三澤寺の日常(126回目)|長野県北殿駅
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投稿日:2022年05月12日(木)
本日も朝のお勤め、ご相談、お祓い、御朱印など多くの方にお参りいただきありがとうございます🙇
改めて本日は日蓮聖人が合われた4大法難の一つ『伊豆法難会』の日でございます。
伊豆法難とは
日蓮聖人が40歳のときに合われた法難で、鎌倉幕府で『立正安国論』という意見書を提出し、諫言したところ、幕府に目をつけられ、日蓮聖人は鎌倉から伊豆へと流罪に合われました。
流罪の時の絵巻…pic1
日蓮聖人は船で伊豆へと流されるはずが途中にある俎岩と呼ばれる大岩の上で降ろされました…pic2
満潮になると沈む岩の上で覚悟しましたが、通りかかった舟守弥三郎夫婦にたすけてもらい、以後しばらく生活をともにします…pic3
そのご伊豆の領主の原因不明の病を治したり…pic4することで伊豆の地でも活動を認められ、より一層のお題目のご精進に励まれたという出来事です。
お経の中には信仰する人には必ず助ける人が来ます。という一説があり、日蓮聖人は自分の信仰が間違っていなかったかと、お経は正しいという事を強く自覚された出来事でした。
伊豆法難 1261年5/12 日蓮聖人40歳
南無妙法蓮華経
改めて本日は日蓮聖人が合われた4大法難の一つ『伊豆法難会』の日でございます。
伊豆法難とは
日蓮聖人が40歳のときに合われた法難で、鎌倉幕府で『立正安国論』という意見書を提出し、諫言したところ、幕府に目をつけられ、日蓮聖人は鎌倉から伊豆へと流罪に合われました。
流罪の時の絵巻…pic1
日蓮聖人は船で伊豆へと流されるはずが途中にある俎岩と呼ばれる大岩の上で降ろされました…pic2
満潮になると沈む岩の上で覚悟しましたが、通りかかった舟守弥三郎夫婦にたすけてもらい、以後しばらく生活をともにします…pic3
そのご伊豆の領主の原因不明の病を治したり…pic4することで伊豆の地でも活動を認められ、より一層のお題目のご精進に励まれたという出来事です。
お経の中には信仰する人には必ず助ける人が来ます。という一説があり、日蓮聖人は自分の信仰が間違っていなかったかと、お経は正しいという事を強く自覚された出来事でした。
伊豆法難 1261年5/12 日蓮聖人40歳
南無妙法蓮華経
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