くまのこうたいじんじゃ
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今回長野に旅するにあたり最後の締めとしてどうしても行きたかったのがここ、グンマーと長野の県境に立つ神社です。
お姫さま神社から断腸の思いで小諸・佐久の寺社を全スルーして軽井沢へ。
カーナビに忠実に従って進んだら・・・うお!!( ; ロ)゚ ゚ 軽井沢銀座が思いっきりホコ天中でモロそれに突っ込まされるところだった(つД`)
しかもえらい人出(゜゜;) ・・・そうだ、今日辺りから全国旅行支援だったな(-""-;)と忌々しく思いつつ、仕方なく一本裏道へ。
そしたら今度は品川ナンバーだか横浜ナンバーだかの真っ白いベンツが時速20km維持で前をトロトロと・・・
時刻はすでに3時過ぎ、おう!あくしろよ(^ω^#) 早くしねーと授与所が閉まっちまうだろうが!! 上級国民だかなんだか知らんが擦るのが嫌ならそんな見せつけるようなバカでかい車で山に来んな! この(ピー!)セレブがっ!!!(#゚Д゚)
・・・ハッ!( ゚д゚) イカンイカン(>_<) そうだ!
おん にこにこ はらたてまいぞ そわか
少し前の長福寺で覚えたなかよし地蔵の真言を唱え心を落ち着かせるw 真言の功徳なのかほどなくベンツも横にあった別荘だかホテルにしけこみ、3時半くらいになんとか神社に着けました(-o-;)
ここ少し前によくテレビで取り上げられたせいか、軽井沢というガチ観光地にあるせいか、山上の神社にも関わらずやっぱ結構混んでた(^^;
まぁ神社側もそれを見越して対応してるようで受印はスムーズでしたが。
長野側の授与所の方が活動が活発なようで、御朱印の種類も圧倒的に多かったです。てか正直楽しかったw
メガ御守りとかカセット木札とかジョーク系授与品がいろいろあって、この神社、自分のフザけた参拝姿勢とかなり相性いいかも( *´艸`)と思いましたwww
あと萌えか色気が入れば完璧だな☆(違)
ここ遠い西の崇敬社にしますw
時間の関係で奥宮参拝ができなかったので、次に群馬西部か長野に行く時はぜひともまた予定に入れたいですね☆

長野側の授与所で八咫烏の切り絵をいただき☆
厚紙で、足とか細い部分辺り離すときに破れる危険性があるため、カッターとかピンセット用意しといた方がいいかもしれません
縁日のお菓子のカタヌキの要領で、千枚通しとかでなぞって抜くのも良いかも

長野県側の通常御朱印


日本武尊が東征の折、碓氷峠に差し掛かったところ深い霧で先に進めなくなりました。そんなとき、八咫烏が現れ道案内をしてくれたのですと。これに感謝し、熊野三社を祀ったのが創始になります。
こちらの神社は県境の真中に鎮座しており、一つの神社ではあるのですが、中心から右が群馬県、左が長野県と分けられています。長野県側を熊野皇大神社と一般には呼ばれています。一方、群馬県側は碓氷峠熊野神社と呼ばれています。そのため、それぞれに別の宮司様がいらっしゃって、氏子地域もそれぞれ別になっています。一つの神社に二つの宗教法人が存在する形になっている珍しい神社ということで、県外からも多くの観光客が訪れています。手水舎もそれぞれ分かれており、拝殿前の賽銭箱も2つあります。どちらにお賽銭を入れようかと迷いましたが、結局、両方に入れてお参りしました。
御神木の「しなの木」はお願い事を念じながら右回りに一周すると願い事が叶うそうです。その上、一周すると1年寿命が長くなり、しわも一つ減るそうです。それくらい、しなの木にはパワーがみなぎっているように感じました。
また、境内社の八咫烏神社に奉納されている八咫烏は表情がとても可愛くて微笑ましく思いました。
境内からすこし登ったところに奥宮もございます。ゆっくり歩いて10分。若い人なら5分ほどで着けます。それほどきつい道のりではないのでお参りされると良かろうと思います。
駐車場は長野県側と群馬県側にそれぞれあります。ただし注意しなければならないのが、旧軽銀座を突っ切るのが一般的ルートですが、夏の間と4月〜11月の土日祝日は歩行者天国になるので回り道をしなければなりません。



随神門をくぐると社殿のある境内。右手の群馬側には群馬県熊野神社の拝殿(神楽殿)があり、左手の長野県側には熊野皇大神社の拝殿がある。
また、正面には三棟並んだ社殿があり、中央が群馬(上州)と長野(信州)にまたがった本宮。右手の上州側には新宮、左手の信州側には那智宮が鎮座。中門の手前に、左手に「熊野皇大神社」、右手に「熊野神社」と記された社号標が建っている。
『明治神社誌料』の長野県・熊野皇大神社の説明では三つの宮が熊野皇大神社であるように記述されているが、現在は、長野側の那智宮を当社・熊野皇大神社が、群馬側の新宮を群馬県熊野神社が、中央の本宮を共同で管理しているのだろう。
社伝によると、第十二代景行天皇の頃、日本武尊の東夷征伐凱旋の途中、武蔵、上野を経て坂本にさしかかった時、荒ぶる山神が白鹿に化けて日本武尊を苦しめんと姿を現したが蒜(ネギやノビルなどの植物)を白鹿の目に打付けて殺してしまった。
ところが、たちまち濃霧が発生して何も見えなくなり、道に迷われてしまった。そこに一羽の八咫の烏が現れ、紀の国熊野山の椰の葉をくわえて来て、日本武尊の御前に落とし前導するように飛んで行くので八咫烏について行くと、無事に碓氷峠に到着した。日本武尊は、熊野神霊の加護に感謝し、この碓氷の嶺に熊野大神を勧請したのが当社の起源。景行天皇四十年十月のことであるという。
碓氷の嶺に立った日本武尊は、雲海から海を連想され走水で入水された弟橘比売命を偲ばれて「吾嬬者耶」と嘆かれたという。
当社の鎮座する碓氷峠は中山道の要所にあり、皇室公卿方をはじめ参勤交代の諸大名や一般通行の諸人なども当社に参拝した道中の安全と家業の繁栄を祈願したという。往昔には、新田義貞によって広大な神領を寄進され西は信濃国長倉村鳥居原に、東は上野国碓氷郡新堀村鳥居坂に大鳥居があったという。
当社は、元は軽井沢側の長倉に鎮座し、長倉神社、長倉山熊野権現とも称して、『明治神社誌料』熊野神社の項には、式内社・長倉神社であると記されている。その後、碓氷峠に遷り、熊野宮と称した。慶応四年八月、熊野皇大神社と改称。明治六年五月郷社に列し、明治二十八年十一月県社に昇格した。
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