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てけてけ
てけてけ
2024年06月06日(木)
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千鹿頭神社にお参りしてきました。高嶋藩領(神田)の鳥居⛩️からお参りしましたが、⛩️の額には龍🐉が彫られている立派なものです。真横の千鹿頭池に水神様を祀っているからでしょか?
下記のとおり領土二分割によりすべてが2つある面白い神社であると共に、諏訪地方(高嶋藩)の領土になった為か、諏訪信仰のモリヤ神にまつわる千鹿頭神が祀られていることに、建南方の神でなく、古来よりの神の伝承が興味深い🤔です。諏訪大社御頭祭では江戸時代まで75頭の鹿をお供えしたようですが、千鹿頭の名からいくと、千頭の鹿を捧げたことがあるのかな?とも思いました。
松本の小笠原城主の影響ある神社ですが、大阪夏の陣で戦死した小笠原城主父子の墓所がすぐ近くの廣澤寺の上に祀られています。

創建については詳らかではありませんが、古代からの洩矢(もれや)の神の系譜で「千鹿頭大神」を祀り、諏訪信仰と深いつながりのある神社と言われています。特徴はスケールが全てダブル、鳥居、参道、神殿、拝殿、社務所などの施設が仲良く二つずつあり、なおかつ、「御柱祭」の行事がダブルで実施されるという二倍の魅力ある神社です。
ダブルとなった理由は、元和4年(1618年)千鹿頭山の稜線を境として西側の東五千石が高島藩領(神田)となり、東側が松本藩領(林・大嵩崎)に分割されたことから二社分離となりました。今でも「御柱祭」は同日に双方の氏子により盛大に行われています。
このお祭りは、平成12年松本市指定無形文化財ともなり、拝殿も平成30年に松本市指定文化財となっています。さらにこの場所は千鹿頭山森林公園ともなっており、展望台からのアルプスの眺望、千鹿頭池の桜、つつじ、の名所でもありその他、カワセミや鴨、鷺などの楽園でもあります。

千鹿頭神社(長野県)

神田側鳥居⛩️

千鹿頭神社(長野県)

立派な🐉の彫刻

千鹿頭神社(長野県)
千鹿頭神社(長野県)
千鹿頭神社(長野県)

遠くにある水神 遊歩道からは草木が茂って分からなかった。

千鹿頭神社(長野県)

水神のアップ画像

千鹿頭神社(長野県)

千鹿頭池に浮かぶ木は、水神の鳥居⛩️が流されたものか?

千鹿頭神社(長野県)

結神社

千鹿頭神社(長野県)

石尊大権現は、山岳信仰と修験道的な信仰が融合した神仏習合の神

千鹿頭神社(長野県)

河童と天狗の顔が彫られていた。

千鹿頭神社(長野県)

神田側社務所

千鹿頭神社(長野県)

参道

千鹿頭神社(長野県)

参道 遠くに千鹿頭神社拝殿が見える。

千鹿頭神社(長野県)
千鹿頭神社(長野県)

先の宮 神田側前宮か?

千鹿頭神社(長野県)

参道

千鹿頭神社(長野県)

千鹿頭神社と一の御柱

千鹿頭神社(長野県)

御柱と神楽殿と社務所

千鹿頭神社(長野県)

一の御柱と神楽殿

千鹿頭神社(長野県)

手水鉢

千鹿頭神社(長野県)
千鹿頭神社(長野県)

神楽殿も2つ

千鹿頭神社(長野県)

神楽殿も2つ

千鹿頭神社(長野県)

里山辺林、大嵩崎の社務所

千鹿頭神社(長野県)

お犬様は左右一対のみ

千鹿頭神社(長野県)
千鹿頭神社(長野県)

拝殿も2つ

千鹿頭神社(長野県)

拝殿(里山辺林、大嵩崎)

千鹿頭神社(長野県)

本殿(里山辺林、大嵩崎)

千鹿頭神社(長野県)

拝殿(神田)

千鹿頭神社(長野県)

本殿(神田)

千鹿頭神社(長野県)

お犬様は一対

千鹿頭神社(長野県)
千鹿頭神社(長野県)

後宮とされる(建御名方命)

千鹿頭神社(長野県)

頂上境内から松本市内と千鹿頭池

千鹿頭神社(長野県)
千鹿頭神社(長野県)

里山辺林、大嵩崎側の鳥居⛩️

千鹿頭神社(長野県)

里山辺林、大嵩崎側の鳥居⛩️

千鹿頭神社(長野県)
千鹿頭神社(長野県)
千鹿頭神社(長野県)
千鹿頭神社(長野県)
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千鹿頭神社の基本情報

住所長野県松本市神田1-16
行き方

JR篠ノ井線南松本駅 から徒歩約50分/車で約15分

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名称千鹿頭神社
読み方ちかとうじんじゃ

詳細情報

ご祭神千鹿頭神
ご由緒

(千鹿頭神社沿革 のプレートより)

 千鹿頭神社の創建については詳らかではありませんが、太古の昔より諏訪信仰と深い連りのある千鹿頭大神を祀り伝えてきた社であります。古は先の宮(現在の四阿付近)にありましたが、中世には戦乱によって社殿も焼失し、その後、現在地に移されたと伝えられています。
 元和四年(一六一八年)、当時の松本藩領であった神田村以南の地(東五千石)が諏訪高島藩領に移され、その境界を千鹿頭山の尾根とされた為、現在の地に社殿を二分する形となりました。
 現在の神田側社殿は正徳五年(一七一五年)高島藩主諏訪氏の寄進により、諏訪の棟梁が建造。林・大嵩崎側社殿は元文五年(一七四〇年)松本藩主松平氏の寄進により松本の棟梁が建造にあたり、それぞれの社殿は、時代、地域の特色を残しております。また卯年と酉年に行われる御柱大祭等重要な行事をはじめ、例祭は従来通り神田、林・大嵩崎の両氏子が共に行っております。
 平成七年には両社殿が松本市重要文化財に、平成十二年には御柱大祭行事が松本市無形文化財に指定されました。
 この度、風光明媚な千鹿頭山の自然環境をより良く整えて、文化財と共に後世に伝えられることとなりました。

                                                                                                                

(『千鹿頭神社先宮』の由来 立て札より)

 かつて『先ノ宮(まずのみや)』と呼ばれ、大巳貴命すなわち大国主命を祭神とした独立社であったが、現在は「千鹿頭神社の前宮」の位置づけとなっている。
 昔は「服神社」(現在の千鹿頭神社後宮)や王子稲荷神社と共にかなりの規模の社であったと伝わる。享保五年(一七二〇)に水野氏に差し上げた『千鹿頭縁起』の中に「……府中六社ノ内ニマヅノ宮明神トテ社アリ……」とある。府中六社とは山家組薄宮・庄内組大宮社・筑摩八幡社・旧深志城内八幡宮・島立組沙田神社と当『先ノ宮』で、何れも小笠原氏の祈願所とされた。
 このように、往時は廣澤寺・富士浅間神社を含めた小笠原氏関連の一大霊地となっていた。(後に王子稲荷神社は深志城内に、富士浅間神社は宮村へと移された。)しかし、相次ぐ火災や小笠原氏の移封、更には諏訪藩への領地分割等により規模を縮小し、当社も当時の面影を伝えるものは数個の残存する《礎石》のみである。
 なお、領地分割後千鹿頭神社一帯の社は関連小祠に至るまで全て林村・神田村両村二社分立の形式となっているが、この『先ノ宮』のみ何故一社となっているかは不明である。

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