たいまでらなかのぼう|高野山真言宗
當麻寺中之坊のお参りの記録一覧
當麻寺には塔頭や子院が複数あります。
當麻寺中之坊は高野山真言宗の子院です。
かつての名称は中院で當麻寺最古の子院だそうです。
中将姫剃髪の地と伝えられ 中将姫の仏法の師である実雅の開山と言われています。役行者が開いたという説もあります。
中将姫については知りませんでしたが 女人禁制のお寺に入寺したい一念から三日間念仏を唱えた功徳で石に足跡がついたと伝わります。それ以降女人禁制がとかれたといいます。
春の牡丹が特に有名だそうです。
庭園「香藕園」(国指定史跡・名勝)は當麻寺の東西両塔を借景とした池泉回遊式庭園です。
さすがに名勝 とても美しいです。
客殿の松室院の天井には いくつものお花の絵が描かれています。
妻が学生時代にお参りしたことがあると言うのですが もう何十年も前 あまり記憶に残っていませんでした。しっかり写真を撮っておくのは大切ですね。もったいない。
参拝者は多く 授与品も多くありました。さすがに有名な寺院ですね。
石柱
大和三名園の名勝
立派な門
書院
前庭
むくげがきれい
書院
赤松ですか きれいです
中将姫剃髪堂
内陣
加持水の井戸
中将姫誓いの石
確かにくぼみがある
茶筌塚
髪塚
いよいよお庭へ
中将姫誓桜
香藕園
書院
茶室 双塔庵
茶室 知足庵
客殿 松室院
當麻寺塔中。
當麻寺開創の際、役小角が熊野権現を勧請し道場を開いた。
奈良時代當麻寺別当・実雅がその道場を住坊とし中院を開創したのが始まりとされる。
庭園「香藕園」と茶室双塔庵「丸窓席」は後西天皇の行幸に合わせて片桐石州が造営したものである。
江戸時代前期(1615年~1660年)建立の書院、茶室は重文指定されている。
本堂
加持水の井戸
中将姫誓いの石
奈良時代女人禁制であった中将姫は入寺を許されず、三日間念仏を唱えたところ足跡がついたと伝わる。これ以降女人禁制が解かれたという。
稲荷社
中之坊鎮守
稲荷社
稲荷社
書院
書院
書院
書院
丸窓席
丸窓席
知足庵
知足庵
香藕園
香藕園
香藕園
東塔
香藕園
香藕園
香藕園
松室院客殿
松室院客殿
山門
東塔
大和七福八宝めぐりで訪れた☸️
以前牡丹の時期に個人で 関西花の寺では西南院には来たことがあった🌸
今回はゆっくり中将姫のお話など方丈さんにしていただけて 本当にありがたかった🙏
仁王門👹
片方は修理に出てました😅
中之坊入口
本堂🙏中将姫剃髪堂👸
山茶花がとてもキレイ🌺💕
ご朱印はこちらでいただきました😌
中将湯♨️
一度試してみたい😊
本堂奥に布袋尊がいらっしゃいます☸️
當麻寺前の道路のマンホール🌺
當麻寺 ②中之坊
~當麻寺最古の僧坊 中之坊・
當麻曼荼羅と中将姫~
今は昔、藤原鎌足の曽孫である藤原豊成には美しい姫があった。後に中将姫と呼ばれるようになる、この美しく聡明な姫は、幼い時に実の母を亡くし、意地悪な継母に育てられた。中将姫はこの継母から執拗ないじめを受け、ついには無実の罪で殺されかける。ところが、姫の殺害を命じられていた藤原豊成家の従者は、極楽往生を願い一心に読経する姫の姿を見て、どうしても刀を振り下ろすことができず、姫を「ひばり山」というところに置き去りにしてきた。その後、改心した父・豊成と再会した中将姫はいったんは都に戻るものの、やがて當麻寺で出家し、ひたすら極楽往生を願うのであった。姫が五色の蓮糸を用い、一夜にして織り上げたのが、名高い「当麻曼荼羅」である。姫が蓮の茎から取った糸を井戸に浸すと、たちまち五色に染め上がった。當麻寺の近くの石光寺に残る「染の井」がその井戸である。姫が29歳の時、生身の阿弥陀仏と二十五菩薩が現れ、姫は西方極楽浄土へと旅立ったのであった。
世阿弥や近松門左衛門らによって脚色され、謡曲、浄瑠璃、歌舞伎の題材ともなりました。
~・~・~・~
當麻曼陀羅を織り上げた中将姫は、藤原鎌足の曾孫であり右大臣藤原豊成の娘として生まれました。
幼くして実母と死に別れた中将姫は、継母に疎まれ、14歳にして雲雀山にて命を絶たれそうになりますが、継母の命に背いた武士嘉藤太によって匿われます。 この世の無常に翻弄された中将姫は安楽浄土を求めて當麻寺に入り、出家します。称讃浄土経を一千巻写経するなど仏道に励まれた中将姫のもとを訪れた一人の老尼の言葉に従い、畿内各地より蓮を取り寄せ蓮糸を紡ぎ、石光寺の井戸で糸を染め、綴れ織りで織り上げたのが「當麻曼陀羅(観無量寿経浄土変相図)」です。 中将姫は29歳で極楽往生を遂げ、その臨終の様子は毎年4月14日に當麻寺で行われる練供養にて今も伝わっています。
「中之坊」
當麻寺最古の僧坊である中之坊は、高野山真言宗別格本山で、中将姫さまの剃髪・修行の道場。
剃髪堂には中将姫さまの守り本尊とされる十一面観音像(平安時代(10c)・重要美術品)が祀られ、「導き観音さま」と呼ばれて信仰を集めています。 中将姫の仏法の師である実雅の開山といわれます。
また、役行者が開いたともいわれ、春の牡丹は特に有名です。
また、陀羅尼助発祥地の一つとされます。
札所
大和十三仏霊場第6番
大和七福八宝めぐり。
庫裏・書院(重要文化財)
江戸時代初期建立の書院造。
南西の「御幸の間」(後西天皇が行幸されたと伝える)が主室で、他に北西に「鷺の間」、北東に「鶴の間」、南東に2室の「侍者の間」があります。
「侍者の間」の南は西が4畳半、東が6畳の茶室となります。
「御幸の間」と「鷺の間」の障壁画は曽我二直菴の筆。
茶室「丸窓席」 4畳半の茶室は北側に大きな丸窓を設けることから「丸窓席」と呼ばれます。
後西天皇の行幸に合わせて片桐石州が作られました。 庭園「香藕園」(国指定史跡・名勝) - 築地塀で内庭と外庭に分かれ、内庭は當麻寺の東西両塔を借景とした池泉回遊式庭園。外庭は山の斜面に造園されています。
後西天皇の行幸に合わせて片桐石州が改修したと伝わります。
竹林院群芳園、慈光院庭園と並んで大和三庭園のひとつに数えられています。
剃髪堂
中将姫が剃髪したお堂。
中将姫誓いの石
中将姫の足跡が残っているとされる石。
写佛道場・霊宝館・ぼたん園・稲荷社・竜王社・表門
「香藕園」
大和三名園の一として名高い庭園「香藕園」(史跡・名勝)は、大和小泉の大名・片桐石州公が改修した庭園で、中央の心字池を“宝池”、借景の三重塔(国宝)を“宝塔”に見立てて、極楽浄土を観想する場所として想定されています。園内にある茶室「丸窓席」(重文)は、第111代天皇 後西院(後西天皇)をお迎えするためにつくられたもので、その名の通り、方一間もの大きな円窓が特徴的です。
四季折々の花々とともに回遊して楽しめる庭園になっています。
霊宝殿では、1300年来の寺宝が順次入れ替え制で公開されております。中将姫ゆかりの宝物などが数多く公開されており、春季特別展では中将姫様直筆の経巻『称讃浄土経』(奈良時代)が特別公開されました。
150枚もの天井画が見事な写佛道場(登録有形文化財)では、中将姫さまの経巻『称讃浄土経』を写経したり、當麻曼荼羅に描かれる仏さまを写仏したりすることができます。
拝観時間 9時~17時
拝観料 大人500円
小学生250円
中之坊 御本堂
霊宝殿と東塔
大和十三仏の御朱印巡り、4ヶ寺目。
當麻寺へは二上山登山の時に何度も訪れていますが、中之坊へ入ったのは初めてです。
中之坊の御朱印
導き観音
大和十三仏用の御朱印
中将姫剃髪堂(中之坊の本堂)
庭園(香藕圓)「こうぐうえん」
大和三名園だそうです
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