だるまじ|臨済宗南禅寺派|片岡山
達磨寺のお参りの記録一覧
達磨寺に参詣しました。
聖徳太子の伝承がある寺です。
(聖徳太子遺跡霊場第十九番)
聖徳太子の愛犬 雪丸の像と塚があります。
雪丸は王寺町のマスコットキャラクターです。
観光ボランティアガイドさんから懇切丁寧に説明していただき、ありがとうございました。
御朱印
御朱印
本堂
御朱印
雪丸
雪丸像
雪丸塚
達磨寺1号墳
雪丸
西門前
西門
雪丸ロード
松永久秀墓
古そうなお墓
達磨寺中興記石幢
国重要文化財
寺前のバス停
ここにも雪丸
奈良県の寺社仏閣巡りの3番目は、先の朝護孫子寺のある生駒郡平群町から南へ行って生駒郡三郷町を抜けた次の北葛城郡王寺町に在る片岡山 達磨寺です。
臨済宗南禅寺派で、本尊は達磨大師・聖徳太子・千手観音。
この達磨坐像と聖徳太子坐像は重文、千手観音坐像は町指定文化財です。
平日、土日祝ともに10時~15時ならば予約無しで拝観出来ますし、土日祝ならば無料で境内を案内して頂けるボランティアガイドの方々がいらっしゃいます。
613年、聖徳太子が片岡山を通り掛った際、1人の異人が飢餓に苦しんでおり、太子はその異人に衣食を与えた。翌日、その異人は亡くなっていたので厚く葬った。後日、様子を見に行かせると、死体は消え、衣服だけが棺の上に残されていた。これを知った里人は、あの異人は達磨大師の化身に違いないといった。棺の上に達磨塚を造り、精舎を建て、聖徳太子が自ら刻んだ達磨像を祀ったのが達磨寺の始まりと伝わります。実際の寺院は鎌倉時代以降との事であり、建久年間(1190~1198年)に解脱上人貞慶が達磨像や堂を修理し、達磨寺と称された。嘉禄年間(1225~1228年)には興福寺によって焼き討ちされて荒廃するも、延応年間(1239~1240年)に松尾の勝月上人が再興。永享年間(1429~1441年)に建仁寺の南峯禅師が住持として入った。永禄年間(1558年~1570年)に松永久秀の戦火によりまたも衰亡したが、正親町天皇の綸旨や豊臣秀頼の支援により再興。また、徳川家康から30石の朱印地が安堵された。尚、現在の本堂は2004年に再建されたものです。
南北に走る国道168号線沿いに寺院、駐車場があります。(駐車場は南側の山門前にも有り)
駐車場からは西門から入る事になりますが、私の流儀では山門から入りますので南側へ廻り込んで山門をくぐりました。正面に本堂、右側手前に方丈、左側に案内所です。
私の当初の予定では15時を過ぎる可能性があったため事前に拝観予約をしておりましたが、計画変更したため15時前にお邪魔できたので案内所でその旨伝えました。(案内所の方にご住職からの私に関するメモが渡されていた。)
併せて御朱印もお願いしました。
「雪丸」がやたら出てくるので(御朱印もある)、てっきり聖徳太子に関係する王寺町出身武将の幼少時の呼び名かなと思っていたら、聖徳太子が飼っていた犬の名だそうで、全く知りませんでした。現在は王寺町公認キャラクターにもなっています。可愛らしい雪丸のシールを頂きました。御朱印帳を頂く際に「境内を案内しましょうか?」と仰有って頂いたので、お言葉に甘えて案内して頂きました。
境内は整然としていて、とても綺麗です。
先に本堂の周りを時計回りに。一夜にして竹が生えた一夜竹、雪丸像、片岡八郎の墓、松永久秀の墓、問答石があり、裏に廻って達磨寺1号墳(雪丸塚)、達磨寺2号墳(地下道が法隆寺まで繋がっているそうな)と案内頂き、次に本堂へ。
本堂は資料展示室も兼ねており、右壁面には出土した甕や香炉、真ん中手前には本堂地下に埋められていた石塔、水晶で出来た舎利容器、舎利、左壁面には涅槃図(レプリカ)、朱印状等が展示されていました。
派手ではない須弥壇の真ん中に千手観音坐像、左側に聖徳太子坐像、右側に達磨坐像が祀られています。聖徳太子は高さ約93cm、1277年の作、威厳がある厳しいお顔。達磨大師は高さ約88cm、1430年の作、頭から袈裟を被り、よく見る達磨さんの絵とは違う個性的。千手観音は高さ約76cm、室町時代の作、当初は500手あったと考えられ現在は340手位、扇状に拡がっており、いくつかの掌には目があります。お顔は院派の感じがしました。
本堂を出てから方丈へ。近年改修されたそうで綺麗な建物で、上がらせて頂いて拝観させて頂きました。
印象に残る素敵な寺院でした。
御朱印(達磨大師)
西門
山門
鐘楼
手水
本堂
聖徳太子坐像
達磨坐像
千手観音坐像
雪丸像
達磨寺1号墳(雪丸塚)
雪丸の墓とされている
方丈入口
方丈
頂いた雪丸シール
《聖徳太子ご霊跡巡り その19》
聖徳太子が片岡山で飢えていた人に出会い、自らの衣食を施したことがございました。翌日使いを出したところ、残念ながら息絶えたことを知ったそうです。丁重に葬った後しばらくして再び使いをやって墓の様子を見に行かせると、遺体は消え衣服が畳まれた状態で棺の上に置かれていたとか。この飢人は達磨大師の化身と考えられるようになり、達磨像を祀ったのが当寺の始まりとされています。
現在の達磨寺は保育園が隣接し、賑やかな雰囲気に包まれていました。
その20へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgtm/Hmgtmtr/Dysat/14224/192976/
その18へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgtm/Hmgtmtr/Dgtks/14306/192300/
《ご朱印》
第19番「聖々相見地」
西門
聖徳太子の愛犬「雪丸」がお出迎え。
境内
手水
本堂
(-人-)ナムナム
雨がポツポツ降ってましたが、聖徳太子ゆかりの達磨寺参拝しました。聖徳太子の愛犬、雪丸がいました
ガイドの方もおられ非常に親切なお寺でした。
本日午後からは書き置き対応でした。
暖かな陽気に誘われ、今日は達磨寺さんへ。誘われたのは私だけではなかった様で お寺隣接の保育園の園児さんたちが、本堂下の広場でお遊戯の練習中。賑やかな声の舞う中での参拝、これはこれで良いパワーを頂きました。
供養塔のそばの梅が咲いていました。
雪丸の絵馬もあります。
案内所で頂きました。
推古天皇21年(613年)12月、聖徳太子と達磨大師の化身が出会った場所と、日本書紀に記載があります。
本堂の真下に古墳時代後期の円墳があり、聖徳太子が建立した達磨大師の墓とされています。
観光に力を入れている王寺町のボランティアのガイドさんに詳しく説明して頂けました。
聖徳太子の愛犬 雪丸がマスコットキャラ
案内所
お守りの他に雪丸グッズなどあります
薬師石
目をつむって石まで歩き抱き着ければ病気療養祈願成就
本堂
真下に達磨寺3号墳があります
鐘楼
手水
本堂内には古墳遺物の展示もあります
一夜竹
達磨大使が持っていた竹杖が一夜にして眼が出たそうです
雪丸像
元は本堂北東の位置にあったが雪丸の人気があがり、人目につく本堂南西の現在の位置に移されました。
問答石
聖徳太子と達磨大師の化身が問答した場所とされる岩
こちらは【太子石】
こちらは【達磨石】
戦役記念碑・忠魂碑
中興記石幢
達磨寺1号墳(雪丸塚)
聖徳太子の遺言により葬られた雪丸の墓であると伝わる。法隆寺への地下道があるとの伝説もあり。
法隆寺への地下道?
中に入れます
達磨寺2号墳
誰の墳墓か不明
ゆるキャラ 雪丸くん
JR王寺駅より【雪丸ロード】を辿り達磨寺まで(足あとが案内)
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