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こうふくじ

興福寺のお参りの記録(1回目)
奈良県近鉄奈良駅

投稿日:2026年03月03日(火) 22時39分48秒
参拝:2026年3月吉日
【西国三十三所第9番(南円堂)】
10年以上願っていた「阿修羅さんと会いたい」の気持ち遂に達成😂
所在地:奈良県奈良市登大路町48

山 号:なし

宗 派:法相宗

寺 格:大本山

本 尊:釈迦如来

建 立:669年(天智天皇8年)

由緒

法相宗の大本山である興福寺。その前身である「山階寺(やましなでら)」は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫人である鏡女王が夫の回復を祈願して、釈迦三尊や四天王などの諸仏を安置するために造営したものと伝えられており、この名称は後世においても 興福寺の別称として使われています。そして、壬申の乱(672)の後、飛鳥に都が戻った際に、山階寺も移され、その地名を取って「厩坂寺(うまやさかでら)」と名付けられます。さらに、和銅3年(710)、平城遷都の際、藤原不比等の計画によって移されるとともに、「興福寺」と名付けられました。その後は、天皇や皇后、また藤原氏の手によって次々に堂塔が建てられ整備が進められ、奈良時代には四大寺、平安時代には七大寺の一つに数えられ、特に摂関家・藤原北家との関係が深かったために手厚く保護され、寺勢はますますさかんになります。平安時代には春日社の実権を手中におさめ、大和国を領するほどになり、また、鎌倉幕府・室町幕府は大和国に守護を置かず、興福寺がその任に当たりました。文禄4年(1595)の検地では「春日社興福寺」合体の知行として2万1千余石と定められ、徳川政権下においてもその面目は保たれました。その後、明治政府による神仏分離令や社寺領上知令に伴う廃仏毀釈などにより興福寺は苦境に立たされましたが、寺僧や有縁の人々の努力で復興が進展し、新たな興福寺としてその歴史を刻み続けています。(HPより)
興福寺(奈良県)
興福寺(奈良県)
興福寺(奈良県)
興福寺(奈良県)
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興福寺(奈良県)
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すてき

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