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じょうどしゅうぜんりゅうじ|浄土宗方便山

浄土宗善立寺
公式長野県 広丘駅

日の出〜日没(だいたい)

浄土宗善立寺について

なんにもないけど大切なものがあるお寺


善立寺は文化財も庭園もインスタ映えスポットもなんにもないお寺です。
でも、お寺と仏教と檀家さんが好きで、仏教を伝えるにはどうしたらいいかを考えているお坊さんがいます。

住職より

こんにちは。善立寺副住職の小路竜嗣と申します。
善立寺は山号の通り「仏の教えを分かりやすく伝えること」を大切にしています。
公式サイト内のオウンドメディア「Teranova」にて、お坊さんがお坊さんにきいてみるインタビューやお寺で使えるソリューションなどを更新中です!ぜひチェックしてみてください!

長野県のおすすめ2選🌸

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サクドン
2021年01月18日(月)
198投稿

公式寺社巡り その6

当初11時30分過ぎ頃着いたのですが婦人会の集まりがあったようでしたので、昼食&休憩を兼ねてひと休み後、午後に再訪させて頂きました。

駐車場は通り沿いに5~6台位、裏手に10台チョット停められそうなものが2か所程ありました。

浄土宗善立寺(長野県)

通り沿いの案内看板

浄土宗善立寺の山門

お寺入口

浄土宗善立寺の建物その他

宗派標

浄土宗善立寺の建物その他

山号・寺号標

浄土宗善立寺の建物その他
浄土宗善立寺の仏像

参道 左右の石仏群

浄土宗善立寺の仏像
浄土宗善立寺の地蔵

石仏群を超えると六地蔵がお出迎え
時節柄でしょうか、マスクをしています

浄土宗善立寺(長野県)

直ぐ脇に祠があったので撮影しましたが、お寺とは関係ないかもしれません

浄土宗善立寺の末社
浄土宗善立寺の景色

本堂・会館造営記念碑

浄土宗善立寺の建物その他

歴代上人のお墓

浄土宗善立寺の地蔵
浄土宗善立寺のお墓
浄土宗善立寺(長野県)
浄土宗善立寺の建物その他
浄土宗善立寺(長野県)

永代供養墓

浄土宗善立寺の御朱印
浄土宗善立寺の仏像

永代供養観音菩薩

浄土宗善立寺の仏像

水子観音菩薩・子育観音菩薩像

浄土宗善立寺の仏像
浄土宗善立寺の建物その他
浄土宗善立寺の建物その他
浄土宗善立寺の本殿

本堂

浄土宗善立寺の建物その他

扁額

浄土宗善立寺の建物その他

寺紋

浄土宗善立寺の建物その他
浄土宗善立寺の建物その他
浄土宗善立寺の本殿
浄土宗善立寺の仏像

聖観音像

浄土宗善立寺の建物その他

半鐘

浄土宗善立寺の本殿

自宅兼庫裡かと

浄土宗善立寺の本殿

薬師堂・観音堂

浄土宗善立寺の建物その他
浄土宗善立寺の建物その他
浄土宗善立寺の御朱印

巡礼歌

浄土宗善立寺の歴史

薬師堂・観音堂 由来

浄土宗善立寺のお墓

墓地

浄土宗善立寺の自然

花がありましのでパチリ

浄土宗善立寺の自然
浄土宗善立寺の自然
浄土宗善立寺の自然
浄土宗善立寺の周辺

駐車場
左側のフェンスの所も駐車場になってました

浄土宗善立寺の建物その他
浄土宗善立寺の御朱印

御朱印
カラフルな色・柄付きのため、書置きとなっています

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歴史

天文14年(1545)に武田信玄の松本平侵攻により、焼失した伝えられているため、それ以前に創建された寺院です。
その後に武田軍家臣により復興され、元禄3年(1690)には現在地、塩尻市広丘野村に移築されました。明治4年の廃仏毀釈の際は厳しい社会情勢の中、廃寺の運命に遭い、寺院としての体を失いましが村民・賢者、加えて近隣寺院等の支援により存続し、近年壮麗に復興することができました。焼失・廃寺という困難を克服し、現在も皆様の心のよりどころとして、法灯を灯し続けております。

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浄土宗善立寺の基本情報

住所長野県塩尻市広丘野村793-1
行き方

JR広丘駅東口より徒歩10分
塩尻北ICより車で10分

アクセスを詳しく見る
名称浄土宗善立寺
読み方じょうどしゅうぜんりゅうじ
通称善立寺
参拝時間

日の出〜日没(だいたい)

参拝にかかる時間

10分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号0263-53-2645
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスzenryuji.temple@gmail.com
ホームページhttps://zenryuji-jodo.com/
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巡礼の詳細情報

信州筑摩三十三カ所観音霊場

第22番

御本尊:聖観世音菩薩

詳細情報

ご本尊阿弥陀如来像
山号方便山
院号香蓮院
宗旨・宗派浄土宗
創建時代1545年以前
開山・開基賢誉存慶
ご由緒

天文14年(1545)に武田信玄の松本平侵攻により、焼失した伝えられているため、それ以前に創建された寺院です。
その後に武田軍家臣により復興され、元禄3年(1690)には現在地、塩尻市広丘野村に移築されました。明治4年の廃仏毀釈の際は厳しい社会情勢の中、廃寺の運命に遭い、寺院としての体を失いましが村民・賢者、加えて近隣寺院等の支援により存続し、近年壮麗に復興することができました。焼失・廃寺という困難を克服し、現在も皆様の心のよりどころとして、法灯を灯し続けております。

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