しらとりじんじゃ
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楽しみ方白鳥神社のお参りの記録一覧

上田市から東御市に移動し、白鳥神社にお参りいたしました。
歴史で習った人物の名が出てくるとなんか興味が湧いちゃいますよね。
こちらは木曽義仲と関わりがあります。建てられていた「木曽義仲挙兵の地」の看板立ち止まって読んでしまいました。









参拝記念⛩️✨️
白鳥神社
長野県東御市に鎮座する白鳥神社へ参拝に上がらせていただきました🙏
こちらも約2ヶ月ぶりの参拝です。
何回か訪れてはいるのですが…
いつも御刻印守を不携帯で訪れてしまっていたため
今回はしっかりと御刻印守を握りしめて行きました♪
生憎の雨模様でしたが境内も色付き、前回はまだ工事中だった白鳥弁財天も完成していたのでしっかりとお参りさせて頂きました。
御刻印は2024年7月から追加されて長野県内5社目になります♪
白鳥と源の1文字が素敵な御刻印です✨️
白鳥神社さんで御刻印守についてお伺いしたら、今年は多めに入荷してるのでまだ4周年の限定御刻印守があるということで2本目の藤色を拝受してしまいました(^_^;)
どこの御刻印を打刻しようかまだ未定です💦

御朱印 書入れ
通常バージョン

鳥居

境内の色付き


境内から望む
海野宿




白鳥弁財天社


拝殿


拝殿内

拝殿前からの振返り

御刻印

県内5社分がやっと揃いました🙏
あと3社県内で増えないかなー💦

参拝記念⛩️✨️
白鳥神社
ぐるっと上小御朱印めぐり
神幸詣① 続・神幸詣①
長野県東御市に鎮座する白鳥神社へ参拝に上がらせて頂きました🙏
軽井沢に買い物に行きたかったので💦
軽井沢に行くならまずは白鳥神社さまにご挨拶をと思い上がらせて頂きました。
軽井沢の熊野皇大神社さんといつもコラボ御朱印を行っているので、白黒の対になっているようなイメージです✨️
久しぶりに県内、東信に行ったら『ぐるっと上小御朱印めぐり 第5弾』が始まっていました!
今年は期間が11月中旬くらいまであるので、また時間を作って満願を目指したいと思います🙏
続・神幸詣の弁財天社は只今、社殿を準備しているところですが本殿と一緒に祀っているとのことでした。
新しい社殿も楽しみです♪

御朱印 書入れ
ぐるっと上小御朱印めぐり

御朱印 書入れ
ぐるっと上小御朱印めぐり

コラボ 切絵御朱印

熊野皇大神社とのコラボ切絵御朱印
白鳥神社さんを上にした ver.

ぐるっと上小御朱印めぐり
スタンプ台紙
右側は白鳥神社の宮司さんが作った詩とのことでした

達成時に最後の神社で達成性と記念品の拝受が可能です。
参加神社さまによる手作りの企画に心が温まります♪

鳥居

社号標

ちび狛犬


手水


御神木


拝殿


狛犬


本殿

深海社


稲荷社


御刻印もやってます!

日本の道百選に選定された東御市の海野宿の入り口に鎮座する白鳥神社さんへ参拝してきました。
白鳥神社さんと軽井沢碓氷峠に鎮座する熊野皇大神社さんで切り絵御朱印がコラボされています。
昨年熊野皇大神社さんで新しく出された御朱印の対を求めての参拝です。
白鳥神社さんでも今年夏用のコラボ御朱印が出されていたので、熊野皇大神社さんにもまた参拝しに行かせて頂きます。
白鳥神社は、平安時代にこの地に鎮座していたことは、明らかである。それは、「源平盛衰記」に記される木曽義仲挙兵のくだりによる。義仲は、治承五年(一一八一年)海野氏を中心に白鳥河原で兵を挙げた。この白鳥こそ白鳥大明神である。これが史書の初出であるが、白鳥神社の創建が、いつであるかは、明確ではない。しかし、海野の地は、奈良時代に海野郷と称し、この地から献上された品が、正倉院御物として残っている。
そんな事からも、白鳥神社の創建は、奈良から平安にかけてと推測できる。
白鳥神社は、日本武尊・貞元親王・善淵王・海野広道公の四柱を御祭神として祀っている。
日本武尊は、第十二代景行天皇の第二皇子で、西征・東征と奔走された。この東征の帰り道に海野にご滞在になったと伝えられている。その後、日本武尊は、伊勢の国でお亡くなりになり、白い鳥に化身される。海野にもこの白い鳥が舞い降りる。そこで、海野の民は、お宮を建て、日本武尊を祀った。そして、仲哀天皇の二年、勅命により、白鳥大明神と御贈号されたと伝えられている。
貞元親王(さだやすしんのう)は、第五十六代清和天皇の第四皇子で、眼病を患い祢津の山の湯で養生され、白鳥大明神で祈願され、平癒されたと伝えられている。
海野広道公は、海野氏の初代である。
このように、白鳥神社は、日本武尊と海野氏の祖をお祀りしているお宮である。その後、海野氏の子孫である真田氏により、篤く尊崇を受けることとなった。そして、真田家が松代へ移封となり、白鳥大明神を松代へ分社し、安政五年、海野神社と改称している。
時代は移り、明治十三年、郷社に列格し白鳥神社と改称している。
鎮守白鳥神社に守られている海野宿は、寛永二年(一六二五年)に北国街道の宿駅として開設された。北国街道は、佐渡で採れた金の輸送や、北陸の諸大名が参勤交代で通った道であり、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多かった。この地域の交通の要衝であった海野宿は、たいへんな賑わいを呈した。
明治時代に入り宿場の機能は失われてきたが、海野は、宿場時代の広い部屋を利用して、養蚕・蚕種業で復興した。この養蚕最盛期の明治・大正時代の蚕室造りは、江戸時代の旅篭造りと良く調和して、現在まで残されてきた。
そして、昭和六十一年に「日本の道百選」・続いて昭和六十二年には、「重要伝統的建造物群保存地区」の選定をうけた。

直書き御朱印
達筆で紫陽花が綺麗

直書き見開き御朱印
達筆で紫陽花が綺麗

昨年熊野皇大神社で頂いた対の切り絵御朱印を白鳥神社さんに頂きに参りました。

対の切り絵御朱印

二枚重ね熊野皇大神社を上
熊野皇大神社が八咫烏🐦⬛で黒、白鳥神社が白鳥🦢で白だから対のコラボ切り絵御朱印が誕生したのかな?🤔経緯は聴いていません。

2枚重ね切り絵御朱印白鳥神社が上

新しい切り絵御朱印(夏)
対を熊野皇大神社さんに頂きに行かねば!

境内社の新海宮の直書き御朱印

海野宿の街道

社号標

参道

小さな狛犬さん

手水鉢


境内

鯨石のある神池


鯨石🐳

御神木 樹齢700年の欅

拝殿


拝殿

拝殿内

拝殿の扁額

奉納絵

奉納絵

奉納絵

拝殿内

本殿

本殿

境内社の新海宮

鳥居の扁額

新海宮横の道祖神や祠

新海宮

新海宮斜めから

龍🐉の彫刻(右)

龍🐉の彫刻(左)

稲荷大明神

稲荷大明神

御神木横に雀より小さな鳥が逃げることなく遊んでいた。可愛い😍

土俵
子供相撲用に小さいが、昔はここで地元出身の雷電為五郎が優勝して横綱までの道のりを歩んでいった。

灯籠の後ろに力石🪨

この力石を雷電為五郎が持ち上げたとされている。

海野宿のマンホール

お参り後はタルトの店で桃🍑タルトとオレンジ🍊タルトを頂く😋

桃の中にカスタードクリームとクリームチーズ入り
桃🍑(白鳳)はジューシーで凄く甘かった😋

信州御刻印五社参り。通称信風巡拝四社目として参拝。
はくちょうだと思ってましたがしらとり、なんですね。

御刻印の機械

参道

参道と御神木

御朱印

御朱印(二輪車)

御朱印(境内社)

御朱印(境内社)

参拝記念⛩️✨️
白鳥神社
長野県東御市に鎮座する白鳥神社へ参拝に上がらせて頂きました🙏
軽井沢の熊野皇大神社さまとコラボ御朱印を行っているため、切絵御朱印が目当てですみません🙇♀️
熊野皇大神社さまでコラボ第2弾の切絵を拝受しようとしたら既に終了していて第3弾の冬の章に切り替わっていたため、帰りに白鳥神社さまへ上がらせて頂きました。
前回、参拝時に社務所でお伺いした際に立冬までは夏詣を飾っているとお聞きしていて立冬を過ぎたので、どのように変わったかも楽しみにしておりました♪
期待を裏切られたような光景がたまらなく素敵でした!
御朱印の種類もたくさんあり、温かみのある宮司さんたちにとても和ませて頂きました。

御朱印 書入れ
通常版

コラボ切絵御朱印
第3弾 冬の章

コラボ御朱印完成形


白鳥神社さまに向かう途中から幻日が現れ始めました!!
駐車場から撮影


社号標
鳥居


境内に着いてまだ幻日が拝めました🙏
ありがたや~
(駐車場からダッシュで境内にむかいました)


狛犬


手水舎

境内の様子



由緒

鯨石の噴水


拝殿

狛犬


拝殿内

予想の斜め上を行った提灯(夏詣)
月曜日には夏詣の提灯を発送するとおっしゃっていたので、今はもう取り替えられていると思います。
提灯についての会話が弾んでしまいました♪


新海宮






以下 海野宿






海野宿にあったマンホール


鮮やかな赤色✨️


ぐるっと上小ご朱印めぐり神幸詣と続神幸詣が白鳥神社を参拝してコンプリートしたので記念品の缶バッチ各一個を頂きました。
こちらの神社は、海野宿の通りの端に鎮座し、目の前の千曲河原(白鳥河原)は木曽義仲が平家討伐のため挙兵した地です。
海野宿の産神神社で、海野氏、真田氏の氏神として祀られた歴史ある神社です。
白鳥神社は、平安時代にこの地に鎮座していたことは、明らかである。それは、「源平盛衰記」に記される木曽義仲挙兵のくだりによる。義仲は、治承五年(一一八一年)海野氏を中心に白鳥河原で兵を挙げた。この白鳥こそ白鳥大明神である。これが史書の初出であるが、白鳥神社の創建が、いつであるかは、明確ではない。しかし、海野の地は、奈良時代に海野郷と称し、この地から献上された品が、正倉院御物として残っている。
そんな事からも、白鳥神社の創建は、奈良から平安にかけてと推測できる。
白鳥神社は、日本武尊・貞元親王・善淵王・海野広道公の四柱を御祭神として祀っている。
日本武尊は、第十二代景行天皇の第二皇子で、西征・東征と奔走された。この東征の帰り道に海野にご滞在になったと伝えられている。その後、日本武尊は、伊勢の国でお亡くなりになり、白い鳥に化身される。海野にもこの白い鳥が舞い降りる。そこで、
海野の民は、お宮を建て、日本武尊を祀った。そして、仲哀天皇の二年、勅命により、白鳥大明神と御贈号されたと伝えられている。
貞元親王(さだやすしんのう)は、第五十六代清和天皇の第四皇子で、眼病を患い祢津の山の湯で養生され、白鳥大明神で祈願され、平癒されたと伝えられている。
海野広道公は、海野氏の初代である。
このように、白鳥神社は、日本武尊と海野氏の祖をお祀りしているお宮である。その後、海野氏の子孫である真田氏により、篤く尊崇を受けることとなった。そして、真田家が松代へ移封となり、白鳥大明神を松代へ分社し、安政五年、海野神社と改称している。
時代は移り、明治十三年、郷社に列格し白鳥神社と改称している。
鎮守白鳥神社に守られている海野宿は、寛永二年(一六二五年)に北国街道の宿駅として開設された。北国街道は、佐渡で採れた金の輸送や、北陸の諸大名が参勤交代で通った道であり、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多かった。この地域の交通の要衝であった海野宿は、たいへんな賑わいを呈した。
明治時代に入り宿場の機能は失われてきたが、海野は、宿場時代の広い部屋を利用して、養蚕・蚕種業で復興した。この養蚕最盛期の明治・大正時代の蚕室造りは、江戸時代の旅篭造りと良く調和して、現在まで残されてきた。
そして、昭和六十一年に「日本の道百選」・続いて昭和六十二年には、「重要伝統的建造物群保存地区」の選定をうけた。






スタンプ修了

修了証

修了記念品の缶バッチ




手水鉢

参道



先輩に立ってもらい木と根の大きさを表現

同上

のどかに泳ぐ

御神木


参道

威厳ある狛犬

威厳ある狛犬

拝殿

棟瓦に白鳥社

拝殿

拝殿内

拝殿内

本殿

本殿

境内社 新海宮


新海宮社

🐉彫刻

🐉彫刻

脇障子彫刻

脇障子彫刻

灯籠

境内社 稲荷大明神

神額

拝殿内

御朱印受付所

振り返り

海野宿


海野宿 日本の道100選
北國街道

海野宿

海野宿

海野宿

海野宿

海野宿 日本の道100選

マンホール

参拝記念⛩️✨️
白鳥神社
ぐるっと上小御朱印巡り 神幸詣⑦
長野県東御市に鎮座する白鳥神社へ参拝に上がらせて頂きました🙏
久しぶりに『夏詣』の提灯を拝見させて頂きました。
社務所で、夏詣のお話をお伺いしたら…
立冬と立春で神職の服装の衣替えを行うので、立冬になるまで夏詣を飾っていると教えてくださりました。
御朱印を拝受した際に、ホトカミに投稿したいので境内の様子を上げても良いですか?とお伺いしたら快く『良いですよ』と言ってくれたのですが…
『夏詣の様子が上げられてしまう(^_^;)』と笑っていました。
とても安らぐお時間をありがとうございます🙇♀️
軽井沢に鎮座する皇大神宮の切絵御朱印も拝受できるとのことで、白鳥神社さまの切絵と2枚合わせて完成するみたいでした。
母親が白鳥神社さまの切絵御朱印を拝受させて頂いたので、また皇大神宮に上がったら白鳥神社へ上がらせて頂きたいと思います🙏
周辺の海野宿の町並みも素敵です✨️

御朱印

ぐるっと上小御朱印巡り
専用紙

社号標
鳥居



狛犬



由緒

手水


境内の様子




御神木


狛犬


白鳥神社
拝殿

拝殿内


稲荷神社

稲荷神社(左)と
白鳥神社 本殿(右)


夏詣っぽい


境内社




境内社
新海宮
御朱印



絵馬

御刻印


周辺の様子





海野宿の風景


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