しょうえいじ|曹洞宗|圜悟山
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地元街中に古くからあるお寺。
縁あって御朱印を頂き、本堂の中も案内して頂けました。
山門は2年ほど前に古いものから新たに建て替えられました。
駐車場への入り口も前より広くなり安心して入れます。
本堂は二重屋根でかなり大きな建物。
住職さんのお話では、本来大仏殿等でよく見る建物の作り(二重屋根)をしているがここのお寺では本堂として使用している。
ご本尊の虚空蔵菩薩様が正面におり、大きな仏像が置けない為お釈迦様の仏像を天井に配置した珍しいお寺です。
建物は築100年ほどというお話でしたが、昭和22年の大火で難を逃れた数少ないお寺の一つで市内では貴重な建物です。
本堂内天井には絢爛豪華な彫刻もあり、圧巻されました。
写真には無いですが、別棟に観音堂(観音様:運慶作と伝わる)があり、33年に一度ご開帳されるそう。この建物はお寺ができた当時の建物で鎌倉時代まで遡るそうです。
本堂にある大きなおりんは賞を取られたそうで、そうと聞いたら音が聴きたいとわがまま言って音を聞かせてもらいましたが太く厚い響きの中に柔らかさもあり、いつまでも響いていました。
そのほかにもいろんなお話を伺い勉強になりました。
名称 | 正永寺 |
---|---|
読み方 | しょうえいじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0265-22-3204 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 虚空蔵菩薩 |
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山号 | 圜悟山 |
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
ご由緒 | 1408年(応永15年)、風越山の麓の圜悟沢のあたりに閑居していた飯田城主の坂西由政が、正永寺原に寺を建立。坂西家が滅んだあと廃れていたところを、1567年(永禄10年)に能霊自果和尚が伽藍を再興し、曹洞宗の寺として再興・開山。その後1594年(文禄3年)に、当時の飯田藩主・京極高知の命により城下町開発に伴って現在地へ移転。現在の本堂は1832年(天保3年)と1902年(明治35年)の火災を経て1913年(大正2年)に再建されたもの。圜悟沢あたりの旧境内地には、長野県の天然記念物である大公孫木や、坂西家由来の宝篋印塔や五輪塔が現存している。1947年(昭和22年)の飯田大火を免れたことから、本堂の西にある墓地は整理されずに古いたたずまいを残す。
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Wikipediaからの引用
概要 | 正永寺(しょうえいじ)は、長野県飯田市にある曹洞宗の寺院。詳名は圜悟山正永寺。本寺は越後顕聖寺。 |
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歴史 | 歴史[編集] 1408年(応永15年)、風越山の麓の圜悟沢のあたりに閑居していた飯田城主の坂西由政が、正永寺原に寺を建立。坂西家が滅んだあと廃れていたところを、1567年(永禄10年)に能霊自果和尚が伽藍を再興し、曹洞宗の寺として再興・開山。その後1594年(文禄3年)に、当時の飯田藩主・京極高知の命により城下町開発に伴って[1]現在地へ移転。現在の本堂は1832年(天保3年)と1902年(明治35年)の火災を経て1913年(大正2年)に再建されたもの。圜悟沢あたりの旧境内地には、長野県の天然記念物である大公孫木や、坂西家由来の宝篋印塔や五輪塔が現存している[2]。1947年(昭和22年...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] 鉄道 JR飯田線飯田駅下車 |
引用元情報 | 「正永寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%AD%A3%E6%B0%B8%E5%AF%BA&oldid=73579713 |
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