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白鳥神社のお参りの記録一覧
長野県 田中駅

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てけてけ
てけてけ
2025年07月13日(日)549投稿

日本の道百選に選定された東御市の海野宿の入り口に鎮座する白鳥神社さんへ参拝してきました。
白鳥神社さんと軽井沢碓氷峠に鎮座する熊野皇大神社さんで切り絵御朱印がコラボされています。
昨年熊野皇大神社さんで新しく出された御朱印の対を求めての参拝です。
白鳥神社さんでも今年夏用のコラボ御朱印が出されていたので、熊野皇大神社さんにもまた参拝しに行かせて頂きます。

白鳥神社は、平安時代にこの地に鎮座していたことは、明らかである。それは、「源平盛衰記」に記される木曽義仲挙兵のくだりによる。義仲は、治承五年(一一八一年)海野氏を中心に白鳥河原で兵を挙げた。この白鳥こそ白鳥大明神である。これが史書の初出であるが、白鳥神社の創建が、いつであるかは、明確ではない。しかし、海野の地は、奈良時代に海野郷と称し、この地から献上された品が、正倉院御物として残っている。
そんな事からも、白鳥神社の創建は、奈良から平安にかけてと推測できる。
 白鳥神社は、日本武尊・貞元親王・善淵王・海野広道公の四柱を御祭神として祀っている。
 日本武尊は、第十二代景行天皇の第二皇子で、西征・東征と奔走された。この東征の帰り道に海野にご滞在になったと伝えられている。その後、日本武尊は、伊勢の国でお亡くなりになり、白い鳥に化身される。海野にもこの白い鳥が舞い降りる。そこで、海野の民は、お宮を建て、日本武尊を祀った。そして、仲哀天皇の二年、勅命により、白鳥大明神と御贈号されたと伝えられている。
 貞元親王(さだやすしんのう)は、第五十六代清和天皇の第四皇子で、眼病を患い祢津の山の湯で養生され、白鳥大明神で祈願され、平癒されたと伝えられている。
 海野広道公は、海野氏の初代である。
 このように、白鳥神社は、日本武尊と海野氏の祖をお祀りしているお宮である。その後、海野氏の子孫である真田氏により、篤く尊崇を受けることとなった。そして、真田家が松代へ移封となり、白鳥大明神を松代へ分社し、安政五年、海野神社と改称している。
 時代は移り、明治十三年、郷社に列格し白鳥神社と改称している。
 鎮守白鳥神社に守られている海野宿は、寛永二年(一六二五年)に北国街道の宿駅として開設された。北国街道は、佐渡で採れた金の輸送や、北陸の諸大名が参勤交代で通った道であり、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多かった。この地域の交通の要衝であった海野宿は、たいへんな賑わいを呈した。
 明治時代に入り宿場の機能は失われてきたが、海野は、宿場時代の広い部屋を利用して、養蚕・蚕種業で復興した。この養蚕最盛期の明治・大正時代の蚕室造りは、江戸時代の旅篭造りと良く調和して、現在まで残されてきた。
 そして、昭和六十一年に「日本の道百選」・続いて昭和六十二年には、「重要伝統的建造物群保存地区」の選定をうけた。

白鳥神社(長野県)

直書き御朱印
達筆で紫陽花が綺麗

白鳥神社(長野県)

直書き見開き御朱印
達筆で紫陽花が綺麗

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てけてけ
てけてけ
2024年10月18日(金)549投稿

ぐるっと上小ご朱印めぐり神幸詣と続神幸詣が白鳥神社を参拝してコンプリートしたので記念品の缶バッチ各一個を頂きました。
こちらの神社は、海野宿の通りの端に鎮座し、目の前の千曲河原(白鳥河原)は木曽義仲が平家討伐のため挙兵した地です。
海野宿の産神神社で、海野氏、真田氏の氏神として祀られた歴史ある神社です。

白鳥神社は、平安時代にこの地に鎮座していたことは、明らかである。それは、「源平盛衰記」に記される木曽義仲挙兵のくだりによる。義仲は、治承五年(一一八一年)海野氏を中心に白鳥河原で兵を挙げた。この白鳥こそ白鳥大明神である。これが史書の初出であるが、白鳥神社の創建が、いつであるかは、明確ではない。しかし、海野の地は、奈良時代に海野郷と称し、この地から献上された品が、正倉院御物として残っている。
そんな事からも、白鳥神社の創建は、奈良から平安にかけてと推測できる。
 白鳥神社は、日本武尊・貞元親王・善淵王・海野広道公の四柱を御祭神として祀っている。
 日本武尊は、第十二代景行天皇の第二皇子で、西征・東征と奔走された。この東征の帰り道に海野にご滞在になったと伝えられている。その後、日本武尊は、伊勢の国でお亡くなりになり、白い鳥に化身される。海野にもこの白い鳥が舞い降りる。そこで、
海野の民は、お宮を建て、日本武尊を祀った。そして、仲哀天皇の二年、勅命により、白鳥大明神と御贈号されたと伝えられている。
 貞元親王(さだやすしんのう)は、第五十六代清和天皇の第四皇子で、眼病を患い祢津の山の湯で養生され、白鳥大明神で祈願され、平癒されたと伝えられている。
 海野広道公は、海野氏の初代である。
 このように、白鳥神社は、日本武尊と海野氏の祖をお祀りしているお宮である。その後、海野氏の子孫である真田氏により、篤く尊崇を受けることとなった。そして、真田家が松代へ移封となり、白鳥大明神を松代へ分社し、安政五年、海野神社と改称している。
 時代は移り、明治十三年、郷社に列格し白鳥神社と改称している。
 鎮守白鳥神社に守られている海野宿は、寛永二年(一六二五年)に北国街道の宿駅として開設された。北国街道は、佐渡で採れた金の輸送や、北陸の諸大名が参勤交代で通った道であり、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多かった。この地域の交通の要衝であった海野宿は、たいへんな賑わいを呈した。
 明治時代に入り宿場の機能は失われてきたが、海野は、宿場時代の広い部屋を利用して、養蚕・蚕種業で復興した。この養蚕最盛期の明治・大正時代の蚕室造りは、江戸時代の旅篭造りと良く調和して、現在まで残されてきた。
 そして、昭和六十一年に「日本の道百選」・続いて昭和六十二年には、「重要伝統的建造物群保存地区」の選定をうけた。

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