こまゆみねじんじゃ
子檀嶺神社のお参りの記録一覧
神幸詣4社目(全8社)で参拝してきました。
何回来ても社務所から本殿へと繋がる渡り廊下が素敵です。
拝殿と本殿が一緒なのですが、昔は本殿で、現在社務所として使用している所が、昔は神楽殿と拝殿を兼ねていたととのことで、本殿には限られた人しか入れなかったそうです。
一の鳥居⛩️
水鉢
ニの鳥居⛩️
神額
境内社からの本殿
社務所(昔は神楽殿と拝殿)
渡り廊下
渡り廊下から本殿
本殿(現在は拝殿と本殿)
本殿内
上田市武石マンホール
参拝記念⛩️✨️
子檀嶺神社
信濃巡縁 御神縁巡り②
ぐるっと上小御朱印巡り 神幸詣①
長野県上田市に鎮座する子檀嶺神社(こまゆみね神社)へ参拝に上がらせて頂きました🙏
迷走台風10号の進路が予測困難の為、比較的に雨が降らないだろうと予想されている長野県の東信エリアを巡拝させて頂きました。
子檀嶺神社さまは『御神縁巡り』と『ぐるっと上小』もされていて、ナント!!
御刻印もされていました!!
御刻印バンドを自宅に置いてきてしまっていたので、また参拝に上がらせて頂きたいと思います。
武石川を渡り先ず初めに朱色の大鳥居が目に入り雰囲気がガラッと変わりました。
鳥居から社殿までの参道がどことなく諏訪大社前宮を思わせるような昇り参道になっています。
御朱印を頂いた際に宮司さんと少しお話をさせて頂き、ホトカミにアップしたいので社殿の様子など撮影しても良いですか?とお聞きしたら『そのように発信して頂けるのは大変ありがたいので、どうぞお撮りください』とおっしゃって頂きました。
また、社務所横の休憩所?みたいな所で待たせて頂き中を拝見していたら…
これまたナント!!
常陸國多賀郡の神玉巡拝の神玉(満願)が展示されていました。
こちらも合わせてお伺いしましたら、神玉巡拝が始まった当初にこれは行くしかないと思い宮司さん自らが巡って拝受してきたと教えてくださりました。
当初は8社で構成されていたみたいで8社分の神玉が神紐に結ばれていました。
同じ地方の神玉巡拝を行った同士が目の前にいる現実に嬉しくなってしまいました。
肝心の子檀嶺神社さまですが、御朱印拝受後にぐるっと拝見していたら本殿がないことに気が付きました。
御祭神が倉稲魂命さま建御名方命さま八坂刀売命さまでしたので諏訪大社系ということで拝殿のみなのか…??
また参拝したときにお聞きしたいと思います🙏
ぐるっと上小 続・神幸詣の飯沼神社さまも兼務されています。
御朱印
通常版
御朱印
ぐるっと上小 神幸詣版
鳥居
由緒
御柱神事について
各種 幟
参道 登り坂(´;ω;`)ウッ…
手水舎
鳥居
天神社
境内社
笹八木社
境内の様子
拝殿
頂いた飴ちゃん
御神縁巡りスタンプ
自分で捺印します。
社務所の社殿
御朱印
境内社の御朱印もあります。
御刻印
授与品と拝殿
信濃巡縁紙
ぐるっと上小 専用用紙
御神縁巡り7社目(全8社)で参拝してきました。上田市武石に鎮座する歴史ある神社です。
3度目の参拝になりますが、武石川を渡ってすぐに鳥居⛩️があります。参道はそこそこ山を登り、途中階段横の境内社をみてから参拝しました。寺務所から拝殿までの通路がとっても素敵です。
子檀嶺神社について
(こまゆみね神社)
ご祭神
・中殿 倉稲魂命(お稲荷様)
・左殿 建御名方刀美命
(お諏訪様)
・右殿 前八坂刀賣命(妻神様)
上田市武石郷総鎮守と崇敬される当社は、和銅5年(712)倉稲魂命の御分霊を仰ぎ、奥宮なる子檀倉宮を子檀倉岳山頂に、中社なる駒形神社を武石郷余里に、当神社を里宮として武石郷沖五日町に遷し祀られた。
大同元年(806)3月15日に信濃國上諏訪神社(現在の諏訪大社上社)より建御名方刀美命、前八坂刀賣命の御分霊を宝珠児玉石三個と薙鎌を添え本殿の左右に遷し祀られた。
当時は現在の上田、佐久、諏訪、松本を結ぶ交通の要所に鎮座し、境内では5日毎に市が開かれるほど人々の往来で賑わい、鎮座地の地名五日町の由来になった。
その後天正4年(1573)に依田川の大水害により社殿が流出し、地頭であった武石城主大井信廣公により社地社殿と祭典料の寄進を受け、現在の小沢根の地へ遷し祀られた。
延喜式神名帳にも記載がみられる古社で、歴代領主の崇敬篤く、元歴元年(1184)武石三郎平胤盛公により改修の寄進を受け、天正4年(1573)大井信廣公により社地社殿と祭典料の寄進を受け現在地に遷座、慶長12年(1607)真田氏より社領を与せられ、その崇敬と社領の寄進は仙石氏、松平氏に至るまで続く。
大正8年(1919)に火災に罹り社殿が焼失するが、翌九年には氏子・崇敬者の御浄財により現社殿が再建された。
この火災により境内に数多くお祀りされていた末社も焼失し、残った一部の末社以外は本殿内に遷座されている。
焼失してしまった代表的な末社としては最後の上田城主松平家を御祭神とする松平神社(明治13年10月19日遷座 子爵松平忠正公より御初穂を寄進された)、龍田の大神を御祭神とする風神社、大山祇神など山に関わる神様をお祀りする立山神社を始め、大神宮社、春日大神社、子安大明神、恵比寿之神、愛宕大権現など15社を本殿内に祀っている。
御神縁スタンプラリー7社目
二の鳥居⛩️
神縁
御柱
境内社
五日町の旧社地より掘りだされた碑石
拝殿
拝殿の神縁
拝殿内
渡り廊下からの拝殿
社務所(旧神楽殿)
趣きのある渡り廊下
拝殿から鳥居⛩️方面
長野県上田市武石に鎮座するこの神社⛩️は、和銅5年(712年)の古社で、古き歴史を感じる建物です。宮司さんは沢山の兼務社をお持ちで、貴船神社、熊野神社、御嶽神社、飯沼神社、愛宕神社の御朱印もこちらで頂けます。また最近では信風巡拝神社の一つとして、オートバイの旅の安全を祈願した御朱印も頂けます。
ご祭神
中殿 倉稲魂命(お稲荷様)
左殿 建御名方刀美命(お諏訪様)
右殿 前八坂刀賣命(妻神様)
上田市武石郷総鎮守と崇敬される当社は、和銅5年(712)倉稲魂命の御分霊を仰ぎ、奥宮なる子檀倉宮を子檀倉岳山頂に、中社なる駒形神社を武石郷余里に、当神社を里宮として武石郷沖五日町に遷し祀られた。
大同元年(806)3月15日に信濃國上諏訪神社(現在の諏訪大社上社)より建御名方刀美命、前八坂刀賣命の御分霊を宝珠児玉石三個と薙鎌を添え本殿の左右に遷し祀られた。
当時は現在の上田、佐久、諏訪、松本を結ぶ交通の要所に鎮座し、境内では5日毎に市が開かれるほど人々の往来で賑わい、鎮座地の地名五日町の由来になった。
その後天正4年(1573)に依田川の大水害により社殿が流出し、地頭であった武石城主大井信廣公により社地社殿と祭典料の寄進を受け、現在の小沢根の地へ遷し祀られた。
延喜式神名帳にも記載がみられる古社で、歴代領主の崇敬篤く、元歴元年(1184)武石三郎平胤盛公により改修の寄進を受け、天正4年(1573)大井信廣公により社地社殿と祭典料の寄進を受け現在地に遷座、慶長12年(1607)真田氏より社領を与せられ、その崇敬と社領の寄進は仙石氏、松平氏に至るまで続く。
大正8年(1919)に火災に罹り社殿が焼失するが、翌九年には氏子・崇敬者の御浄財により現社殿が再建された。
この火災により境内に数多くお祀りされていた末社も焼失し、残った一部の末社以外は本殿内に遷座されている。
焼失してしまった代表的な末社としては最後の上田城主松平家を御祭神とする松平神社(明治13年10月19日遷座 子爵松平忠正公より御初穂を寄進された)、龍田の大神を御祭神とする風神社、大山祇神など山に関わる神様をお祀りする立山神社を始め、大神宮社、春日大神社、子安大明神、恵比寿之神、愛宕大権現など15社を本殿内に祀っている。
手洗鉢
拝殿
拝殿と本殿は一体型で建てられている。
拝殿内
神楽殿(社務所兼務)
渡り廊下
摂社 松平神社
摂社 天神社
摂社 笹八木社
笹八木社
摂社
棟瓦
本殿地から見渡した風景
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