真宗大谷派
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
名称 | 善勝寺 |
---|---|
電話番号 | 0265-24-0420 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
宗旨・宗派 | 真宗大谷派 |
---|---|
ご由緒 | 開山源海上人は藤原鎌足の末孫で、俗姓日野真夏11世安藤駿河守隆光と称する武蔵国豊島郡荒木村(現・埼玉県行田市)を領する鎌倉時代の坂東武者で、武州児玉党の随一といわれていた。
1245(寛元3)年、隆光が故郷へと志したとき、聖人の形見として、聖徳太子自作といわれる太子像(木像)を譲られた。帰りの途中江の島の岩屋に参篭し、夜の波間に浮遊する光るものを取り上げ、立像の阿弥陀如来を感得したとされる。霊場をもとめて砥上ヶ原にきた源海は、鵠の棲む沼地の一方を埋めて、一宇を創立し鵠沼山万福寺と号し、鎌倉南倉田荘に一寺を建立し、長延寺と号し、かの尊像阿弥陀如来を安置し、開基創建した。
長延寺は北条氏の軍兵に焼き討ちされ、甲府に移り、武田信玄の帰依を受け、寺領を寄進されるが、16世紀後半、織田信長の甲州攻めにより、寺は兵火に包まれ、実了の次男、祐了は、本尊を奉じて武田氏と運命を共にし、諏訪、宮田の各地に移り、優れた教化によって数多くの念仏者を各地に生み出し、下伊那に入った祐了は地元の豪族別府下井氏の帰依を受けて、高松の地の天台宗善勝寺に入山し、寺を真宗に改めた。(現在の飯田女子高等学校の位置) やがて16世紀末、飯田領主毛利守秀頼の政策で、現在の伝馬町に移住、龍臥山善勝寺と称するようになった。 |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社お寺
長野県のおすすめ2選🍁
善勝寺に関連する記事
おすすめのホトカミ記事
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ