だいあんじ|高野山真言宗
大安寺のお参りの記録一覧(2ページ目)
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南都七大寺の一で、ガン封じ寺としても有名。
ちなみに、毎年6月23日は、竹供養・ガン封じ夏祭りの日なので、近鉄奈良駅・JR奈良駅と大安寺を掬ぶ臨時バスが運行される。
山門。
嘶堂。馬頭観音が鎮座されている。
護摩堂。不動明王が鎮座されている。
境内。
本堂。
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円成寺の次に大安寺に寄りました。
こちらの寺院も大和十三仏巡りです。
御朱印
南無仏
大和十三仏御朱印巡り
円成寺と大安寺が増えました
円成寺は大日如来
大安寺は虚空蔵菩薩
無料駐車場があります
南門
大安寺の縁起
中門跡碑
いたるところにダルマがいました
こんな感じでダルマが密集
手水舎にもダルマ
宝物殿の中に七体の重文の仏像がありました。
本堂
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《聖徳太子ご霊跡巡り その23》
南都七大寺の一つで、かつては東西に2基の七重塔が立ち、東大寺や興福寺と並ぶ大寺だったそうです。
ご本尊は十一面観音立像(重要文化財)。10月~11月にかけて開扉されています。
その24へ
https://hotokami.jp/area/kyoto/Hmpty/Hmptytm/Dkmpm/4500/197326/
その22へ
https://hotokami.jp/area/nara/Hmgtm/Hmgtmtm/Dzsza/13444/196243/
第23番「太子遺願之大寺」
山門
境内
境内のあちこちにだるまさんが。
探しているだけでホッコリ(*´ω`*)
本堂
宝物殿
重要文化財の仏像が収められています。
境内の周囲は秋の気配。
七重塔跡
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大安寺は、聖徳太子が仏教道場として創建した熊凝精舎に遡るとされています。
百済大寺、高市大寺、大官大寺と改称、国家鎮護の官寺として位置づけられています。
716年、平城京に移り新しい伽藍を建設、名を大安寺と改めています。
三論宗の道場となり学問寺として隆盛、当時887人の学僧がいたという記録があるそうです。
都が平安京に遷ると大安寺も新しい時代へ踏み出します。
829年、弘法大師空海が別当として着任、高野山真言宗に属します。
安穏とした日々は長く続かずたび重なる火災にみまわれます。
1017年の火災では一部の仏像を残し焼失、その後も災禍のたびに主要堂宇を再興したが、寺㔟の衰えは覆い隠せなかった。
東大寺や興福寺の末寺、南北朝時代には西大寺の末寺となる。
1596年の地震で伽藍が倒壊すると、南都七大寺に数えられた大安寺は廃寺同然となり、小堂一つを残すのみとなってしまします。
大安寺再興が緒に就いた昭和に入ってからで、旧境内は国の史跡に指定され寺では復興事業が進められつつあります。
南門
旧興福寺一乗院寺門を復元したもの、元来は法華寺の寺門であったものを一乗院に移建。
明治維新後裁判所の門であったが、解体して大安寺が貰いうける。
平成12年、復原南大門基壇上に旧一乗院寺門を復元し大安寺南門としています。
南大門礎石跡
現在の寺門に比べて本来の南大門の大きさが想像できます。
おそらく東大寺南大門と同様の大きさであったと想われます。
境内の一部
現在の境内の広さは元の4%程度と言われています。
堂宇の礎石の多くは持ち去られ、大和郡山城や橿原神宮の建設に持ち去られたとの話しです。
美流孔みるく塚
癌封じで有名なお寺ならでは。乳がん治癒の祈願塚。撫でて祈念してください。
本堂
小子坊
嘶堂(いななき堂)
叡福寺(大阪府南河内郡太子町)から移したもので、馬頭観音像を中心に弘法大師像・不動明王像・如意輪観音像などが祀られています。
堂の周囲はインド大聖地・四国八十八箇所のお砂踏霊場巡りとなっています。
嘶堂前の鉄燈籠
三本足が象の鼻になっています。
護摩堂
宝物館
所蔵される四天王像と観音像(揚柳観音・聖観音・不空羂索観音)等は一木造で、奈良時代から平安時代に移る過度期の特徴をもち、それは大安寺様式と呼ばれる重文です。
本来は国宝級ですが、種々の修繕跡があり製作年代等の伝来がはっきりしないため重文扱いとなっています。
しかしながら、現本尊の十一面観音像や馬頭観音像を始めとする天平時代の仏像が伝わることが、廃寺同然の寺で奇跡的です。
興福寺北円堂の四天王像のうち増長天・多聞天像は元大安寺のものと言われています。
八幡神社(元岩清水八幡宮)
大安寺の鎮守社として建てられたもの。
諸説あるが京都岩清水八幡宮は、この神社から分神したものと伝わります。
もちろん、宇佐神宮から京都男山に直接お招きしたとの説もあります。
中門は十六世紀の建立とみられ、室町時代の神社の門として貴重、令和元年に解体修理、耐震補強が行われています。
東塔跡
奈良時代の建立。
766年、七重の塔・東塔に雷が落ち焼失、1090年に再建されるが1596年の慶長地震で倒壊、以来再建されていません。
基壇には側柱の礎石が一つ地中に残されています。
西塔跡
平安時代に建立されて様子、949年落雷により焼失。
現在も立つ興福寺の五重塔の初重の一辺が8.25m、東寺の五重塔が9.48mですが、大安寺の東西両塔の初重の一辺は12m、いかに壮大スケールだったか。
心礎には持ち出そうとした九つの楔跡が残ります。
奈良時代には塔が林立していた様子が覗き見られます。
興福寺の塔、東大寺・元興寺・春日大社・興福寺四恩院そして大安寺、現代の技術をもってしても同じものが再興できない。
タイムマシンに乗って見てみたいものですね。
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毎日寺の前を通りますが御朱印まだもらってなかったため頂きました
御朱印直書きにて頂きました
立派な門です。大安寺の格式感じます
今日は天気よかったためポツポツ参拝者いました
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奈良の特別拝観の3寺目は、同じく奈良市内に在る大安寺です。
高野山真言宗真で、本尊は十一面観音です。
伝えによると、創建は飛鳥時代、天皇が造った官寺であり、南都七大寺の1つの超古刹です。しかしながら、薬師寺同様に火災や兵火により衰退してしまい、復興も薬師寺の様にはいきませんでした。私的には割と空いていて、境内でゆっくり出来るのでお好みです。
春と秋に秘仏拝観があり、春には嘶堂(いななきどう)に祀られている重文・馬頭観音が、秋には本堂に祀られている重文・十一面観音が拝観できます。昨年の秋に十一面観音を拝観しましたので、今回は馬頭観音を参拝しました。
この寺院には上記2躯を含めて奈良時代末期作の仏像が9躯あり、残りの7躯は宝物殿に安置されており(不空羂索観音、楊柳観音、聖観音、四天王)拝観料を支払えばいつでも拝観出来ます。
残念ながら、腕は殆どが後補であり、四天王も各堂からの寄せ集めと考えられていますが(仏像を火災等から守るため邪魔となる腕を外してお堂から運び出したものの腕を紛失)、1200年以上も昔に造られた仏像を何も遮るものもなく目の前で観られるのは凄い事であり、とても見応えのある仏像群です。
今回は折角なので馬頭観音の御朱印を戴きました。
尚、寺院の東側と西側に駐車場があります。
御朱印(今回開扉の馬頭観音)
山門(南門)
手水(近付くと自動で水が出ます)
本堂
嘶堂
宝物殿
奈良県のおすすめ2選🎌
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