真言律宗
額安寺のお参りの記録一覧
621年聖徳太子が建立した学問道場・熊凝精舎が始まりで、推古天皇から額安寺の寺号を賜ったと伝わる。
額田寺とも称され、この地方の豪族・額田部氏(額田氏)の氏寺であった。
平安時代に荒廃。鎌倉時代後期に西大寺の叡尊・忍性により一時復興するが、1499年細川政元の兵火で再び荒廃する。
後に豊臣秀吉に五重塔を譲る事で再興。1600年豊臣秀頼により五重塔は四天王寺に移築された。
本堂は1606年の再建。
境内の宝篋印塔は1260年慈真和尚が母の供養ために作ったものである。
境外地に忍性の墓と伝わるものを含め、鎌倉から室町時代にかけて製作された8基の五輪塔(重文)がある。
近くに鎌倉時代に寺の瓦を焼くために作られた額田部窯跡が残っている。
本堂
本堂
宝篋印塔
山門
五輪塔
五輪塔
五輪塔
五輪塔1(忍性墓)
五輪塔2
五輪塔3
五輪塔4
五輪塔5
五輪塔6
五輪塔7
五輪塔8
重文指定されていない五輪塔
額田部窯跡
額田部窯跡
奈良県寺巡りの5寺目は、4寺目と同じく大和郡山市に在る熊凝山 額安寺です。「がくあんじ」と読まずに「かくあんじ」と読みます。今回の寺巡りの最後となります。
単立で、本尊は十一面観音。
基本拝観予約は不要ですが、念のために一度Telしたら、出来れば予約して欲しいとの事で、数回予約しよう試みましたが、縁がないのか都合が合わずで、今回やっとタイミングが合いました。
尚、所蔵していた重文の虚空蔵菩薩半跏像は奈良国博に寄託しておりましたが、最終的には文化庁(国)に売却されたためこちらで拝観はできません。(下世話な話ですが、売却額は約5.4億。)私はまだ拝観していないので残念ですが仕方ありませんね。
621年に聖徳太子が学問道場として創建、「熊凝の精舎」と名付け、これが山号(熊凝山)の由来。東西327m、南北218mの広大な寺域であったが平安時代には衰退。更に、戦国時代になり兵火に遭い、寺領を没収され、豊臣秀頼により五重塔が四天王寺へ遷された。廃寺寸前であった1975年に時の住職が復興に尽力なさり現在に至ります。
山門前に5台位駐車出来ます。拝観受付は左側へ回り込むとあり、拝観料(100円)をお支払し、御朱印帳をお渡しして御朱印をお願いして境内へ。右手前方に収蔵庫が2棟ありますが、現在中には納められていないとの事でした。
左側に本堂。真ん中の開扉された厨子に極彩色に彩られた十一面観音立像、室町時代の作。厨子の扉に描かれた仏画も綺麗です。左側に吉祥天と天部像。左側の脇壇には阿弥陀如来、愛染明王。右側には梵天と天部像。右側の脇壇には不動明王が祀られていました。文化財に指定された仏像はありませんが、いずれの仏像もなかなかいいと思います。
拝観受付でお願いしてあった御朱印帳を受け取り、帰路に着きました。
御朱印
モダンな山門(ここからは入れません)
拝観入口
手水
本堂
本尊・十一面観音立像
(ネットから転載)
吉祥天
梵天
不動明王
愛染明王
《聖徳太子ご霊跡巡り その22》
奈良県大和郡山市額田部寺町(ぬかたべてらまち)にある真言律宗の寺院。
聖徳太子が熊凝精舎を置いた跡地に建立された寺院とされ、後に東大寺、興福寺と並ぶ大寺となる大安寺の前身であると言われています。
ご本尊は室町時代の作とされる十一面観世音菩薩。色白で極彩色に彩られた保存状態のよい仏像です。
写真公開はNGにつきお姿は公式HPにてご覧ください。
その23へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgtk/Hmgtktk/Drrmg/13022/196895/
その21へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgtm/Hmgtmtr/Dssyt/14263/193798/
第22番「太子熊凝道場」
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