歌。
手水舎付近から、最後にもう一度<社殿>。
手水舎近くから東方向を見ると、数百mの参道が一直線に伸びている。
写真を拡大するとこんな感じ。見えるのは二の鳥居。晴れていれば一の鳥居と社号標を見に行くところだが、土砂降りにつき断念...涙
もと来た近道を戻る。写真中央から右側にかけてが境内周りの森。左側にかけてが参道の木々。
JR長柄駅から大和神社に向かう時は、駅脇の踏切道を東に進み、この場所で右折すると、上写真の道を経由して境内に到着する。
すてき
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惣一郎1269投稿
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