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駒ヶ根観音堂ではいただけません
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御朱印
なし
パーキング
駐車場
-

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テラヨリーモ・ジンジャスキー
2019年08月27日(火)
725投稿

明るい木漏れ日の中に観音堂が見えたのでお参りしました。
お堂の中には西国三十三札所のご本尊がそのままの姿で縮小して彫られた観音様が納められているそうです。
ただ、お堂が閉まってて中は見えませんでした。
もう少し背が高ければのぞけたんだけど、、、残念。
とにかく周囲の自然に溶け込んでいてとても美しいです。

日帰り温泉の駐車場の向かい側にありました。
偶然にも身体をきれいにした後にお参りできて最高です。

個人的に節目の投稿になりました。
旅行先でお参りした思い出深い所だったのでちょっと嬉しいです。

駒ヶ根観音堂の建物その他

日帰り温泉の駐車場から撮りました

駒ヶ根観音堂の建物その他
駒ヶ根観音堂の本殿

木漏れ日キレイ!
左手の方には小川が流れてます。水量が多くて水の音がよく聞こえて癒されます。

駒ヶ根観音堂の本殿

正面から

駒ヶ根観音堂の建物その他

この字は初めて知りました。「弐」は知ってますけど、中が三になってます。

駒ヶ根観音堂の芸術
駒ヶ根観音堂の建物その他

小川のそばから撮影

駒ヶ根観音堂の歴史

「西国三十三所駒ケ根観音堂由来」

駒ヶ根観音堂の建物その他

苔にあたる木漏れ日もきれいです

駒ヶ根観音堂の歴史

「西国三十三札所観音堂由来記」

駒ヶ根観音堂の建物その他
駒ヶ根観音堂の周辺

大田切川。いい天気でとてもきれいでした。

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歴史

西国三十三札所観音堂由来記(抜粋)

願主大島氏と佛師運正により、延享二年より宝歴七年まで十二年間を費やして大阪京都二府五県に点在する西国三十三札所寺院連絡とりつつ、本尊そのままを縮小して製作された観世音像で大鹿村鹿塩市場に安置
宝歴七年七月西国三十三札所寺院僧侶三十六人を招いて開眼法要を営むと、さらには安永九年伊那坂東三十三札所十二番となると記録にあり

斯の如く創建より二百十六年の星霜を経て荒廃も甚だしく環境不全のため駒ケ根市の美術愛好家の有志と札所有者大島久光氏を相諮り文化財保存の目的から会員七十名にて保存会を結成し風光明媚なこの駒ケ根高原へ移転を決め同市赤穂下島辰男建築士に依頼し創建そのままの堂宇を再建し本年七月市内十一ヶ寺の僧侶と井出佛師十三代の末裔一族を招いて落慶入佛法要を営む
願くは参観者各位にこの建造物の保持に万全の用意を望む

昭和四十八年七月二十六日 駒ケ根観音堂保存會

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名称駒ヶ根観音堂
読み方こまがねかんのんどう

詳細情報

宗旨・宗派
創建時代宝歴6年(1756)7月
ご由緒

西国三十三札所観音堂由来記(抜粋)

願主大島氏と佛師運正により、延享二年より宝歴七年まで十二年間を費やして大阪京都二府五県に点在する西国三十三札所寺院連絡とりつつ、本尊そのままを縮小して製作された観世音像で大鹿村鹿塩市場に安置
宝歴七年七月西国三十三札所寺院僧侶三十六人を招いて開眼法要を営むと、さらには安永九年伊那坂東三十三札所十二番となると記録にあり

斯の如く創建より二百十六年の星霜を経て荒廃も甚だしく環境不全のため駒ケ根市の美術愛好家の有志と札所有者大島久光氏を相諮り文化財保存の目的から会員七十名にて保存会を結成し風光明媚なこの駒ケ根高原へ移転を決め同市赤穂下島辰男建築士に依頼し創建そのままの堂宇を再建し本年七月市内十一ヶ寺の僧侶と井出佛師十三代の末裔一族を招いて落慶入佛法要を営む
願くは参観者各位にこの建造物の保持に万全の用意を望む

昭和四十八年七月二十六日 駒ケ根観音堂保存會

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