そうのみあがたにいますじんじゃ
添御縣坐神社のお参りの記録一覧
奈良市三碓(みつからうす)に鎮座されています。
「延喜式神名帳」にも記載されている歴史ある神社で、本殿は重要文化財に指定されているようです。
添御縣坐神社一ノ鳥居
添御縣坐神社の社号標に隣接するように根聖院の社号標が有りましたが、今回は時間に限りがあるのでまた機会があればお参りしたいと思います
拝殿です
拝殿内を撮影させて頂きました
手水舎
本殿 南北朝時代末期の永徳三(1383)年造営。
山を背に西を向いて建っており、様式は五間社流造(ごけんしゃながれづくり)で、正面三箇所に千鳥破風付。
屋根は桧皮葺で、覆い屋によって保護されているため、630年以上経っているとは思えないほど、良好な状態です。
昭和二十五年 国の重要文化財に指定(この写真では構造が分かりにくいのでホームページから引用させて頂きました)
恵美須神社 本殿の南西にあり、商売繁盛や招福で多大の信仰を集める当地随一の恵美須様
龍王神社 本殿背後の森の南東にあり、古来、雨乞いにご利益のある龍神が祭神です
英霊殿 郷土から出征して太平洋戦争等で戦没された145柱の方々が祀られています
御朱印をいただきました
住宅街から少し入って行き、細い道を進んで辿り着きました。高台にあり、景色が見渡せる素敵な神社⛩️です。宮司様も気さくな方です😺
神社の周辺は自然がいっぱいといった感じで、町中とは思えないです。
見晴らしいいです。
直書きして頂きました。
創建不詳。
起源は古墳時代まで遡るという。
現在の本殿は1383年の建築で重文指定されている。
拝殿
拝殿
本殿
本殿
舞台
福神宮
九乃明神
恵比須神社
天香久山神社
龍王神社
創始年代は明らかではないが、恐らく添御縣の国魂神を添縣主が祀っていたものでありまた、当社鎮座地付近は古代豪族である小野氏が治める村里であったとされ、小野氏の氏神として祭祀されたものとのことです。大和国に6つある御縣神社の1つです。
読み方が、とっても難しい(そうのみあがたにますじんじゃ)で、何回読んでも覚えられません。汗
隣接する根聖院https://hotokami.jp/area/nara/Hmgtm/Hmgtmtk/Dzkym/13202/1745/
は、こちらの神宮寺だとのこと。
境内摂社には、福神宮(小野福麿公を祀る)、英霊殿、恵比須神社、天之香具山神社、竜王神社がいらっしゃいました。
竜王様は、山の奥に鎮座しています。
参道
重要文化財の看板
手水舎
由緒
恵比寿神社
英霊殿
拝殿
本殿(重文)
福神宮
九乃明神社
遥拝所
竜王社への道
天香久山神社
竜王神社
境内図
なぜこうも難読神社がごろごろでてくるのか...
(そうのみあがたにいますじんじゃ)
祭神・建速須佐ノ男命、武乳速之命、櫛稲田姫之命。
本殿は重要文化財となっています(1383年建立)
難読神社ですが、名称の説明としては「大和の国の添郡に設置された県に鎮座する神社」となります。
五間社流造、ここも覆屋により状態は良好。
茨木に住んでいるとあまり本殿を見ることがないのですが、覆屋のおかげで現在も綺麗な状態で残っている本殿が多数あるので良いかなと。
こればかりは自分の目で見た方が良いと思う、写真では分かりにくい
由緒書き
この看板見る度にテンションが上がる
大和国添下郡の式内論社です。大和国にある御縣六大社の一つで、小高い丘の上に鎮座しています。御酒を奉納したら神主さんが神社を案内してくれたんですが、そこで衝撃の事実が…!Σ(-᷅_-᷄๑)
《鳥居と社号碑》
登ったところに駐車場がありますが、なかなかに狭いので玄人むけです。
《境内図》
トイレなんかが新しく作られていました。
《手水舎》
人が近づくと自動で流れます。
《末社①》
右側が英霊殿、左が恵比須神社です。
《末社②》
天香久山神社です。
《末社③》
龍王神社です。山を挟んで本殿の裏側にあります。
《拝殿》
☆チェックポイント!!
こちらの御祭神は「武乳速命、建須佐之男命、奇稲田姫命」となっていますが、他の方も書き込んでいる通り、実は神話で神武天皇さま大和国進出に最後まで抵抗した長髄彦が、本当の御祭神だといわれており、この地が長髄彦が治めていた本拠地とされています。
ではなぜ、御祭神が違うのか。神主さんの推測では、明治に王政復古の大号令が出されたとき、神武天皇さまを仰ぐ中、敵を祀る神社ではいけないということで、見識者によって隠されたんだそうです。
なので、ここの氏子さんは口伝にて御祭神が長髄彦であるのを知っているんだそうです。
なかなか面白い話ですよね…!!
《授与品》
現在、コロナウィルスの影響で授与所の閉所時間が早まっています。
《本殿》
すこし朱色より濃い赤色なのは、染色の材料に赤錆を使っているからだそうです。
また、室町の南北朝時代の創建から修繕はあっても倒壊したことはないそうです。
《拝殿の絵図》
拝殿の左側にある絵なんですが、幕末にコレラが流行ったとき、平癒祈願で参拝者が当社にお参りに来たのを絵にしたものです。
そのためか、現在コロナ除け、病気平癒で参拝者が増えたんだとか。効果ありそうですね!!
創始不明だが、初代神武天皇の東征に抵抗した豪族で添御縣の首長である那賀須泥彦(ながすねひこ)を祀っていたものであるとされ、古墳時代にまで遡ると伝わる。
現在の社殿が南北朝時代末期の永徳3年(1383年)の建立。
手水鉢
社務所
子授石
九ノ明神
福神宮
本殿
天之香具山神社
龍王神社
戦没英霊殿
恵美須神社
#添御縣坐神社
ご祭神はタケハヤスサノヲの命、タケチハヤの命、クシイナダヒメの命。
だが奈良市観光協会のHPには、ナガスネヒコを祀るとある。奈良県神道青年会のHPにも、3座のうちタケチハヤの命は実はナガスネヒコで、明治時代に入ってから現在の名前に変えたと。
#武乳速之命
境内の掲示物によれば、”添のあがたぬし”という氏族の先祖。先代旧事本紀には、”添のあがたぬし”の祖は武乳遺命とある。
訳注も”添のあがたぬし”に関連して、まさにここ添御縣坐神社を紹介する。が、タケチハヤの命とタケチノコリの命の異同には言及しない。
先代旧事本紀によると、タケチノコリの命はツハヤムスビの尊のひ孫で、コゴトムスビの命の子で、アメノコヤネの命の弟。アメノコヤネの命はご存知、同じ奈良市に鎮座する春日大社・第三殿のご祭神だ。またツハヤムスビの神は、天神社(奈良県大和高田市)で祀られている。
#長髄彦
日本書紀は、性格に問題があって主君のニギハヤヒの命に殺されたと記す。反面、彼が民衆を苦しめたなど、悪いことをしたという記述が無いのも事実。
のみならず石切劔箭神社(大阪府東大阪市)のHPは、ナガスネヒコもまた徳高き理想的な指導者であるかのように描く。そして、ニギハヤヒの命の子ウマシマデの命が彼の説得に成功し、神武天皇の即位は最終的には平和裏になされたとする。
奈良県のおすすめ2選🎍
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