やくしじ|法相宗
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楽しみ方薬師寺のお参りの記録一覧(10ページ目)

大きな薬壺が面白い御朱印ですw
この時に初めてお参りしたんだと思ってましたけど
高校の修学旅行でもお参りしたのを思い出しましたw

印
西国薬師第一番
薬壺 薬師如来種子(ベイ)
南都薬師寺印
墨
薬師如来
薬師寺

私も書きたいと思うので追加記事として書かせていただきます。
かつて、「タレント坊主」と揶揄されながらも薬師寺復興のため奔走された故高田 好胤元管主が「お写経」という方法で寄付を集い今の金堂が再建されました。
寄付されたお写経は金堂及び講堂に今も安置されています。そして伽藍復興のために今もその方法は継続されています。
元々薬師寺は東大寺や興福寺同様に学僧寺であった為、檀家が一人もおりません。そんな状況での復興は並大抵ではなかったようです。しかし、口伝えに人が増え、次々に白鳳伽藍が復興されるのは圧巻です。
そして「西遊記」の三蔵法師のモデルとなった玄奘三蔵のお話ですが、玄奘三蔵の遺骨を発見したのは日本軍だったそうです。
後日、それを中国に返した折、発見したのは日本人なのでという事で分骨を申し出して下さいました。その一部が法師ゆかりのこのお寺で供養することとなり三蔵玄奘伽藍が建立されました。
中には今ではもう見ることのできない(宅地開発のため)シルクロードの景色をスケッチし描かれた平山郁夫画伯の壁画が展開してます。
毎年GWに玄奘三蔵会が執り行われます。
ちなみにサンスクリット語の「般若心経」を漢字に起こしたのはこの方です。
近鉄西ノ京駅は既に薬師寺の伽藍内になるようで、駅には石塔が建っています。
平日は西大寺から普通でないと停車しませんが、土日祝日は急行でも西ノ京で停車します。
駅を降りたらすぐ薬師寺です。
先ごろ食堂も建立され、さらに伽藍が増えた様子です。
玄奘三蔵会
玄奘三蔵会
玄奘三蔵会
玄奘三蔵会
玄奘三蔵会
玄奘三蔵会
金堂と西塔東塔
講堂

既にいくらか投稿がございますが、玄奘三蔵院の方であまり投稿がないので投稿致します。
その名の通り、かの有名な唐の高僧玄奘三蔵のご遺骨が分骨して納められています。どのようなご縁あって分骨に至ったかは、HPの方に詳しく書いてあります。ここの入場券は薬師寺の入場券とは別ですが、修復している西塔と合わせた薬師寺の入場券とつながっているので、共通券として買うことができます。
伽藍を囲む外廊下は通年に亘って入場できますが、真ん中の伽藍と大東西域壁画殿は期間限定です。年4期ありますので、調べてみてください。
壁画殿はシルクロードの敦煌などを描いた平山郁夫氏の巨大な絵画が拝見できます。絵の近くには寄れず、ガラス越しに三方の壁に掛けられた形で見ますので、オペラグラスなど拡大できる物を持っていくと楽しめます。その理由は、解説板を読むと分かると思います。
全体の距離としてはとても短いので、薬師堂と合わせて十分に観覧できます。
御朱印もあります。
『不東』とは、国禁を犯してまで経文を求め旅するも、砂漠の蜃気楼でとうとう鬼さえ見えても、諦めて東へ戻らなかった玄奘の不屈の精神を示した言葉です。

令和2年7月豪雨水害をはじめとする災害復興支援活動として、薬師寺中興の祖とされる高田好胤師の教えを、弟子として同師を近くで見てきた大谷徹奘師にお話しいただきます。
世界遺産に登録されている法相宗大本山 薬師寺。長い歴史の中、東塔を除く全ての建物が消失。失われた伽藍を復興するため、好胤師は全国を行脚し、百万巻のお写経を勧進して白鳳伽藍復興の礎を築かれました。今も薬師寺に息づく、昭和の名僧の心に触れます。
また、約10年に及ぶ解体修理を終えた同寺創建当初から唯一現存している東塔や、徹奘師がライフワークとされている災害復興支援活動についてもお話しを伺います。
参加費のうち1,000円は災害復興支援金とさせていただきます。コロナ禍によって現地で活動することが難しい今、支援金という形で被災者のお手伝いをしたいと願っていますので、ぜひご協力ください。
※本企画は、スタジオにて講師と弊社スタッフが、写真又は動画を使ってオンライン上で講座を行います。二人が現地に行ってライブ配信をするわけではありません。
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