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すがわらてんまんぐう

菅原天満宮(菅原神社)の御由緒・歴史
奈良県 尼ケ辻駅

ご祭神天穂日命
野見宿祢命
菅原道真公
ご由緒

 当社は、菅原家一系三神を祀る延喜式内社の日本最古の天満宮です。天穂日命は菅原家の始祖とされ、天下泰平、国土安泰、五穀豊穣の守護神です。その子孫で中興の祖である野見宿禰命は菅原の地を本官とし、その豊かな赤土と松樹を活用して土師器や埴輪の製作に従事していました。垂仁天皇の皇后(日葉酢媛命)が崩御された時、当時悪習であった殉死を取り止め、替わりに埴輪を埋めるべく建言した功績により、垂仁天皇より土師臣の姓を賜りました。土師氏はここを本拠地とし各地に勢力伸展しました(発掘調査で、埴輪を焼いた窯跡が発見され、平成12年3月奈良市指定文化財「菅原はにわ窯跡公園」として指定されました。阪奈道路沿い神社より東へ400m)。また、当麻蹶速と力競べをし、これに勝ち角力の始祖としても知られています。
 その後、土師家は大喪の事を掌っていましたが、その子孫の土師古人他が天応元年(781)に、この土地の名「菅原」に改姓を願い出、勅許されました。以後、三代後に菅原道真公の出生となります。
 菅原道真公は野見宿禰命第17世の子孫です。参議従三位是善の第三子で、生来聡明にして文学に長じ、貞観年中には文章得業生となり累進して文章博士となります。宇多天皇の寵愛を得て遂に参議に任ぜられ、民部大輔左大弁勘解由長官となりました。その後遣唐使を拝命し、醍醐天皇の昌泰2年(899)に右大臣に重用されました。その後、故あって太宰府に転じましたが、これを機にいよいよ詩歌の道にいそしみ、文筆に励み広く学芸の神と仰がれるにいたりました。とくに晩年は、類従国史二百巻を編さんし多くの史書や詩歌の書を筆わし、その博学ぶりを発揮しました。
 道真公の没後は全国各地に道真公を祀る神社が設立され、世に道真公を天満大自在天神と崇め奉るにいたりました。
 その中にあって、菅原家発祥及び生誕の地である当菅原天満宮と、終焉の地である太宰府天満宮及び京都の北野天満宮は最も重要な神社とされています。こうしたゆかりを以って世の人々は、道真公の神徳にあやかり、試験合格・学徳向上の祈願は言うまでもなく、文筆にいそしむ人々の信仰は殊に厚いです。当菅原天満宮境内には立派な筆塚が建立されています。

歴史
歴史[編集] 創建は不詳。前述の通り、菅原の地を本貫(本拠地)とする土師氏支族(のちの菅原氏)が、その祖神を祀ったことに始まると推測される[1]。その後、南西に菅原寺(喜光寺)が創建されるとその鎮守社とされ、菅原神社とも喜光寺天満宮とも呼ばれるようになった。 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では大和国添下郡に「菅原神社」と記載され、式内社に列している[1]。 社伝では、文亀年間(1501年 - 1504年)に社殿が兵火にかかったほか、元禄年間(1688年 - 1704年)にも火災にあっている。寛保年間(1741年 - 1744年)に興福寺一乗院宮真敬法親王の命によって再建がなっ...Wikipediaで続きを読む
引用元情報菅原天満宮 (奈良市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%8F%85%E5%8E%9F%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE%20%28%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%B8%82%29&oldid=90267270

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